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会社4日で辞めてしまう

大学4年の12月、いろんな人から引っ越しの相談をされ、私は鼻の穴を膨らませながら相談にのっていた。なんて言ったって、就職とともに関西から上京する私は10月から東京に部屋を借りていたのだ。もう新生活の準備は誰よりも早くに完璧に済ませていた。
「どこら辺が治安いいの?」「家電全部でいくらぐらいかかった?」「電車ってどの線が一番混むの?」「今日の飲み会東京からきたん?」
不動産会社に勤めている気分で一人一人の相談に丁寧にのった。みんなの中で私は東京に住んでいる東京都民となっていた。そりゃそうだ、10月から部屋を借りている。
でも実際は、2回しか東京に行ってなかった。
1回行って寂しかったのだ。知り合いがおらず、家でも家族がいないのでひとりぼっち。東京滞在中、毎日母親とビデオ電話するたびに画面に飛び込んで家に帰れたらいいのにと本気で思っていた。

そして、卒業式が終わった2日後、母親、親戚と涙の別れをして東京へ向かった。

東京の家に着くともちろん真っ暗で誰もいない。毎日ここで過ごすのかと急に寂しくなった。家は代々木公園の近くで、新宿は電車で5分、渋谷は3分と場所は最高であった。ただ、問題は私が重度の引きこもりであることにあった。大都会である新宿と渋谷の楽しさが全く分からないのである。そのため、家から出ることは少なかった。

とうとう4月1日。入社式の日を迎えた。エンジニアとして、〇〇ヒルズの上場企業に就職。母親の安心感を感じて私も嬉しく思っていた。
”どんな言語を扱うんだろう。” ”どんな研修内容だろう。”
ワクワクでいっぱいだった。同じグループの人たちもいい人しかいなくて安心感MAXだった。

しかし、ワクワクは研修部屋に入ってから少しずつすり減っていった。
ずっと講義だったのだ。
普通そうだよという人がほとんどかもしれない。しかし、私には問題があった。長時間座っていることができないのである。講義内容は書けないが、エンジニアとは無関係で本当に辛かった。そして狭い席でみんなと同じような服装で座り続け、人事には寝てないか、姿勢が崩れてないか監視されていて、自分が機械のように思えてきた。そして、日直というものが存在し、講座が始まる前にマイクなしで100人越えの部屋で号令をかけるのだ。集団行動の学校に戻ってきた気分だった。これは仕事に何の関係があるのだろうか。自分を押さえつけられる感覚で呼吸が苦しくなっていった。1分1分経つのがとても長かった。研修が終わったら解放されるから大丈夫と思っていたが、次の日に別の問題が起きた。
腰を痛めたのである。
普段は昇降机を使ってアプリ開発等の仕事をしていたため、腰を痛めることはなかった。しかし、研修は昼休み以外ほとんど休憩時間がなかったのである。腰が限界を迎えていた。

そして3日目の帰り道。腰に激痛が走ったのである。ものすごく痛かった。痛すぎた。もう無理かもしれない。
その日の夜、さらに経験したことのない症状が出てきた。
過呼吸になったのだ。息が苦しくて過呼吸になり、自然と涙が出てきて「もう帰りたい」を連発していた。今までの人生で過呼吸になったことがなかったのでパニックだった。呼吸するのに必死で一人ということもあり怖くて仕方なかった。その日は、心配させたくないと思い、毎日電話していた母親と会話するのは止めておいた。

4日目。朝、母親から心配のLINEが来ていたが、返す余裕がなくそのまま出社した。そして会社につき、硬い椅子に座ってから腰に痛みが走った。これが今日一日続くと思うととてもしんどかった。しかし、保険証はもらえてなかったので病院に行くこともできない。我慢して一日をなんとか乗り切ったが本当に痛かった。仲良くなった同期は転職サイトを見ていた。

4日目の夜、母親と電話した。「今日どうだった?」と聞かれたので話そうとしたら急に過呼吸が始まった。”やばい”と心の中で焦る。しかし、過呼吸はエスカレートしていき、涙が出てきて、嗚咽で話すことも困難だった。自分でも驚いた。母親も驚いていた。今までこんなことはなかったのだ。
母親は、過呼吸が落ち着いた時にこういった。
「辞めてもいいんだよ」
今までの症状が完全に落ち着いた。本当に申し訳なかったけど、そうすることにした。

人事と電話し、退職届を提出した。半年前から家賃を払ってやる気満々で上京してきたが、4日で辞めるという一番避けたいことをしてしまった。本当に自分にがっかりした。

私は昔から、集団行動が苦手だった。一人がミスしたら集団責任、気をつけ、礼で始まる授業。揃ってなかったらもう一度やり直し。私には意味が全く分からなかった。
「先輩には無視されても挨拶をしてください。」と会社では言われたが、それも納得できなかった。

私は昔から、人と同じことができないことが多々ある。
辞める際に人事に言われた

「他でも無理だよ」

そうだよな。ちょっと思った。
しかし、母親にこのことを話すと

「世界中の会社で人事をしたことがあるんかそいつは」

この言葉で、春休み中にしていた企業のVRコンテンツ研修のトレーナーはとても楽しみながら働いていたし、アプリ開発はずっと楽しくしてるし、イベントで仲良くなった企業の人に仕事を依頼されたりしていたことを思い出した。

社会のレールはたった4日で外れてしまったし、半年間払った家賃代もとてももったいなかった。でも、いい経験になった。というか知り合いのネタになってしまっている。関西人には美味しい話題なのかもしれない。この話はすでに関西の知り合いに届きまくっていた。

「お帰りなさい」といろんな人に言われた。自分のホームに戻っていく。
ここから再スタート。学生時代に起業した会社に戻り、休みなしの開発がスタートした。
嬉しいことに本当に毎日楽しい。収益はまだ少ないが…


追記
この経験を脱出ゲームにしちゃいました。興味ある方はぜひ遊んでみてください。
https://apps.apple.com/jp/app/%E6%96%B0%E5%8D%92%E4%BC%9A%E7%A4%BE%E8%84%B1%E5%87%BA%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0/id6503326052


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