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単調な独り暮らしを少し愛せるようになった話

南東向きの窓から差す朝日で目が覚める。
渋々と布団から這い出し、マグカップに入れてチンした甘酒を飲む。
ちゃちゃっと身支度と洗濯を終える。
狭い玄関にごちゃごちゃと置いている靴を足でどけて踏み場を作り、家を出る。

昼、小さな事務所でカタカタとパソコンに向かう。悲しいかな零細企業、閑散期は多忙に追われることもなく、緩やかに時間が流れる。

定時で上がり、愛着はあるが少し住み飽きたこの街の夕暮れに漠然とした焦燥感を感じつつ帰路に着く。
焦燥感の正体には、うすうす気づいている。

夜、帰宅してすぐ晩ごはんの支度に取りかかる。
支度と言っても、肉と余り物の野菜をスープや炒め物にするだけだ。
仕事終わりですっかりOFFモードの平日夜に、凝った調味料を使う余裕はない。
塩や醤油で味付けしただけの名も無き料理を一品作るだけ。

5畳余りの小さな部屋で独り、録画したテレビ番組を観ながらだらだらとその一品を食べる。
床に髪の毛が落ちている…見ないふり。

食後の洗い物の間にお風呂を沸かす。
熱々の湯船にざぶんと肩まで沈み、あてもなくスマホをいじる。
浴槽から出るのが面倒臭くて、お湯が冷え切るまで湯船に浸かる。

せっかくお風呂に入ったのにむしろ少し冷えてしまった体を、使い古して少しヘタった布団と湯たんぽで温めながら眠りにつく。


これが私の毎日だ。

同世代の周りの知人のように
昼休みに会社近くのちょっとお高そうなお洒落ランチを食べに行ったり
仕事終わりに思いつきで同僚を誘い飲みに行って、ほろ酔いで終電に乗ったり
恋人を家に招き、手料理で埋まる食卓の写真をInstagramに投稿したり
週末は家族でキャンプに行くのが最近のブームだったり
そんな"毎日が充実"みたいな生活とはほとほと縁がない。
恥ずかしいくらいつまらん生活だな。


その日も相変わらず一品だけの晩ごはんをつまむ傍ら、空いた片手で行儀悪くスマホを触っていた。
SNSのページをスクロールしていると、"一汁一菜でよいという提案"というワードが目に入った。
料理研究家・土井善晴先生のベストセラー本のタイトルだ。
ざっくり言うと、「家庭の食事はご飯と具だくさんの味噌汁だけで充分。無理のない手料理で無理のない生活をしましょう」というマインドを唱えておられる方だ。(という風に私は解釈している)
「一汁一菜の考え方で気持ちが楽になった」「料理ってこれでいいんだ、と肯定された気がした」という、救われた読者たちの声を何度かSNSで見かけていた。
自身の廃れた生活に対する罪悪感を少しでも拭ってほしいと、心のどこかで願っていたのだろう。仕事帰りに寄った本屋でその一冊を手に入れてきた。

帰宅して、いつものように湯船が冷えるまでお風呂に入り、湯たんぽを抱えて布団に入った。
ベッドサイドの小さな照明が灯すオレンジ色の灯りを頼りに、本を読み始めた。

SNSで見かけた多くの読者のように、私も「料理はこんなんでええんやで」と言われることを期待していた。
料理は1番好きな家事だ、こんなだらしない生活でも私なりによくやっているつもりだ。だからせめて料理だけでも肯定してほしかったのだ。

その期待は、本を開いて1ページ目の一節で良い意味で裏切られた。

いちばん大切なのは、一生懸命、生活すること。
一生懸命したことは、いちばん純粋なことであり、
純粋であることは、もっとも美しく、尊いことです。


2ページ目をめくる手が止まった。
料理を褒めてもらうつもりが、生活そのものまで肯定されてしまった。
"一生懸命" "美しい" "尊い"
至極シンプルな言い回しが、尚更全肯定されているような感覚にしてくれる。

生活の賞賛は更に続く。

淡々と暮らす。
暮らしとは、毎日同じことの繰り返しです。
毎日同じ繰り返しだからこそ、気づくことがたくさんあるのです。
その気づきはまた喜びともなります。
(中略)
この毎日の繰り返しが「人間の暮らし」であり、
その意味は、やがてそれぞれ美しいかたちとなって、
家族である人間のそれぞれに現れてくるものと信じます。


単調な日々に気づきと喜びがあり、やがて美しいかたちとなる…?

ここで日々の光景を頭に浮かべる。
起きる、食べる、身支度をする、洗濯掃除する、仕事に行く、帰って料理を作る、片付ける、風呂を沸かす、眠りにつく—

まな板の上でタン、タン、タン、と無心でネギを刻む光景が浮かぶ。
あの一定のリズムのように、実は日々の繰り返しというのは素朴で美しいものだったのだ。
辛気臭いと卑下してきた日々の一挙一動は、一定のリズムを刻むように私の生活を紡ぎ、私の人生を築きあげてきた。

謎の体調不良が続いてろくにごはんが食べられなかった時も
仕事の上司が嫌いすぎて毎日のようにひっそりと号泣していた時も
恋人に振られた絶望で一歩も外に出たくなかった時も
誰よりも何よりも私の生活を支えてくれたのは、いつだって私自身だったじゃないか。

起きる、作る、食べる、片付ける、寝る—
決して他人に自慢できる生活ではないけれど、今までうんざりしていた日々の営みが少しだけ尊いものに思えた。


今日もいつもの名も無き料理を作る。
いつもの一品だけど、今日は最近奮発してお迎えしたSTAUBの鍋で作ろう。
具材も、お気に入りの八百屋の野菜や精肉店のちょっと良いベーコンを選んでみた。
具材を切る、炒める、蓋をして熱を通す…リズムを刻むように料理する。

弱火で10分間の辛抱後、蓋を開けた瞬間素材の旨みが詰まった湯気を浴びた。
皿によそった一杯を、今日は味わって食べてみる。
いつものよりすごく美味しい。1人なのに思わず口角が上がる。
具材や器具を変えてみたら、料理の質が格段に上がるものなんだな。

いつもの一品に少し変化を施すだけで、確かにそこには"気づき"と"喜び"があったのだ。
あぁ毎日生活を積み重ねてきてくれた昨日までの私、今まで些細な喜びを見出す努力もせずに辛気臭い生活なんて卑下してごめんね…



起きる、作る、食べる、片付ける、寝る—
明日も素朴な生活を美しく築き上げていく。

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