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苫小牧工-日高 1989年センバツ1回戦

この試合こそ私がちゃんと試合をフルで見た最初のゲーム。この試合は文句なしの選出となりました。私が小学1年終了後の春休みの試合です。

日高は和歌山県大会優勝、近畿大会では北陽(大阪、現・関大北陽)、東洋大姫路(兵庫)を破り4強で33年ぶり2回目のセンバツ出場を決めています。一時期甲子園を沸かせた箕島の勢いに陰りが見え始め、智弁和歌山が台頭してきた時期ですが、この頃の智弁和歌山はまだ「出れば負け」の高校でした。
和歌山県勢は1984~88年まで春夏合わせて9大会連続の初戦敗退で、甲子園10連敗中の暗黒期でした。日高の梅村不二男監督は、残念ながら2013年に59歳の若さで亡くなっています。

苫小牧工は東海大四(現・東海大札幌)に敗れて北海道大会準優勝でしたが、15年ぶり5回目のセンバツ出場を決めています。この頃は北海道が(一般枠で)2枠を勝ち取る可能性もあった良い時代でした。指揮をとる金子満夫監督は当時50歳ですが、大会最年長監督とのこと。前年の1988年には、教え子の高沢秀昭(ロッテ)が首位打者を獲得しています。
金子監督は2002年春に札幌日大を初の甲子園に導いた後、2006年4月から「ラーメンかねこ屋」を始めました。教え子たちが多数かけつけるなど、地元でも評判の名店です。

日高は秋の公式戦をほぼ1人で投げ抜いた3年生右腕・佐々木伸也が評判の好投手でしたが、どうやら調子を落としていたようです。一方苫小牧工の3年生エース・近藤友拓も、愛知県で行った合宿以降調子が上がりきっていませんでした。両監督は投手戦を予想していましたが、こういう事情があって試合は予想外の打撃戦になっていきます。

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