あいけい

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北海道の高校野球・北海道日本ハムファイターズ・将棋などの本を書いています。 ブログ http://blog.livedoor.jp/ik1004/ Amazonの著者ページ https://www.amazon.co.jp/stores/author/B0BRM2WHY7

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高校野球北海道勢 平成の甲子園名勝負

北海道勢の平成の甲子園の好勝負をピックアップし、紹介するページ。 これから追加していき、38試合を厳選して紹介予定です。 駒大苫小牧の試合 2004(平成16)年夏の甲子園準々決勝 駒大苫小牧-横浜(神奈川) https://note.com/ik1004aikei/n/na09a460c3ca2 2004(平成16)年夏の甲子園決勝 駒大苫小牧-済美(愛媛) https://note.com/ik1004aikei/n/n4c0b33d710d9 2005(平成17

    • 遠軽-いわき海星 2013年センバツ1回戦

      遠軽(えんがる)町は、北海道の北東部にある人口18,000人ほど(2023年1月末現在、甲子園出場時は22,000人)の町。北見市のお隣です。 高校野球も強く、夏は2005・06年に北北海道大会で準優勝しています。 そして2011年も決勝まで勝ち上がってきました。相手は甲子園出場の本命と言われている強豪・白樺学園。前評判では、遠軽のほうが下です。 あと1勝で夢の甲子園ではありますが、佐藤貴之監督は気持ちが緩んでは勝てないと思い、「甲子園」を禁句にして目の前の試合に集中するよ

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      • 旭川工-龍谷大平安 2012年夏の甲子園1回戦

        2010年10月8日、私は札幌円山球場にいました。 またまた円山球場から物語は始まります。 よく掘り出し物が見つかるので、私は秋の全道大会の準々決勝が大好きなのです。 カードは札幌第一vs旭川工。札幌麻生球場でも同時に試合が行われていますが、円山を選んだのは単なる偶然です。たいていは、面白そうなカードがあるほうを選びます。 旭川工は1年生エースの左腕・官野峻稀が先発。直球の球速は120キロ台ですが、縦スライダー・スクリュー・チェンジアップに加えてたまにナックルボールまで投げ

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        • 札幌第一-智弁和歌山 2009年夏の甲子園2回戦

          2008年5月31日、私は札幌円山球場に出陣していました。 春の全道大会準々決勝、センバツに出場した駒大岩見沢と札幌第一の試合。 この日の最高気温は12度で、しかも秒速10メートルほどの強風が吹き荒れ、体感気温としては0度近かったでしょうか。いくら北海道といえども、もうすぐ6月になる季節としてはあまりない寒さでした。 札幌第一の先発は、2年生左腕の掛端亮冶。背番号はたしか11だったと思います。 初回の掛端はやや制球が乱れ、3本の二塁打を浴びていきなり3失点。 その後は駒大岩

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        高校野球北海道勢 平成の甲子園名勝負

          札幌第一-智弁和歌山 2002年夏の甲子園1回戦

          春夏通じて甲子園初出場。このワードを聞くと 「ああ、新興勢力が出てきたんだ。さわやかでいいね」 と考える方も多いでしょう。 しかし2002年夏の甲子園に初出場した札幌第一は、そんな印象とは全く異なり、 「あれ、初出場だったんだ。意外だなぁ」 という感じでした。 私は1981(昭和56)年生まれですので、昭和の北海道高校野球界の勢力図はさほど詳しくありません。 ただ、私が南北海道大会などの北海道内の高校野球を見るようになった1989(平成元)年の時点では、すでに札幌第一は優

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          札幌第一-智弁和歌山 2002年夏の甲子園1回戦

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          鵡川-三木 2002年センバツ1回戦

          21世紀、すなわち2001年のセンバツに始まった「21世紀枠」。困難な条件の克服や地域への貢献、文武両道など戦力以外の特色を加味し、2校選ばれる特別枠です(一時3校に増えましたが、2024年現在は再び2校に)。 野球の実力が低い高校が選ばれることも少なくないため、いまだに反対意見も根強い枠ですが、この21世紀枠が取り入れられた理由はいくつか考えられます。 何といっても春は夏に比べて入場者数がかなり少ないということ。高校野球は入場料収入が大きな収益源であり、それをもとに球児た

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          鵡川-三木 2002年センバツ1回戦

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          北照-橿原 2000年センバツ1回戦

          この年の北照は、プロ注目の上村和裕(のちにオリックス、広島)を擁する強打のチーム。 1999年12月に行われた日台親善高校野球では、桜井豊和と市川義和が日本代表として選ばれています。 出場32校中、秋のチーム打率が4割を超えたのは北照だけで、「4割打線」と呼ばれました。

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          北照-橿原 2000年センバツ1回戦

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          旭川実-久賀 1999年夏の甲子園1回戦

          北北海道勢としては数少ない甲子園2勝を挙げた、1999年夏の旭川実。どうしても北北海道勢の試合が少なくなりがちなので、この代から1試合を収録することにしました。さらにベンチには、のちの人気お笑い芸人「とにかく明るい安村」がいました。 この代の北海道勢は甲子園で春夏合わせて3勝、神宮大会を合わせれば全国で4勝を挙げています。0勝という代も少なくない中で、素晴らしい結果を残してくれました。 とにかく明るい安村こと安村昇剛は、夏の甲子園では背番号13で控えの一塁手としてベンチ入

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          旭川実-久賀 1999年夏の甲子園1回戦

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          函館大有斗-郡山 1997年センバツ1回戦

