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ファイト~本当の敵は。

昨日の話である。

ライブに行く前に、私は明治神宮に行った。
と、そこで、私は、お酒を飲みすぎたらしき旦那さんと、付き添う奥さんらしき御夫婦に遭遇したのである。

なぜ、飲み過ぎらしいと思ったかというと、その旦那さんが千鳥足で地面に座り込み、奥さんが、慌てる様子もなく、起き上がらせようとしていたし、道行く人も、立ち止まる事なく、通りすぎていったからだ。

そして、そこに通りかかった私も、やや受け身(「助けて」と言われたらお手伝いする)で、心配そうな表情を浮かべながらも、その場をゆっくり立ち去ろうとしたのである。

だが、その時、通りかかった男性の外国人観光客の方が、
心配そうに「Are you ok?」と声をかけ、「お医者さん、呼びましょうか」と聞いたのだ。

日本という彼にとっての外国で、彼は臆することなく、伝わるか分からない英語で話しかけ、真摯に助けようとしたのである。

それを見ていた、日本人である私は、ハッとし、情けなく、恥ずかしい気持ちになった。

結局、座り込んだ旦那さんも大丈夫そうだったし、奥さんも「OK」と返事してたので、どうやら、大したことなかったらしいのだが、心配そうにその場を立ち去った彼の後ろ姿を、こっそりと見届けた私は、そのあとしばらくの間、「なぜ私は、声をかけなかったのだろう」と考えていたのである。

そんな気持ちを抱えたまま、私は竹原ピストルさんのライブに行き、そこで、竹原さんがよく歌う中島みゆきさんのカバー曲「ファイト」を聴いた。

私、本当は目撃したんです
昨日電車の駅、階段で
転がり落ちた子どもと
つきとばした女の薄ら笑い
私、驚いてしまって
助けもせず 叫びもしなかった
ただ怖くて逃げました
私の敵は私です。

(中島みゆき ファイトより)

この歌を聴きながら、私はひとり、明治神宮でのさっきの出来事と、シドニーでの昔の出来事を重ね合わせるように思い出していた。

今まで、あまり人に言ってなかったが、(私の嫌な人間性を露呈してしまうのが怖かった)ワーキングホリデーでシドニーにいた頃、私も歌詞に出てくる女性と似たような経験をしたのだ。

時は遡って。

私は、ある夜、シドニーの郊外の道を一人で歩いていた。

と、その時、私の少し前を歩いていた女性が、曲がり角で待ち受けていた引ったくりに、バッグを取られたのを目撃してしまったのだ。

そして、引ったくられた女性は、動揺しながら、街中の方へ続く道の方へ猛スピードで走っていき、私はただただ、怖くて、びっくりしてしまって、何にも出来なかったのである。

そう、あの時の私も、ファイトの歌詞と同じで、助けもせず、叫びもしなかったのだ。

あれから、年月が経っても、未だに私は、自問自答することがある。

なぜ、私は何もしなかったのだろうと。
いや、何もしようとしなかったのだろうと。

そして、時は昨日へと戻って。

私は、あの頃から変わっていなかった事を、また突きつけられたのだ。

そう、あの時も昨日も、それらしい言い訳をして、何もしようとしなかった自分の傍観者意識の恐ろしさを。

そう、私は、能面のような顔をした傍観者だったのである。

あの時も昨日も、そうだったのである。

だから、昨日もあの時も、助けようとしなかった事に対する後悔は、これから先も「ファイト」を聞くたびに、私の眼前に叩き付けられるだろうし、それで良いと思っている。私への戒めのために。

そして、そんな戒めという鋭い眼光で見つめられながら、私は、私の敵である私と対峙するための強さと正しさを得るために、声を出し続け、手をさしのべる練習を繰り返すしかないのだ。

たとえ、「大丈夫」と断られても。
私は、声を出し、「大丈夫ですか?」と聞き続けられる人にならねばならないのだ。

そして、いつか、私の敵が私でなくなったら、私はあの時と昨日の後悔から解放され、能面を叩き割る事が出来るだろうと考えている。

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