正義と正義感
正義感とは。
空白という映画を見た。
スーパーで万引き現場を目撃された中学生が、店長に追いかけられてる最中に事故に遭って亡くなって、そこから始まる物語だ。
この映画はめちゃめちゃ色んな人に見てほしいんだけど、誰彼構わず勧められるような映画ではない。勧めたいんだけどな。
その中で登場する正義感の店員がかなり良すぎたので、正義感に絞って書いていく。
正義感は一般的には良い言葉として使われることが多いが、この映画での正義感は良くない言葉として使われている。映画を見て良くない正義感と思わなかった方もいるかもしれないが、私は良くない正義感だと思った。
自己の正義感を第一に考えて、他人の正義感は間違っていると考えて排斥する。そもそも間違っているのは自分なのかもしれないのに、今まで生きてこれてたんだから正しいんだと盲目的になって正常な判断ができない。
判断ができるはずもない。自己の正義感が間違っているはずかないと思いたいだろう。他人には指摘できたとしても、客観的に自己の正義感と他者の正義感を比較する事はできないはずだ。
仮に比較ができたところで、どちらが正しいかなんてわからないとも思う。自分のうちに留めておくならばどちらも正しい。しかし、それを他人に強要した瞬間に正しい行動ではなくなる、と思う。
正しさの強要は、強要する側は当たり前だと思っているから拒絶する側の立場になって考えることは難しい。
正義感と似たような言葉で、正論も同じだよな。
正論は正しい、だからこそ辛辣だ。最短で効率が良いのだから、人生がタイムアタック形式であるならば正論のゴリ押しでなんとかなるかもしれないが、そうもいかないのが人生。
そこには感情があるから、最短で効率がいい行動を選ばないのには理由がある。自分にとっては筋が通らない理由だとしても、相手にとっては筋が通る理由なのかもしれない。
自分にとっての正義は大事に持っておきたいと思う。一方で、相手に強要する正義感をとった行動は控えようとも思う。
ただ、その我の強い正義感がある人によって救われる人がいるというのもあるだろうから、状況に応じて選べるようにたくさんの失敗を重ねていくしかないのだろう。
難しい。
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