とある元ライトノベル作家の備忘録②
それでは自分語りをはじめます。
まずは、どうして私がライトノベル作家を目指したか。
そこからかよっ!――とツッコミされそうですが、前フリというか、この後の伏線ですので…。
ライトノベルを書き始めるきっかけ
小学校時代の私はボンボン派でした。
知っていますでしょうか、コミックボンボン。
かつてコロコロコミックとコミックボンボンの月刊児童漫画雑誌の覇権争いがばちばちに繰り広げられていました。しかしコミックボンボンは少数派で、どちらかというとラインナップもオタクよりだったかもしれません。
レジャー系、玩具系に富んでいたコロコロに対し、ボンボンはガンプラをメインに扱っていたこともあって、ちょっと上の世代の影響が濃かったように思います。
ですが、私は当時の漫画にものすごく惹かれていました。
『王ドロボウJING』『おきらく忍伝ハンゾー』『ロックマンX』『がんばれゴエモン』『ウルトラマン超闘士激伝』そして平成ガンダムの漫画…。
年がバレますねー。
とりわけロックマンの漫画にドハマリして、なぜかこのとき「ロックマンの漫画が書きたい!」と思い至ったのです。なぜかはわからないけど、自分が思うロックマンを書いてみたくなった。
早速画用紙に下手くそなコマ割りを書いて、ロックマンを書いて、敵キャラを書いて――なんじゃこの下手くそ。
絵は書ける方だと思っていた私は、正面以外の人型を書く難しさ、背景を書く難しさを舐めていました。しまいには母親に覗き見られて「もうちょっとうまく書いたら?」と言われる始末。
私の意欲はここでプッツーンと切れました。
漫画家への道、完。
――しかし、この者の創作魂はまだ終わっていなかった!!
新劇場版:ライトノベル作家への道 制作決定!
…余談ですが、親が子に言ったことはものすごく深く刺さる上にこのようにモチベーションを叩き折ることになるので、皆様ご注意ください。
さて、小学生から中学生にあがり、ボンボンとコロコロを愛読していた若者もジャンプ一色になります。るろ剣おもしれー封神演義おもしれー。
しかし漫画を書いてみようと思ったときから癖になった空想癖を抱えて、若者は成長していました。周囲には黙って、今でいう俺TUEEE物語を授業中に妄想してぐふぐふしていました。完全に中二病です、本当にありがとうございました。
そんな折に友人から一つの本を紹介されます。
「ブギーポップって言うんだけどさ。面白いから読んで」
そう、今や伝説的な作品として名高いライトノベル作品でした。
でも、小説。
小説なんて、読書感想文で読まされるような固くて妙に道徳的でつまんないやつだろー?なんて偏見ばりばりでした。もちろん小説を読んだのは国語の授業か、読書感想文のみ。
それでも友人が面白いと言ってくるので、そいつを信じて家で読んでみました。
――なんじゃこれ。読みやすい。それにシリアスで、オカルトで、謎解きの面白さがあって、登場人物に共感できる。
私にとっては衝撃でした。小説って読めるんだ(?)。
ふーむ、これはいい暇つぶしになりそうだ。
ほかにこういうのないの?と友人に聞くと、そいつはやはりライトノベルを持ってきました。
「ラグナロクって言うんだ」
へー、と持ち帰って読んでみる。
――なんじゃこれ。すごいバトルだ。魔法とSFが組み合わさってる設定も好みだし、なによりキャラクターが格好いい!
友人の言葉に偽りはありませんでした。
ライトノベル――当時からこう呼ばれていたかは記憶が曖昧なのですが、それが私とラノベの出会いでした。
その後、自分の運命を決定づける作品と邂逅することになります。
ライトノベルに興味を持った私は、本屋に行ったときにふらっとライトノベルコーナーに行きます。それまでまったく立ち寄ったことがなくて、どんな作品があるのか分からないまま覗いたその棚には、決して多くはないけれど、でも様々なライトノベルが置いてありました。
当時なのでおそらく電撃文庫、角川スニーカー、富士見ファンタジア、の作品がメインだったかと思います。
その中で電撃文庫の作品が多く陳列されていました。
書店というのは棚を作る人間だったり、売れ行きや顧客層に合わせて発注する書籍を決めます。なので電撃文庫が多かったのは、そういう顧客層が偶然多かったのかもしれませんが、一方で電撃文庫の勢いが増している時期でもありました。
私はその中で、一冊の本を手に取ります。
タイトルは「ダブルブリッド」。
なんとなく目を引く表紙デザインだったのと、あらすじに惹かれました。「アヤカシ」と呼ばれる少女のような見た目の女性警官と、アヤカシを毛嫌いする若手警官がバディを組んだ物語。
警察モノというのは小説の中で一定の需要があることは後に知りますが、当時の私は全然読んだことがない分野だったので、興味本位に購入。
帰宅して、早速読み始めました。
――へー妖怪をアヤカシって言い換えてるんだおしゃれ。なるほど妖怪が世間に認められた設定なのね。ふむふむ……うおグロ!、でも面白!熱っ!面白!激アツ!うお悲し……ちょ、ま、悲悲悲悲悲悲感涙。
読み終えた時、人生で初めて、物語を読んで泣いていました。
速攻で2巻を買いに行ったことは言うまでもありません。
こんな風に物語で心を揺さぶられた経験のなかった人間が、物語で心を揺さぶられ、おまけに空想癖を持っていたらどうなるのか?
