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六角形

部活が始まり、課題の多さに泡を吹いてぶっ倒れそうな中、私はスマホを触っています(?)

バスを乗り換えないと登下校出来ないんですが、帰りのバスが少なすぎて30分近く待ち…疲れて勉強する気も出なかったので、『六角形』について考えてました。(何故突然)

こういうの初めてなので、とりあえず全箇所書きたいところだけ書いていきます( 'ω' =͟͟͞͞

ほとんど歌詞考察です

先に言っておきますが、『深読みしすぎでしょ』『何その解釈』は目を瞑ってください…


いいですね そーゆーの


もう、スタートのインパクトがすごい()

「そういう」で何かを示唆してるとは思うんですけど、私的には何かの『続き』なのかなぁと

だから「いいですね そーゆーの」っていう皮肉さえも、今生まれたんじゃなくて、今回に限らずずっと、何回も零れるように出てきてた言葉な感じがしました。


浮かれきった町は今日も平和な日常を
装いながら皆で同じ事で一喜一憂して


流石岩曲、と言わんばかりの皮肉の強さ…(正直これを皮肉と簡単な言葉で表現するのが正解なのかさえ分からない)

「浮かれてる」から嬉しいことがあって平和なんだろうなぁ、と思ったら「装ってる」

しかもここの北川さんの歌い方が優しさに満ち溢れてる。
こんなに優しくて、思いやりがあるのに、心の繋がりがなくて、装った、表面上だけの笑顔はあるのかもしれない……

あと、浮かれるってことはあんまりいい時に使われないですよね。だから、一触即発の状態、なにか1個契機があれば、悪い状態になる……平和を装う、ってことはこういうのも含まれてるのかなぁと思いました。

私が話したいのは後半なんですけど、また後で話すので割愛()


生まれついての性格に深くため息
別に嫌いじゃない

好きでもないけど


未だ信じられない部分もあるんですけど、もう岩沢厚治様って『45年間』も地球に生を受けて時間を過ごしてるんですよ(?)
しかもその半分以上を『ゆず』として過ごしてきて…

どんなことにどれだけ苦しんだかなんて、まだ約15年しか生きてない私には分かりっこないです。
ましてや、中学生の頃に人を本気で憎むことを覚えた岩沢厚治に比べたら、自分なんて簡単な人生歩いてるなと実感して…

それでも自分に『ため息』…って考えると語彙力が消えて泡になりたくなります←


(自分語り注意です)
ダメな自分が『嫌い』になって、もう自暴自棄になる時期は色んな人が経験すると思うんですけど、私は1周まわって「まぁこれでもいっか」に落ち着いてるんです。

でも、自分を『好き』になったか、って言われたらそういう訳でも無い。利点が見えても、劣等感が強かったら好きになる事なんて難しすぎる……

『嫌い』でも『好き』でもない。そんなあやふやな人が結構多いと思うんですが、それを見事に言い表す…感情が溢れるのと反比例して既に私の語彙力は底をつきそうです……


都合よく書き換えた 記憶も曖昧だから
誰かを傷つけたことも 美談に変換して


『嫌な記憶』だから『都合よく』変換したのに、それすらも忘れていく…

ここが「誰か」になってるのが、すごい個人的意見なんですけど、不特定多数って訳じゃなくて、「その『誰か』すら分からない」「『誰か』がどんな人だったかも思い出せない」のかなぁと解釈しました……

