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月夜の戯言 五眼六通

カメラを使って撮影していて、
レンズを交換する時にふと思いました。

視野のちがい、拡大倍率のちがい。
焦点距離の違いもあります。

その中から自分の見たいものが見えるように
レンズを選んで、ピントを合わせるわけですが
一様に上手く撮るのは難しい。

いい写真とはなんでしょう。
コンテストで賞を撮るような写真。
きっと綺麗に撮れているのかもしれませんが
なんか好みではないということがあります。

僕らの目はだいたい同じに作られています。
水晶体がやたらに大きいことも小さいことも無く
ものが見えるようにできてる。
当然、病気などで見えない方もいますが、
欠損のない状態なら視野も焦点距離もだいたい同じでしょう。


なのになぜコンテストの例のように
ひとつのものでも他者と自分とでは
見え方がちがうのか。
それは目玉が脳に繋がれているからだと
思っていました。

実際、心といっていいのかわかりませんが
機能としては同じ程度でも差が生まれるのは
心ないし五感が接続されている脳の働きによって
目という物理媒体の像を
変えてしまうことがしばしばあるようです。

それを知って、
僕達は物事をそもそも"正しく"
見ること(認識すること)は
もしかしたらできなのではないか。
そんなふうに思いました。


そんな折にこんな言葉に出会いました。


五眼
ごげん
pañca cakṣus

仏教用語。 (1) 肉身の所有している「肉眼 (にくげん) 」,(2) 色界の天人が所有している「天眼 (てんげん) 」,(3) 二乗の人が一切の現象は空であると見抜くことのできる「慧眼 (えげん) 」,(4) 菩薩が衆生を救うために一切の法門を照見するところの「法眼 (ほうげん) 」,(5) 仏陀の所有している,前記の四眼をすべてそなえた「仏眼 (ぶつげん) 」をさす。
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「五眼」の解説

五眼という言葉は仏教思想の言葉です。

この言葉の素晴らしいなと思ったのは
同じ眼を使うにしても
段階があるというところでした。

人生を生きていると経験することが増えます。
たくわえた知識や見聞が
ある瞬間に繋がり、
いままで見てきたものに解釈や理解が加わり、
まったくちがう景色に
感じることがあります。

それはこの五眼に似た発想なのかもしれない。
そう思います。

仏だの菩薩だのというと
自分とは縁遠いイメージですが、
精神状態に置き換えてみると
わかりやすい言葉に思います。

心が澄み渡って晴れやかなときには
雨空も楽しめるような状態。
嬉しいことがあると、
景色は美しかったりキラキラと
輝いて見えるものです。

眼は投影する力もあります。
狭くて汚い部屋で夢追いするバンドマンが
どこかかっこよく見えたり、
彼自身は未来の自分の成功の姿を
その空間に投影しているからでしょう。
見せるではなく、
魅せるという言葉は興味深いです。

人の眼は多重の力があり、
可能性に満ちている。
そんなふうに思うと
いつもより少し目力を込めて
街に出てみたいと思う今日この頃です。

星空を見ながら煙草をふかしつつ
こんな話を考えながら、
星を見ているというよりは
自分の目の中に
星を閉じ込めているような気がして
少しのロマンに浸った夜でした。

目は不思議。

おやすみなさい。

斑鳩入鹿

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