作家を目指すのは当然の帰結だったかもしれません。
漫画家を速攻で諦めた人間ですが、字は書くことができる。必要なのは原稿用紙だけ。
もしかしたら自分でもこんな感動する物語が書けるのではないか?
そんな軽い思い込みから、100円ショップで400字詰め原稿用紙100枚綴りを3つほど買って、勉強机でそっと書き始めてみたところ。
――か、書ける!私にも書けるぞ!
謎の興奮が押し寄せて、気づけばずらずら文章を書いていました。
国語は好きでも嫌いでもない、いやどちらかというと苦手な人間が、文章を書くことができている。脳内の空想を出力しているだけでしたが、だからこそ文字に起こすだけの作業だったとも言えます。
そうして10枚ほどをあっという間に書いてしまった私は、こう思いました。
「あっ、ラノベ小説家になろ」
その日の夜はなんだか興奮して寝付けなかったことを、今でも覚えています。
ライトノベル作家になるまで
かくして中学生にしてラノベ作家を目指すことにした著者です。
まず作家のなり方を調べます。
どうやら新人賞に受賞するとそのまま出版できるらしい。
電撃文庫は新人賞を開催している。「電撃ゲーム小説大賞」というらしい。
ダブルブリッドを出版した出版社で出版できるかもしれない。
よしここだ!
まずは1作品書き上げるところから。
脳内空想物語を原稿用紙にしたためます。これはそんなに苦労しませんでした。だって頭の中に物語があるから。
ただ、自分の手書きは致命的に汚いので、これを送るわけにはいかない。そこで父親のノートPCを借りてWordで打ち直し、印刷することにしました。
余談ですが、早い段階から文章を書くことに慣れていたおかげでタイピングが凄くはやくなったのでお得でした。
印刷した1作品目。これを応募要項通りに整えて郵送。
さて、どこまでいくかな?いきなり受賞もありえるかも?
わくわくしながら1次審査の結果を待ちます。当時はインターネット環境がここまで充実した状況でもなく、ほーむぺーじなんて言ってる時代だったので、結果を見るにはラノベ単行本に挟まれた折込チラシを見ていました。
新しく買ったラノベのチラシをそっと確認し、自分のペンネームがあるか確認……………………………………………ない。
うん、ま、そうだよね。
初投稿だし、そんなもんだよね。
あー中学生作家になれたのになー。
1回目だったからかあまりショックは受けず、私は次回作に取り掛かります。
いま思うとほんとどこからこんな自信が湧いて出てきたのだか…。
翌年の応募に向けて、私は本腰を入れることにしました。
目標は3作品書き上げて応募すること。
休みの日は暇を見つけてはずっと書き続けました。この頃は高校受験も控えていたのでほんと危ないことをしていたものです。
そうして3作品を応募し、見事!
3作品落選。
1次審査も通りませんでした。
あるぇー?
と首を傾げながらも、私はめげずに執筆を続けます。
高校時代は割とずっと書いていたと思います。
小説を書いていることは秘密にしていましたが、漫画家を目指す同級生と意気投合してからはお互いに創作話に花を咲かせました。
それはそれで楽しかったものの、1次審査落選ばかり。
加えて、ラノベ作家になるんじゃい!と盛り上がっていたせいで勉強はそこそこしかやっていなかった。
当然、受験大失敗。3年生から本腰を入れても手遅れでした。
こうして何にもなれず、高校生活は終わっていきます。
皆さんは受験対策、ちゃんとしましょうね…。
迎えた大学生活。滑り止めで受けていた大学に行って、一人暮らしを開始します。
大学時代はとても楽しい経験でした。飲み会、サークル活動、バイト、車、2ちゃんねる(暗黒微笑)などなど、全部新鮮だし自分の自由でした。
もちろんこの間も新人賞に応募し続けています。電撃文庫一本狙い。
電撃文庫は毎年7月に1次審査の結果が発表されます。
実は7月10日に大体発表があるのですが、よくご存じの方もいらっしゃるかもしれません。この日は心臓が口から飛び出そうなほど緊張する日でした。
しかし、1次審査に通ることはない。
毎回、1次審査落ち。
なぜ?どうして?脳内物語を忠実に書いているのに?自分はこんなに面白いと思っているのに?
どうすればいいのかわかりません。
――もうお気づきの方がいらっしゃると思いますが。
この作者。
プロットを作ってないんです…!