傷つけたのに美談って?!って一見感じても、「あっちが先にやったから」「あっちの方が悪いから」ってことを、少しこじらせたら『美談』にできそうですよね…

ふと思ったんですけど、これで「傷つけられた側」が都合よく書き換えてなかったら、どうなるんでしょうね……


僕らはまた 行ったり来たり繰り返し
気づけばこの有様
いつからこーなった

『この有様』『いつからこーなった』って言葉から、今に不満を抱いてて、過去に想いを馳せてるのが伝わるんですけど、明るい曲調の中に紛れる闇がすごい…


サビ①

均整のとれた六角形
踏み固められた平均値
それを優秀な人材って言うんだって


『踏み固められた』平均値って言葉が、中々解釈できなくて色々考えたんですけど…

私は「土」をイメージしました。

買いたての袋に入ってた土って、ふっかふかじゃないですか。養分とか色々入ってて、いわゆる生まれたて?みたいな

でも、少しずつ「踏まれたり、周り(生物)から養分などを吸収されたり」する。

年月が経てば、固くなって、小さくなってる。

で、これを人に置き換えると、

学校とかで、『1年生』は個性爆発、パラメーターなんてでこぼこ。でも、少しずつ『集団生活』に呑まれていく。

周りより突出している部分は消されて、固められていく。


わたし的には、『踏み固められた平均値』をこう解釈させて頂きました()


『優秀な人材』って確かにそうですよね…
周りに求められたものを返せる人、って言ったら本当にすごい人なんですけど、それって『個性』あるのかな?って

全部優れてても、『突出した部分』が逆になくなるし、どこか悪いと、正六角形じゃないから『優秀』とは言われない。

正直、最初の志望校選ぶ時は「偏差値が高いから」で、優秀を目指してた過去の私は何も分かってなかったんだろうなぁと……

まだ1ヶ月も経っていないのに、『あぁ、ここから正六角形の人材が選ばれていくんだな』と感じました。元々全員と言っていいほど均一な形の六角形を持ってるのに、これから「オール5」の人間と、「能力最低」の人間に分けられていくのかと…
まぁそれが学校ですししょうがないと言えばそうなんですが……

で、特にここのサビはそうなんですけど、『愚痴』感が凄いですよね…?不貞腐れた感じというか、不満はあるけど、みんなの前で言う気は無い、くらいの。

でも、腐りきってる訳じゃない、ってのが岩沢文学……(天を仰ぐ)


すでにワードセンスは一般論

コンプライアンスを身にまとって

嘘偽りなくそつなく生きていこう

いいですね そーゆーの


ワードセンスは一般論だから、一見すれば周りと馴染んで見えてる、『踏み固められた平均値』のひとつになってる。

コンプライアンス身にまとって、嘘偽りなく生きていくなんて綺麗事じゃ……って思ったあとの『いいですね そーゆーの』綺麗事を笑えるのってまともな感性なのか、それとも協調性を失った人なのか……(解釈違ったらすみません)

岩沢さん主メロの良さが最大限に出てるサビ、突き抜けてる感がすごい……
声で、実際に『突出した部分』を感じました



古くさい話は古いモン同士でやりな
今となれば化石同然て消えて行くんだろう


ここは歌詞と言うより北川さんの歌い方がっっっっ…………
投げやりな感じなんだけど、消えていくような余韻……
ここだけの話では無いですが、デビュー当時、5周年の時には出来なかった、『25周年』の重みってこういうのだよなぁと、勝手にしみじみとしてました……



行く先もまだ決めきれないまま燻って
失敗したらこう言うの
不徳の致すところ


『不徳の致すところ』っていう言葉は、失敗とかの意味なんですが、大事な失敗の時?にかしこまって使うのが主な利用方法ではあります。

でもこれ、謝罪会見とかで明言を避けるためにも使われてて……要するに「敬って謝ってるようで謝ってない」時もあるみたいです。

って考えたら、あやふやに進んでいって、失敗したら丁寧に謝る風……闇感がすごいけど、これが実際の社会の現実なのか………



いびつな形の六角形
振り分けられたパラメーター
突出した部分はそりゃカッケー君の個性



来ました全肯定……普通、『いびつ』って言葉を聞いたら、汚いとかあんまりいいイメージは出てこないのに、それを「カッケー個性」と言い切る岩沢厚治……好きです………

そりゃカッケー、って言葉から口語なのでここだけでは無いですが、面と向かって、『君』だけに伝えてくれてるのが本当に…あの…はい……(語彙力喪失)


