だから。
たまに思う。
私にも、ネイルとか指輪とかをいつも身に付けるような人生の選択はできなかったのだろうかと。
私は、自分の指が嫌いだ。
なぜなら太くて短いからだ。
爪も、ホームベースのような台形である。
つまり、最初から、私の指には、指輪もネイルも似合わないのだ。
それでも、やっぱり、太くても気にせずに、ずっと身に付けていたら、それなりにはなっていたのではないかと思うのだ。
でも、私はそうしなかったのである。
そうしようと、しなかったのである。
まぁ、今までの仕事柄というのは、勿論あるに違いないのだが。
でも、休みの日だけ、やろうと思えばできていたし、指輪なんて仕事中外せば良いだけだから、出来ていたはずなのだ。
だけど、私は、そうしなかった。
そうすることを選ばなかったのである。
と、ここは、あえてネイルではなく、マニキュアと言うが、マニキュアだって、指輪だって、つけたことは私だって勿論ある。
でも、あまりにも、不格好で、似合わなくて、嫌気がさして、すぐに止めたのだ。
と、なんだかんだいいながらも、本心では、そうするくらいなら、その分のお金や時間を別の事に費やしたいと考えてしまうのだ。
ネイルに行くより、映画をみたり、きれいな景色をみていたほうがいいと思う。
指輪を買うより、旅行に行く方が価値があると思う。
きっと、私は女性として必要な何かが欠落しているに違いない 笑。
私には、ダイヤモンドの良さが分からない。
ブランドショップとか、緊張するから、入りたくない。
とはいえ、私にも一応物欲はある。
ただ私には、ニューバランスとポーターと、無印、ユニクロ、ロクシタンがあれば、十分どころかご機嫌なのだ。
でも、ふと考えるのだ。
もし、私がネイルや指輪やブランド品に、価値を感じるような生き方をしてきていたら、どうなっていただろうかと。
ボーナスで、ブランド品のバッグを買ったり、
分割払いで、指輪やネックレスを買ったり。
セールで、ブランド品のコートを買ったり。
あるいは、記念日ごとに買ったり、買ってもらったり。
私には出来なかった生き方である。
一方では憧れながらも、求めもしなかった生き方である。
ある意味、私はめんどくさい女であるに違いない 笑。
でも、私はそうなのだ。
でも、何かを買ってもらうより、色々な景色を見せてほしいと思うし、私自身もそうしたいのだ。
品物ではなく、心に響く瞬間を共有する事が、私にとっては大切なことなのだ。
そして、私は、この先に書くべき言葉が、何かを知って知る。
それは。
タイトルへと続く 笑。
でも、やっぱり指はきれいな方がいいので、爪を磨くくらいはしてみようと思う。
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