プロットというのは物語の設計書です。
キャラ、設定、ストーリーライン、イベント、伏線などなど。重要な要素を破綻なく構成できているか、作品の魅力がどこかを言語化する、という役割があります。最初に決めておけば迷うこともありません。
ですが、衝動的に脳内物語を書き始めた経緯から、プロットというのが何たるかを理解しないままここまで来てしまったわけです。
今でこそネットを検索すれば創作技法はわんさか出てきますが、当時の作者はあまり気にしなかったことと、設定などを書き出す作業がまどろっこしくて、書き方を見直すことをしませんでした。
つまり、何が面白いのか、を他人に伝える努力を放棄しているとも言えます。
プロットを作ってない人もいる?
それは存在すると思います。でもそういう人たちは、膨大な量の物語を吸収して物語の構築パターンが分析できている人か、自分の作品を友人知人に話して良いところ悪いところを整理できていたのではないでしょうか。
残念ながら私はどちらも当てはまりませんでした。今だったらネットにあげて色々言われながら学習していったかもしれません。
そうこうしているうちに大学生活も終わりを迎えます。
就職する時期が来ました。
ラノベ作家になれば作家で食べていけるかも、なんてほのかな期待を持っていた私ですが、そんな大逆転なんて無いわけです。
就職するしかない。
就職したら忙しくて書けないかもしれない。
学生のうちに結果を出しておきたかった。
色々なことを考えつつも、かといってニートになるわけにもいかないので、渋々就職します。
新人社員時代。
色々あったんですけど書きたくないくらいの体験だったので省きます(暗黒微笑)。
その後に転職。新人時代のせいで人格が擦り切れ、かなりクレバーな面が現れ始めます。喰われる前にやれ。舐められる前に結果を出せ。黙っている=認めたってことだ何か言え。
鍛えられたシャカイジンになりはじめた私ですが、一方で膨れ上がる願望がありました。
「おら小説家になりてぇ!小説家になってこんな生活とはおさらばしてぇ!こんな人間関係解消してやんだ!」
シャカイジン生活があまりにも嫌すぎて、小説家への熱が冷えるどころか増すばかりでした。
とはいえ万年1次落ち。
このままでは時間だけが過ぎていく。学生と違ってシャカイジンの時間はすぎるのが早い。無駄にはできません。
私は創作技法を見直すことにしました(遅すぎる…)。
創作本を片っ端から買い漁り、読みます。大学時代から始めていましたが、様々な作品の姿を知るために映画をたくさん観ます。
物語のパターンはほとんど開発され尽くしている、とどこかで見ました。つまりストーリーというのは流れはほとんど同じで、その肉付けが特徴になっているわけです。
映画をたくさん観ていると、なんとなくストーリーラインは同じで、どこに差が生じているのか、が見えてきます。たとえばホラーなんかは出だしと終わりにそこまで差はありませんが、個別の作品の違いをあげろと言えばものすごくたくさん出てくるでしょう。
それこそが「作品の売り」になる、となんとなく理解できるようになりました。
さて、ここまで電撃文庫一本打法の作者。
憧れの出版社で作品を出したいのはやまやまですが、なにせ新人賞は年に1回のみ。落選したらまた1年後です。さすがにそこまで待つような年齢的余裕はない。
じゃあもう一つ、別の出版社に応募しようか、と検討した結果に上がったのが小学館のガガガ文庫でした。
ガガガ文庫は電撃文庫よりも後発のラノベレーベルですが、青一色のカバーで統一され、刺激的な創刊ラインナップで話題になりました。ほうほう、と気になって何冊か買ってみました。結構琴線に触れる作品があったのでお気に入りのレーベルになっていました。
そんな折、「されど罪人は竜と踊る」という作品が刊行されます。
「なに!?され竜だと!」
この作品は当初角川スニーカー文庫から刊行されていたものの、5巻以降は途絶えていました。その作風は重厚な世界設定とエログロお構いなし容赦ない展開と頭脳戦要素もあって、私は当時からファンでした。
され竜を扱ってくれるレーベルなのか!いくっきゃねぇ!
ということで応募開始。
初回――三次審査落選。
んおお!?急に!?
万年1次落ちの身としては驚異的な進歩でした。マジか。
落選者に送られてくる評価シートにも、納得の行くコメントが書かれています。なるほど、ここがだめなのか、とすんなり受け入れられます。
どうやらレベルアップはしてきてるみたいだ。
そんな実感を元に電撃文庫に応募し――1次落選。
なんでじゃい!!
レベルアップしとるんじゃないんかい!!
どうにも自分の実力がよくわからないものの、ここが自分の作品の売りだよ、と伝えられるように考え、物語を書いていきます。
あ、ちなみにここでもプロットは作ってませんてへぺろ。重要なのはわかったけどだって面倒なんだもん。
これが後々に大変なことになるんですけどね…。
そうして2回目にガガガ文庫へ応募。続いて電撃文庫に応募するため、次回作の執筆に取り掛かり始めます。
そんな折、電話がかかってきました。
『ガガガ文庫の編集部です。あなたの作品が最終選考に残りました』
電撃文庫さん全然振り向いてくれなかったね。でも私、ガガガ文庫で頑張るから。お互い、元気でね――。
――このようにして、私の作品が世に出ることとなりました。
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