すり変わってしまった問題点
多分そうゆうことじゃないんだって
君は君で君を探していけばいい


はい!序盤で飛ばしてた部分を拾ってきます

『皆で同じ事で一喜一憂して』

学校を否定したい訳じゃないんですが、『みんな褒められて、みんな怒られて』が多いと思うんですよね。
例えば、「授業中うるさい!静かにしろ!!」って怒られたとしたら、40人中40人がうるさいことは中々ないじゃないですか。

でも、『連帯責任』とか言いくるめられて、結局全員の問題みたいな。

この例は典型的過ぎますが、将来の話とかになった時、それぞれ違うのに『一般論』をまるで当たり前かのように教えられて、疑う隙もない。

だから、同じことで一喜一憂の『一憂』の部分で、「別に君はそこが悪いんじゃないんじゃない?」ってそっと教えてくれてるような気がしました。

実体験なんですが、このさり気ない『多分そうゆう事じゃない』って言葉がすごい影響するんですよね…

多分、だから助言側も決して言い切ってる訳じゃなくて、あくまでも本人に判断を委ねてる。それこそ『君は君で君を探していけばいい』っていう自由を与えてくれる発言が、今の社会を生きる人には、ほとんどの人に必要じゃないのかな、と思いました。


君の声を聞かせて
本当のことを教えて
僕らのあるべき場所を日々残せ


PEOPLEというアルバムが、コロナ禍の中出来上がったもので、共作でさえ2人が面と向かうことなく出来上がったという事実を頭に入れていると

『君の声を聞かせて』が本当に強く聞こえます。比喩表現で、ただ教えて欲しい、って思いを強くするのも勿論あると思うんですが、今の状況で『声』って言葉には深い意味があるのかなと……

先程も述べた通り、『君』『僕ら』ってすごく親身なんですよね。人々が離れて、個々が強く意識された後の『心の繋がり』

だから、初めの「浮かれきった町の皆」は心の繋がりなんてないんだ、とここでも思いました。

『日々残せ』、当たり前の毎日が当たり前じゃなくなった。だから、一日ずつ進んでいかないと、『僕ら』を残さないと、存在が消えてしまうような、儚い雰囲気もあるのかなと思いました。


すり変わってしまった問題点
多分そうゆう事じゃないんだって
君は君で君を探していけばいい

いいですねそーゆーの

いいですねそーゆーの


『いいですねそーゆーの』で始まり、終わる。1回目聴いたこの言葉と、最後に聴くのは全然違うように感じるんですよね…

まとめ


ここまでダラダラと語ってきたので、分かりやすくまとめます(相変わらずない語彙力)

国語の批評文とかは、『一般論』と『筆者の考え』が対比されて、ほとんどの確率で「世間の考えはおかしい!」って断言されてるように感じてしまいます。(勿論毎回ではありませんが)

岩沢さんは、昔『普通アレルギー』発言から、こういうのは嫌だな、みたいなのははっきりしてると思うんです。でも、それを他の人に押し付ける訳ではなく、あくまでも『1つの考え』と受け止められているので、こんな曲の雰囲気とかになるのかなぁと……

皮肉が皮肉で終わるんじゃなく、気づけば前向きに、優しさに包まれて終わるって一種の魔法のような……

公立高校の理系コース、当たり前のように周りは個性の塊でした()

知識の量は比にならないし、みんな何か一つは特技を持ってて。うわぁやべえ、が今の素直な感想です。

正直、変な風に目立ってる人がいて、嫌だなぁ、と思ってしまってた時「あ、これが突出したカッケー個性なのかな、」なんてかんがえて、所詮自分も無意識に『平均値』を求める側の人間だなとは感じました……

均一な六角形はいいなぁ、突出した部分があるのはいいなぁ、と結局ないものねだりなのかもしれませんが、それぞれ自分を探すことが大事なんだと今回強く思いました。


長すぎたので終わります()
個人の意見もりもりを読んでくださった方、ありがとうございました…

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