【6.9】「計画」はやめるべきか?(Should we stop planning?)

※ティール組織の著者Frederic Laloux によるINSIGHTS FOR THE JOURNEYの日本語訳の個人的なメモを公開しています。
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■元のURL
https://thejourney.reinventingorganizations.com/69.html

■翻訳メモ
今までの古い管理モデルの根幹にあるものを一つ挙げるとするならば、予測制御モデルとしての「計画」を挙げることになります。それは未来を予測し、その未来をコントロールするための最善の方法とされるものです。むこう3ヵ年間における事業の伸展を前提として、詳細な予定を立て、さらにそこに多くのマイルストーンを置き、正確に言い当てることを目的としています。それに対して、「組織の声に感応する」と聞いたら、それがすごくナチュラルな響きに感じると思います。そうすると一部の組織に、「計画」をすべて破棄してしまうところが出てきます。「計画」は良くないことだから、「計画」は古い世界の象徴だからというのが彼らの言い分です。しかし、問題はそれほど単純ではありません。これもよくある誤解です。それらを踏まえて、今回は、「計画も悪くはない」というテーマで話します。「計画」が引き起こす問題は以下の 2 点に集約されます。1つはオーバープランニング、つまり、計画を綿密に立てすぎることによって起こる弊害です。もう一つが、プランへの過信です。では、この2つについて、詳しく見ていきましょう。

1つ目が、いま言った、「計画のし過ぎ」です。私たちは誰しも、計画することが好きで好きでしょうがないといった傾向を持っています。そして計画を立てる能力についても疑いの余地を持っていないようです。そのため、計画が必要のない状況であっても、計画を立ててしまいます。ここで課題となってくるのが、あなたのビジネスにとって、必要最小限の計画とはどんなものかということです。そして、多くの場合、本当に必要な計画は、実は、ほとんどないという事実を知って驚くことでしょう。何年も前の、個人的な体験をシェアします。工場跡を産業用スペースとして大規模にリノベーションし、私のお気に入りの場所へと変貌させたプロジェクトに参加したことがあります。少なくとも当時では、大規模といえる改修工事でした。私は、最初、非常に詳細な計画を立てました。資材などの準備がいつ揃うか、リノベーションを請負う業者が何をするか、それも追跡できるようにし、すべてを「見える化」しました。

しかし、工事が始まってみれば、すべてが無意味だったことに気付きました。1 年や1年半の期間、1週間ごとの詳細な計画は立てろと言われれば立てることはできました。しかし、それにはすぐにズレが生じ、じきに使いものにならなくなってしまいます。言ってみれば、計画を組んだ後は、そのズレとの闘いだけであって、それは私と周りにいる人たちに大きなストレスとなってのしかかってきました。そして、その修正やストレスといった負荷には何の意味もないことに気付いたのです。そのようなことがあって、私は、本当に計画が必要なものとは何かを考え始めました。そして私は、そのリノベーションプロジェクトにかんする限り、計画が必要なのは、たった1 つの事柄だという答えに至りました。それは、冬が来る前に建物にはすべて窓を設置するというものでした。冬が来る前に窓が設置できていれば、建物の内部で工事が続けられるからです。もし、そうしなければ、春が来るまで、工事を数か月間休止する必要がありました。そのため、窓の設置は、計画に組み入れる必要がありました。

これは単に個人的な経験に過ぎませんが、アジャイルについて学ぶにはいい機会だったと思います。アジャイルを理解するということは、ウォーターフォールの表からは離れなければなりません。その意味では、私たちが実際に立てる必要のある計画の量は、非常に限られているということです。しかし、それでも限定的には計画を立てる必要はあります。もちろん、それはビジネス次第でもあります。ビュートゾルフ社を例に挙げると、そこでは、基本的に、計画はほとんど必要ありません。ただし、次世代 iPhoneを作っている会社なら、計画は必要です。何百ものサプライヤーがあって、何百ものコンポーネントが集まってくるわけですから、多くの計画が必要です。生産を開始する段階だけをとっても、適切なタイミングにすべてが揃う必要があります。そのためには多くの計画が必要だと思います。くどいようですが、本当の課題というのは、計画するのはどの程度必要かということに尽きるのです。部品を組み立てるには最低額いくらかかるかといったものです。そこには、計画に対し、思い入れが必要とは思いません。特段、素晴らしい能力も必要ありません。視覚的に美しいウォーターフォールチャートも必要がないのです。

二つ目は、本当に計画を信用できますか?といった課題です。作った計画を信用しすぎることによって感覚を閉ざしてしまうところに問題があります。むこう3 年の世界の動きは予測済みと宣言した時点で、情報を得ることに意味を見いだせなくなります。計画が立ったのだから、あとは各マイルストーンをクリアしていくだけといった世界のことです。そして、3年後に、再び耳を傾けた際、—多くの伝統的な組織は、2 年か 3 年ごとに、もしくは 3 年か 5 年ごとに計画を見直します。そして、その間、彼らは外の世界で起こっていることに耳を傾けることはありません―、世界はどのように変わったのでしょうか。3年間、彼らは耳を澄ますことから遠ざかってきました。継続的に反応をみるということもしてきませんでした。もし計画の範囲をミニマムに絞り込んだとしても、その計画を死守すべきといった決まりはどこにもありません。真実はまったくその逆です。どんな文書であっても、書き上げた後、見直して、間違っていたら書き直しますよね。私たちが立てた計画もそれと同じです。常に見直し、更新し、変更をかけていく必要があります。それであってこそ生きた文書と呼べるというものです。だから、書いたら終わりというものでは絶対にないのです。

今回話した内容は、「計画」についての誤解をクリアにしたいという思いから生じたものです。もしあなたが、「計画は悪だ」という言葉を真に受けて、今すぐすべての計画をやめようとしているのならそれを止める必要がありました。最小限の計画はあった方がいいと思います。要は、それに固執して、変化を恐れることに問題があるのです。「計画」も一種の「生き物」だと思って、常に更新をかけていくことが重要です。更新しようとすると、周りの世界の変化を感じ取ることができるからです。
■翻訳メモの全体の目次
https://note.mu/enflow/n/n51b86f9d3e39?magazine_key=m3eeb37d63ed1

最後まで読んでいただいて、どうもありがとうございました。