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自分を見つめること

ここ最近急になんか辛いなと感じることがあった。きっかけがあったわけではない。院内勉強会のために文献を読み込むことと、大学の課題、臨床での調べ事、Web 学会の閲覧等に追われていた。考えなければいけないことだらけだった。

最初は全部〝したい〟作業だった。でもここで追われていた、と表現している時点で知らないうちに自分の中で〝しなければならない〟作業に変化していた。自分の作業バランスが傾き始めて、しなければならない作業の連続に疲れてしまったように思う。

新進気鋭やできる人の条件•特徴として、常に機嫌が良い、並外れた努力ができる、努力が当たり前(努力と感じない)、自分のためにならない社会上の付き合いは断る等、目にしたことがある。記憶は曖昧だけども。

自分も新進気鋭になりたいと思っていた。interesting があれば何でも頑張れるだろうと思い、ステイホームになってから休日の勉強時間が増えた。業務後自分が勉強している中で、遊びの予定を話しながら帰る人達の声を聞くと、私は作業療法の世界で生きていくんだからここは踏ん張る時なんだ、と自分に言い聞かせていた。(楽しそうな人達に嫉妬抱いている時点で、もう新進気鋭から程遠い。笑)

そんな時にTwitterで見つけた言葉。LAMP IN TERRENのボーカルの松本大さんが呟いていた言葉が、今の私にはグッときて、そうなんだよ!!といいねを連打したいぐらいに、見事に言語化されていた。

未だに外出自粛の空気が漂う中、それを有意義に過ごすために「自分を見つめ直す期間にしましょう」と色んなところから聞こえてきたが、自分を見つめすぎてしまえば今度は「どれだけ愛されたかったか」という類のものが膨らみ、結局は足りないものばかり気になってしまうと思う。その空気に後ろめたさを感じつつ、最近は外に出る機会も多くなったけれど、あの期間を通っただけで世の中はすごく変わったと思う。少なくとも僕の目に映る景色の中では自分を必要以上に責めたり卑下する人が増えた。所詮、衣食住のどれでもない僕ら音楽家。煽るだけ煽って責任取れるわけでもない。だけど、自分の内面を磨こう、改善しようという世の流れにどうしても心から頷く事ができない。ひとりで変わっても意味ないんだ。誰かと生きていかなきゃ続いていかないんだから。かくいう俺もこれまで死ぬほど自分と向き合った歌詞しか書いてきませんでした。自分の小さな生活に自信が持てなかったから。だから目線を変えたんだ。もっと誰かと話したい。世界に触れたい。柔らかい気持ちで受け止めたい。もっと自分の話をしたい。こんなもの見たよ。これが面白かったよ。素敵だと思ったよ。誰それの言葉に感動したよ。たくさん聞いて、たくさん話したい。そういう人でいたい。

このnoteという場で私は自分と見つめ合い、向き合ってきたつもりだ。見つめ合うほど、足りないものに気づいて、ちょっとでも高みを目指そうとする。やがて、やらなければならないことが山積みになり、辛くなる。

急に作業療法から離れた世界に触れたくなった。休日に1人でゆっくりランチして映画見て。優雅だなと思った。やらなけばいけない作業は何一つ進んでないのに、凄い満足感だった。

でも次の日働いて思った。私やっぱり作業療法の持つ力を信じたいし、好きだし、めちゃくちゃ悔しいし、離れられないや。

見つめるべきはきっと僕じゃなくていい。初めから他の誰でもないはずだから。例えば間違えだらけでも良い。この目に映った光を追いかけて。(EYE/LAMP IN TERRENより引用)

もうちょっと楽になろう。


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