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散歩するように生きてみて

 2022年が終わる。今年は、テーマを決めて生きていた。散歩するように生きた振り返りをしていきたい。

 今年の初めに書いたnoteはこちら。コージーには怒られて、すーさんにはたくさんアドバイスもらえそうな荒い記事はご愛嬌。

散歩するように生きてみて

 「散歩するように生きる」。振り返るととても良いテーマを設定できていた。何かに追われ、誰かに自分を見せようともがいていた昨年から一新するべく、今年は自分の意のままに感情を優先してフラッと過ごすことを「散歩するよう」と見立て、そのように生きていこうと決めていた。

 POOLOに入らなければ、散歩するように過ごすことは難しかったと言っても過言ではない。毎日誰かとオンラインで繋がり、毎週何かしらのイベントがあって、数ヶ月ごとにチームでの成果を探し続ける。そんな日々の中に自分もいたことで、周りの環境が勝手に、常に、止まることなく変化していた。

 変化し続ける環境に目が回ってしんどくなることもあった。そんな時に座って休憩していると、一緒に歩みを止めて座ってくれる仲間もいた。ありがたかった。そういう存在が、自分をまたPOOLOに向かわせたし、POOLOの中でまた散歩するように歩むこともできた。東京に行ってPOOLOメンバーに会うこともしてみたし、運営陣も巻き込んで一緒に仕事してもらえたし、一つの旅企画も行うことができた。

 POOLOの外でも、やってみたいと思ったことをやってみることができた。POOLO以外の企画に参加してみることもできたし、noteも少しずつアップデートしようと意識できたし、新しい学びの機会に参加することもできた。逆にやろうとしていたことを手放すこともしたし、敢えて切り捨てる決断をもした。きっとそれは、テーマを「散歩するように」とした通り、自分の感情や思いに素直になって今自分がワクワクする方向に進もうとしているかを大事にできたからだと気づいた。


散歩している自分は個性でもあった

 POOLOの中を散歩している中で、自分というのがどんな存在であるのか知る機会にもたくさん遭遇した。

 散歩は好きなんだけど、一人でも一人じゃなくても良い。みんなでワイワイするのも楽しく過ごせるし、一人だけで星空を見ながら歩くのも好きだった。たまにみんなから離れてベンチからぼーっと眺めてるのも好きだし、先頭に立って立ち止まってみるのも好きだった。

 そうやって、フラフラと過ごしていると「羨ましい」と言われたことがあった。「周りからの期待とか、ポジションを気にして自分を作っちゃう。けど、のすけはそうじゃないから羨ましい」と。

 全く周りを見ないわけではないし、体裁も気にするし、期待に応えようとすることもある。が、「羨ましい」と思ってもらえたのは、自分のスタンスが、相手ファーストではなく自分ファーストであるからだろう。先ほども言った通り、周りを見ないわけではないし、期待に応えようともする。しかし、それは自分が見たくて周りを見ているし、期待に応えたいと思っているから応えている。ただ、それだけである。

 少し話が逸れたが、「取り繕わないで、ありのままの自分でいようとしている」ことが羨ましいに繋がっていると捉えることができた。そして、取り繕わないスタンスや姿勢でいることを自分のアイデンティティのように伝えてくれたことが、自分を更に自然にさせたし、この自分を許してくれたように感じたし、受け入れてもらえたようで、ラクにさせてくれた。

 「ありのままでいようよ〜」っていう自然体スタンスは、後に肩の力を抜いて気楽にいこうぜっていう意味を持つ「ラクに」という言葉にもなって、POOLO内でも活用されるようになった。

POOLOを卒業する際に抱いていた思いをまとめたnoteはこちら。たくさんの出会いから、自分の個性に気づくことができた。


焚き火を通じた表現

 散歩している中で自分の自然体スタンスがPOOLOの中で認知され、受け入れられた。個性として自分の正体が明らかになっていくにつれて、POOLOのメンバーから「のすけって焚き火みたいな人だよね」と表現してもらった。(詳しくは上記POOLO卒業制作をご参照)

 焚き火はその場にただ、いるだけ。とても自然な火の燃え方で心地よいのが焚き火だと思う。火事やキャンプファイヤーとも違う、自然な火。火種を作って、薪を焚べて、丁度良い塩梅の風を送り、火を灯す。内に秘めたじわじわと燃える炎が無理をしていないし、とても心地よい暖かさをもたらしてくれる。のすけって、そんな感じだよね。きっとただそこにいるだけって自然感が、のすけの「ありのまま」で取り繕わないスタンスと合致しているから、焚き火のように感じるんだよね。
byさんちゃん

 「焚き火のように生きる」を体現していきたいんだとわかったと同時に、POOLOでの企画を通じて気づいたことがある。それは、焚き火のような”場”を作り続けていきたいということだ。

焚き火のような”場”を作り続けていきたい

 焚き火をやっていると不思議と「実はさ、、」とか「俺本当は、、」とか、普段なかなか表現しないようなことを呟いてしまう場面に遭遇することがある。きっと、内なる自分を表現しようとさせる何かが焚き火にはあるのだろう。そんな、本当の、ありのままの自分を見つける場を作りたい。

 そして、焚き火だけではなく焚き火を囲む雰囲気が好きだということ。心地の良いパチパチと薪が燃える音、ゆらゆらと風になびく炎、柔らかい温かみを感じられる温度、丁度明る過ぎない視線が合いそうで合わない暗さ、そして真ん中の火を丸く囲む配置も、どこを切り取っても心地良い。無理のない空間で、ラクにいられるような空気をもたらしてくれる。

 何かに追われ、何かになろうとリキんでしまう、過去の自分のような人にありのままに気づくきっかけを与えたい。まずは自分がありのままを体現することができた。これからは周りのみんなに提供することができれば嬉しい。


散歩するように生きるを身につけて

 きっと「散歩するように生きる」生き方は、自分が何を本当にやりたいか、どう生きていきたいかを探すためのスタンスとしてよかった。そして、自分が焚き火のように生きることや焚き火のような場を作りたいとわかったということは、今年1年良い感じに時間が使えたんだなと安心した。

 そして、今年一年間散歩している中で出会ってくれたたくさんの人たちに、感謝してこれから少しずつgiveしていきたい。

 2022年、大変お世話になりました。そして出会ってくれて、ありがとう。
2023年もよろしくお願いします。では、良いお年を〜



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