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旭川大高-佐久長聖 2018年夏の甲子園1回戦

今回取り上げるのは旭川大高(現・旭川志峯)です。
地元では「旭大高(きょくだいこう)」、または単に「旭大(きょくだい)」と呼ばれる場合もあります。

向原幸生監督時代は1980年夏に2勝を挙げてベスト16入りするなど、3度の甲子園出場でいずれも初戦突破を果たしました。
1993年秋に向原監督が退任して端場雅治監督が就任しますが、打って変わって「出ると負け」の典型となります。
その成績をご覧いただきましょう。

1997年夏 ●3-6高知商(高知)
3回までは3-4と接戦でしたが、4回から2年生右腕・藤川球児(のちに阪神など)が救援登板すると打線が沈黙し、そのまま敗れました。

2000年夏 ●2-9柳川(福岡)
センバツでも活躍した香月良太(元近鉄など)を擁する優勝候補の柳川との対戦。旭川大高は2回までに7点を失うも、中盤以降は「小さなエース」植木正順がスローカーブを生かした本来の投球を取り戻しました。

2003年夏 ●1-9小松島(徳島)
柳川は勝ち目のない相手でしたが、この小松島は頑張れば勝てる相手だったはず。しかし7回裏に2失策で大量5点を失うなど大敗しました。当時1年生の田沢由哉(のちに西武)は、4番手で登板して1回無失点に抑えています。

2009年夏 ●0-2常葉橘(静岡)
2回表無死1、3塁で投手正面のスクイズ失敗。この後はほぼノーチャンスで庄司隼人(のちに広島)に完封負けを喫しました。旭川大高のエース左腕・柿田竜吾は、後に国学院大で杉浦稔大(帯広大谷高、現日本ハム)とダブルエースで活躍しました。


全体的にくじ運が悪めではありますが、実は4回とも北北海道内では前評判がそれほど高くないときに出場しています。4回とも4~7番手くらいの前評判ではないでしょうか。
前評判が良いときは北北海道大会で負けて、良くないときになぜか甲子園に出場するという高校だったのです。

時は流れ、2018年に9年ぶりの甲子園出場を決めました。
今度は今までの4回とは決定的に異なり、北北海道内では旭川実に次ぐ2番手の評価です。
全国のスポーツ紙では名前だけでガッツリC評価をつけられましたが、ようやく甲子園でちゃんと勝負できる戦力が整いました。

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