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札幌第一-智弁和歌山 2002年夏の甲子園1回戦

春夏通じて甲子園初出場。このワードを聞くと
「ああ、新興勢力が出てきたんだ。さわやかでいいね」
と考える方も多いでしょう。

しかし2002年夏の甲子園に初出場した札幌第一は、そんな印象とは全く異なり、
「あれ、初出場だったんだ。意外だなぁ」
という感じでした。

私は1981(昭和56)年生まれですので、昭和の北海道高校野球界の勢力図はさほど詳しくありません。
ただ、私が南北海道大会などの北海道内の高校野球を見るようになった1989(平成元)年の時点では、すでに札幌第一は優勝候補の一角だったように思います。

実際、夏は1990、91年、秋は90年、99年に準優勝しており、甲子園まであと1勝というところで4連敗を喫しています。
2002年夏は決勝で、好投手・柴田誠也(のちにオリックス)を擁する道尚志学園(現・道科学大高)を8-4で破り、「5度目の正直」を果たしたのでした。
※ただし、当時2年生の柴田はこの試合では投げていません。

この代は秋は全道大会に進むも、初戦の2回戦で函館大有斗に4-5で敗れ初戦敗退。春は札幌支部予選で敗退し、全道大会には進めませんでした。
高校野球雑誌はせいぜい全道大会くらいしか取材していないのか、毎年のことながら、秋と春に全道で活躍しなかった高校には非常に冷たいもの。
私の記憶が正しければ、「報知高校野球」の夏の展望では、札幌第一は名前すら挙がっておりませんでした。

札幌第一は札幌支部予選初戦の2回戦・立命館慶祥戦で大苦戦。9回にようやく追いつき、延長戦で3-2のサヨナラ勝ちという辛勝でした。
当時30歳の青年監督だった菊池雄人監督は「あれで勢いに乗った」と振り返っています。
南北海道大会でも楽勝と呼べる試合は1つもありませんでしたが、総合力で勝ち上がった印象です。

対戦相手の智弁和歌山は、この時点ですでに高校野球界の横綱的存在。
1994年春、97年夏、00年夏と、3度の甲子園優勝経験があり、「2年前の優勝校」という後光が降り注いでいました(その後21年夏にも優勝)。
この年のセンバツでは関西(岡山)に敗れ初戦敗退でしたが、夏も優勝候補の一角でした。

2年前の優勝校vs春夏通じて初出場校ということで、大差になると考えた方も少なくなかったでしょう。
ところが・・・

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