奇録1

「ノート」

俺は仮面浪人時代、個別指導のバイトをしていた。
個別指導といっても大したものではない。俺の勤めていたところは進学塾ではなくいわゆる補習塾だった。
やることはあくまで学校の勉強のサポートで、受験勉強はメインではない。

そこに来るのは、普通の小中学校の子だ。賢い奴が多い学校出身の俺には新鮮な環境だった。「世間一般のガキってこんな感じなのか」って。

その中でも俺は学校の勉強があんましついていけない子や不登校の子など、どっちかっつーと訳アリの子を担当していた。
俺も小中では落ちこぼれ側の人間で問題児だったし、同じタイプの人間にそういう子は任せようというのが教室長の目論みだったのだろう。

おせっかいでおしゃべり好きの俺にはもってこいだった。
実際そういう奴が心開いてくれるのは嬉しかった。

しかし、一人だけ手に負えないやばい奴がいた。

それは典型的問題児の中二男子のK君。英語を教えていた。
落ち着きがなく授業中永遠に話しかけてくるのはかわいいもんだ。
珍英作文を作ったり、英語が発展途上なのも別にいい。

授業態度とか英語勉強するとか以前のことが問題なのだ。
ちなみに彼に勉強しようという気概は間違いなくあった。
先にことわっておくが、別に怒っているわけではない。
彼があまりにも化け物すぎて笑うしかないというだけ。

まず、時々話が通じない。

俺「…ってことなんよ、ここまでついてこれた?」
K「シャー芯とれた!先生これ消しゴムです。(手元のシャー芯を指差して)」

…どういうことだ?俺はどの世界にいる?
それだけじゃない。

俺「○から□までやっといてね。」

K君がカキカキし始めたのを確認して一旦別の作業へ。
課題をやるよう指示してから10分後…
帰ってきて確認すると、K君、なにひとつ解いていなかった。

俺「1問も解いてへんやん…」

よく見ると一問目の空所補充問題「He is…」の文頭の”h”だけ書いていた。
小文字で。ノートのど真ん中に。

どういうこと?お前がカキカキしてたあれ何?

K君になにしてたのか問い詰めても、しどろもどろな返答しか来ない。
仕方なく、一緒に解こうと方針転換するとK君が一言、

「先生、英語意味わからないっす。」

意味わからんのはお前じゃ。

─────────────────────

K君の指導をする上での最大の障害はズバリ、
”ノートの汚さ”
である。

字が汚い。読めない。
高級フレンチのメニュー並みに行間と余白がでかい。
英語の単語と単語の切れ目が曖昧。

「これじゃまともに採点できない」と何度もノートの書き方を伝授したが、改善はなかった。

だから、採点の前に本来不必要な”解読”というフェーズがあった。
考古学の領域やねん、それ。

この日、K君のノートは絶望的なまでに”ゴキゲン”だった。

今日もK君が解いた問題を採点しようとするがやはり、読めない。
いつも通りノートの汚さを指摘し、改善を要求した。
毎週お決まりの流れだ。ほんまに毎週授業内容そっちのけで、
「授業態度が〜」「ノートが〜」しか言ってない。

俺「あのなあ…」

書き方のお手本を見せようとK君のノートを手に取ると、はずみでページがめくれた。

そのページには数式らしき何かが書かれている。

俺「…???」

ページをめくり続ける。
英文、数式、英文、英文、数式、英文、証明…
数学と英語の学習の痕跡が交互に現れる。
中には同じページに英文と数式が並び立つことも。
なんというか…岡本太郎の世界観みたいなのが広がっていた。

俺「…おまえ、英語と数学同じノートにやってんか?」
K「はい。」
俺「やめた方がええで。これじゃぐちゃぐちゃで何が何かわからん。俺も採点しにくいし、Kの復習の役にも立たん。」
K「えぇ〜めんどくさいじゃないデスカァ〜〜↑」
俺「いや、分かるけどよ〜」

なんて言い合っていると、めくるページがなくなり表紙があらわれた。

──『国語』──

そのノートに割り当てている教科名を書くであろう欄にそう書いてあった。

…ほんまにどういうことやねん。
国語のノートで数学と英語やってるし…
ほんで国語の学習の跡はノートのどこにもないし。
何もかも意味がわからなくて、圧倒されて声に出して笑った。面白い。
失笑じゃない。普通に素の笑いが出た。
解読困難英文の真下に何の前触れもなく「以上より合同が成立する」とか
マジでイカれてる。どういうこと?俺今どういう状況?なんのギャグなん?
俺これで金もらえるん?ありがとう。スクール██愛してる。

そうこうしてると授業が終わって、「アリガトウゴザイマシタ、サヨナラ。」ってK君出ていったし。正直毎回なにが「ありがとう」なんか分からんけど。
生徒の中で律儀に毎回挨拶してくんの彼だけやし。
まあ、うん。ありがとう。
彼のおかげで人って色々いるんだなあって思えた。

彼の先生だったのも束の間。俺は昨年11月にバイトをやめた。彼がその後どうなったのか知らない。今は中三で高校受験の真只中か。
読める字を書けるようになってくれよな。
じゃあな、愛すべきクソガキよ。

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