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思い出話にお付き合いください笑

39年前の5月20日。
4歳のかんなちゃんは父母のもとを離れ、
家から80kmほど離れた、1週間に8日曇ると言われるほど曇りが多い町で入院生活を始めることになりました。


ちっちゃいときは、泣いていた記憶しかない。
看護師さんや同じ病棟のお姉さんたちに
「また泣いてる!」
って言われてたことばっかり覚えてます。
なんてこったい笑


若い頃は、自分のつらかったことばっかり思い出していたわたしも、大人になるにつれて、当時の父母の心境を思うことが多くなりました。


わたしが4歳のとき、父母はまだ20代半ば。
かわいい(笑)娘を喜んで手放したはずがない。


そう思うと、泣けてきます。


もう少し大きくなってからの入院でも…とか、
地元で学校に行かせた方が…とか、
いろんな選択肢はあったと思います。

父母も、ずっと「これでよかったのかな」って
迷ったり悩んだりしてたと思うし、わたし自身も迷ったり揺らいだりしながら、ここまで過ごしてきました。


結果、いま、幸せです😊


先の選択肢も含めて、
小さい頃の決断は親がしないといけないけど、
その後の人生を決めるのは、結局、自分です。


毎年5月20日は、
付かず離れず、でもちゃんと見守ってくれた父母に「ありがとう🥹💕」と思う日。

そして、べそべそしてた4歳のかんなちゃんに
「幸せになれるよ、大丈夫☺」
ってよしよししてあげたい日。


入院前夜に撮ったらしいもの。
入院するとかわかってないはずなのに
せつない顔です😭
だけどパーマン🤣笑笑
この頃は、まだ多少歩けていました。

いつも愛読している岸田奈美さんのnoteで、弟さんをグループホームに送っていく行きと帰りのお話を読んで、見送る側の思いを垣間見ました。

すべてが同じ条件ではないけれど、読んでいて
「そうだよね、送る側も心はゆらゆらだよね」
と思って、勝手に共感したといいますか…笑

わたしを病院に入れる決断をしたとき、入院させた日、帰省が終わって病院に戻る日…
そんなときの父母のゆらゆら、ぐらんぐらんしたであろう心に思いを馳せました。


その流れで、5月にFacebookに投稿した記事を、noteでも読んでもらいたくなりました😅
(若干加筆修正しています)


がんばったね
えらかったね

と言ってほしかった子ども時代のわたしと、物理的距離はあってもわたしを本当に大切に育ててくれた父母や祖父母たちを、心の中でよしよししてもらえると嬉しいです☺️笑


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