          プロ通算165勝を挙げた佐藤義則(元阪急→オリックス)や、奇跡のストッパーと呼ばれた盛田幸妃(元大洋→横浜・近鉄)らをプロに送り出した名門・函館大有斗。間違いなく北海道高校野球界に大きく貢献した高校でしょう。 前年秋の神宮大会では日南学園(宮崎)に勝って1勝を挙げています。 アルプスには系列校の函館大柏稜の友情応援が入って盛り上げてくれました。 郡山は奈良県大会準優勝、近畿大会では東洋大姫路(兵庫3位)、平安(現・龍谷大平安、京都1位)を破って4強でセンバツ出場を決めました

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          函館大有斗-郡山 1997年センバツ1回戦

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          旭川実-鹿児島商 1995年夏の甲子園2回戦

          旭川実は、春夏通じて初の甲子園出場。中学時代に旭川中央シニアで全国勝利を経験した選手が多数集まり、さらに同シニアと交流がある大阪の枚方シニアからスラッガー・岡田隆紀が入部した世代です。しかしこの代は秋春ともに旭川支部予選で敗退しており、北海道内での前評判はさほど高くありませんでした。実際、夏の大会前に発売された「報知高校野球」では、旭川実は名前すら挙げられていません。 それでも北北海道大会では杉山俊介(のちに横浜、ダイエーなど)を擁する前年の優勝校・砂川北や、鈴木貴志(のち

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          旭川実-鹿児島商 1995年夏の甲子園2回戦

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          中標津-星林 1990年夏の甲子園2回戦

          北海道中標津(なかしべつ)町は、北海道の北東部にある町。北海道民以外にはなじみが薄いかもしれませんが、釧路市の北東、根室市の北西、網走市の南東、知床の南西に位置すると書けば、少しはイメージできるでしょうか。 中標津高校は2023年夏の甲子園終了時点で、最東端の甲子園出場校として知られました。これより東にある高校は、別海や根室などごく少数に限られます。 2024年センバツに別海が出場したことで、34年ぶりに記録が更新されました。 1990年夏の甲子園出場時の人口が21,900

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          中標津-星林 1990年夏の甲子園2回戦

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          苫小牧工-日高 1989年センバツ1回戦

          この試合こそ私がちゃんと試合をフルで見た最初のゲーム。この試合は文句なしの選出となりました。私が小学1年終了後の春休みの試合です。 日高は和歌山県大会優勝、近畿大会では北陽(大阪、現・関大北陽)、東洋大姫路(兵庫)を破り4強で33年ぶり2回目のセンバツ出場を決めています。一時期甲子園を沸かせた箕島の勢いに陰りが見え始め、智弁和歌山が台頭してきた時期ですが、この頃の智弁和歌山はまだ「出れば負け」の高校でした。 和歌山県勢は1984~88年まで春夏合わせて9大会連続の初戦敗退で

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          苫小牧工-日高 1989年センバツ1回戦

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          駒大岩見沢-神戸弘陵 1999年センバツ1回戦

          「きゅうたいれえ!?」 足早に帰宅した私は、思わず叫んでしまいました。ブラウン管の中で繰り広げられていた光景は、とても現実とは思えませんでした。プロ注目と言われた左投手はもうマウンドにはおらず、知らない右投手が投げており、スコアは9-0。 いったい何が起こったのか―――

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          駒大岩見沢-神戸弘陵 1999年センバツ1回戦

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          駒大岩見沢-八幡商 1993年センバツ準々決勝

          2013年に日刊スポーツで「ヒグマ伝説」という、閉校する駒大岩見沢の足跡を振り返る連載がおこなわれており、その際に佐々木啓司監督が同校の過去の試合の中から名勝負10試合を選びました(道内5試合、甲子園5試合)。この1993年センバツからは、初戦(2回戦)の大府戦とこの準々決勝・八幡商戦を選んでいます。 駒大岩見沢は前年(1992年)のセンバツにも出場しましたが、育英(兵庫)に0-8で完敗。この時背番号10をつけてベンチ入りした須藤力投手には登板機会がありませんでした。 須藤

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          駒大岩見沢-八幡商 1993年センバツ準々決勝

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          東海大四-九州国際大付 2014年夏の甲子園1回戦

          東海大四(現・東海大札幌)といえば、大柄な選手が揃ってガンガン打ち勝つ野球、でも細かい野球は苦手。守備力も高くない。 かつては代々そういう野球をやっていましたが、2011年頃の3年生を最後に180度・・・とまではいかなくても、145度くらい方針を転換します。 大柄な選手は少なく、打線は非力。その代わり細かい野球が得意で、守備から崩れることは少ない。 以前の東海大四の野球を好む方にとっては寂しい限りでしょうが、この野球で甲子園を沸かせるのですから、方針転換は成功だったと言える

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          東海大四-九州国際大付 2014年夏の甲子園1回戦

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          東海大四-東邦 2001年センバツ1回戦

          東海大四は私が本格的に高校野球を見始めた1989年センバツで初戦突破している高校で、私にとっては苫小牧工と並んで「甲子園の原点」と位置付ける高校です。 1986年夏に伊良部秀輝(のちにロッテ、ヤンキースなど)を擁する尽誠学園(香川)を破って以降、今回取り上げる東邦戦を含め、甲子園出場6大会連続で初戦突破しており、校名が「東海大札幌」に変わった現在も記録は継続中。 つまり平成の甲子園では初戦敗退が一度もなく、初戦突破率の高さから私は勝手に「北海道の明徳義塾」と名付けました。

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          東海大四-東邦 2001年センバツ1回戦

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