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目標設定セミナー

先日、目標設定に関するオンラインセミナーに参加した。第一線で活躍されている9名の先生方のお話が無料ということもあって、受講者5000人弱のビッグイベント。私はリアルタイムで思ったこと等ツイートしていたが、即いいねを押してくれる人がいたり、講師の先生方から返信頂けたり等、リモートでも繋がっている感覚があったし、何よりも楽しかった。

私が目標設定に興味を持ったのは、急性期における作業療法のアイデンティティクライシスが原点だった。〝急性期から対象者の生きがいを大切にできるような作業療法士になりたい〟と思った学生時代。就職してから医学モデル思考が強い環境で、悩んで迷って手にしたのは「作業で語る事例報告」だった。そこで作業療法の説明と面接、目標設定の重要性を知り、普段の介入で少しずつ意識するようになった。

それから臨床において目標設定の重要性を肌で感じるようになり、ADOCのpaper版をまずは自分の介入で取り入れ始め、paper版使用した事例報告をし、ADOCアプリ版を導入するところまで至った。今は少しずつ自分以外の作業療法士がADOCを使って対象者と会話をしている場面や、目標設定に関して自分に相談してくださる機会が増えており、嬉しく感じていた。

そんなタイミングで今回のセミナーを受講した。

各先生方のお話を聞いて、〝実際に臨床でこういうこと気をつけてみよう〟〝この分野のこういうところまだまだ勉強しなきゃな〟という様々な発見があったのは勿論だが、一番強く印象に残っているのは上江州先生の最後の言葉である。

*以下枠内、リハテックリンクス 作業療法におけるシチュエーション別目標設定の実際  身体障害(生活期)上江洲聖先生の資料より引用 

目標がなくても利用者は生きるし、目標のない支援をしたって誰にも文句言われないし、自分が苦しむことないし、利用者にリスクはないし、もう何も考えなくていいんじゃないかって思うけど、亡くなった時にそれで良かったのかなって、いつも考えるし、どうせすぐ忘れるからイイんだけど、忘れていいのかよって悩むくらいなら、やってみようじゃないか。

核心を突かれたような気分だった。その通りなんだよなぁ。

正直自分がこんなに考えなくても対象者は生きるし、治療さえ終わって全身状態安定すれば急性期病院は退院となる。対象者が大切にしている作業や目標に焦点を当てなくても、離床を進め、ADLが改善するように働きかけてさえいれば、業務をこなすことはできてしまう。実際に業務をこなすタイプの方がはやく仕事を終わらせ、プライベートの時間をしっかり作って、楽しそうな生活を送っているように見えてしまう。決してそのような姿勢を否定したいわけではないが、恥ずかしいことに、こんな妬みのような気持ちさえ生まれてしまうのだ。

迷い続けたからこそ、できることがあるんじゃないか。パパね、今日、いい仕事したって言いたいよ。

結局はこれなんだ。私の場合はまだ守るべき相手はいないから、「いい仕事をしたよ」って言いたい相手は他者ではなく自分自身だけど。

〝対象者が自分らしく生きていく為に目標設定について学びたい〟という思いはあるが、その気持ちが私の原動力の全てではない。自分自身に「いい仕事をしたよ」と言う為に、私はこれからも迷って悩んでを繰り返すだろう。対象者のためにも、自分自身のためにも「やってみよう」と踏み込む姿勢を忘れませんように。



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