人間、知りすぎない方が幸せだなぁ

「選択肢はいくつだってある」
「比較してなるべく良いものを選ぼう」
…こんな生活にはもう疲れてしまった。

僕は地方都市に住んでいる。
コンビニやスーパー、ニトリにユニクロ、無印良品…など生活に最低限の「インフラ」は整っている街だ。

しかし、最先端へ臨むには少々タイムラグが生じる。
例えば、ブランドの新商品がリリースされたとしても、
僕の街に届くのは数ヶ月後で、いち早くその実物を拝むには東京へ出なければならない。

東京という街は素晴らしい。
僕の街には2~3軒しかないような専門店が何十…いや何百とある。
もう選び放題だ。
ただ、東京って遠いな…。

いやいや、密林の通販サイトがあるじゃない。
インターネットは世界中に渡っており、世界中から品物を選び放題だ。
「僕の街のショーウィンドウにはこれっぽっちしかなくて…」
とはおさらばだ。

過去の「偉人」たちは後世の僕たちに自由という贈り物をくれた。
おかげさまで無限の選択肢が当たり前のように与えられている。

現代社会は素晴らしい。
家に縛られず、自由に職業を選択でき、
愛さえもネットで選び放題、
自分の顔が気に入らなければメスを入れ、
住む場所が気に入らなければ、飛行機で逃避行…

あるかどうかも分からないような理想を追い求めていく。

ああなんて自由なんだ。

…自由というのは実にめんどくさい。
自由の大海原を切り開いて進んでいくには知性と体力が必要だ。
だが、僕がそんな方位磁針と船を持ち合わせているわけがない。

その大海原から「最適解」の宝島を見つけなければいけない。
電車の中吊りやスマホの画面、書店の平積みに至るまで「最適解を探しましょう!!」とうるさくて仕方がない。

そんな面倒なことは辞めて、
さっさと難破して、GPSも吹っ飛んで、丸太に掴まって、ぷかぷかと浮かんでいった先の島で、
「あ〜僕はここで生きてくしかないんですね」
となればきっと楽だろう。
隣の島がどうだとか、宝島がどうだとか、そんなことは忘れてしまえばいい。
その島の風に吹かれ森の色や海の音、花の香り、風土の味を楽しんでしまえばいいのだ。

隣の芝は青い、いや何軒先の向こうの芝まで見渡せてしまうこの世の中、
自分の庭の乏しさを嘆いては理想を追いかける。
…隣を見なければいいのに。ただ目の前の庭の美しさを拾い集めて悦に浸っていればいいのに。

自由競争なんてやめて封建社会や戻ろう、とは言わないが、
あまりに自由で、知りすぎてしまう世の中はだいぶ生きづらい。

…と日曜のこの時間はしょうもない妄想に耽ってしまう。

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