フレデリック・ラルー、誠実さと活力を取り戻すための招待状②(Frederic Laloux with an invitation to reclaim integrity and aliveness)

2020年10月、セルフマネジメント組織コーチであるLisa Gillが主催する「Leadermorphosis」というポッドキャストに、『ティール組織』の著者である、フレデリック・ラルーが登場しました。そのインタビューの訳を何回かに分けて載せていきます。今は、「ティール」を話すことから離れてしまったと言われるフレデリック・ラルーが、久しぶりに「ティール」について語った、レアなポッドキャストです。

(前回のつづき)
リサ・ギル:
あなたのお話は本当にパワフルだと感じました。そして、思わず、マーガレット・ヘファーナンの『見て見ぬふりをする社会』という本のことを思い出してしまいました。数年前に読んだ本ですが、私たちは、自分の意思とは異なった理由で成立している世界で暮らしていることを知ってとてもショックを受けました。例えば、彼女は、石油流出事故を例として挙げています。彼女の文章を読むと、それはあたかもホロコーストのようにさえ感じました。私たちの脳は、正常に機能していても、認知的不協和にはとても鈍感です。権力構造や階層構造にも、明らかに、一部に認知的不協和があります。これが看護師の場合であったら、次のようなことが起こると思うのです。上司にあたる医師から電話が掛かってきて、その指示を受けて、患者に致死量の注射を打ってしまった、と。このような例は、表には出なくとも、日常に、私たちの目の前にたくさんあるはずです。その看護師は、警察での取り調べで、次のように聞かれるはずです。「あたなは、あなたの行為が意味することについて分かっていたはずです。そう訓練されてきたのですから。なのに、なぜそんなことをしてしまったのですか?」と。もちろん彼女はやってしまった後に気づいたのではありません。権力構造が彼女をそういった行為に走らせたのです。

フレデリック・ラルー
今、私は、セルフマネジメントの看護組織ばかりに接しているので、あなたの例えはある意味とても新鮮です。確かにその通りで、権力構造が助長している恐怖について、私たちはあまりにも分別を欠くのかもしれません。これらの問題にどのように取り組むかという「問い」こそが意義のある「問い」であると思います。もちろん、そういった問題は構造だけでなく、私たちの本能にも原因があります。構造自体を妄信しているところに問題があると言ってもいいのかもしれません。具体的に言うと、例えば、「答えが必要」という感覚がそれです。私が経営者たちと会話するようになって、最初に取り組んだことが、彼らの中からこの「答えが必要」という感覚を消し去ることでした。しかし、この感覚は、私たちの経済システムの構造の中に原理原則として深く織り込まれたものなので、消し去るのは容易ではありません。ただ、実際、この世界には、明確な答えがあることの方がむしろ少ないのではないでしょうか。伝統的なパラダイムでは、リーダーはすべての答えを持った人とされています。そうでなければリーダー失格の烙印を押されました。一つの例を出してみましょう。私にとってとても刺激的だったインターフェイス社のレイ・アンダーソンの例です。インターフェイス社を知らない人のために、・・・レイ・アンダーソンによって創られたカーペットメーカーは、他社がまだ開発途上であった時代に、端と端とをつなぎ合わせるだけの「デジタルスクエアカーペット」を開発し、-あなたのオフィスのカーペットもそれかもしれません-、そして彼がそれをWebに載せたところ、火がつき、今やインターフェイス社は世界最大規模のメーカーとなりました。古いタイプのビジネスマンだった彼は、1990年代半ばのある日、クライアントから彼らの環境記録について尋ねられました。しかし、それに答えられなかった彼は、部下にそれを調べるように依頼しました。そして彼は、出来上がってきたレポートを見て、大変なショックを受けたといいます。1.9に「百万」を掛けるのか「10億」を掛けるのか、正確な桁は忘れてしまいましたが、それだけのキログラム数の原材料が地球から搾り取られていたことを彼は知ったのです。一般的に、カーペットは、石油由来のナイロンが編み込まれることによって作られていきます。そして、製品として数年間使われた後は、埋め立て用に廃棄されます。私が彼のことをとても気に入っている理由は、彼が「起業家としてもてはやされるということは、牢獄に入るに等しいことだ」と言い放ったところにあります。彼は地球から資源を略奪していることに気付いたのです。彼はそれを非常にシンプルな言葉で述べたのです。しかし、非常に現実的で厳しい表現を使って自らを戒めました。彼のその言葉と出会って、私はとても嬉しくなりました。彼は、会社の経営陣にも彼の意思を伝えたのですが、経営陣たちはそれを不快に受け取りました。それどころか、レイが会社を潰しかねない、わけの分からないことを言い出したと思われてしまいました。そして、私が彼を尊敬するもう一つの理由に、彼が「この問題に答えはない」と言ったことが挙げられます。彼は、経営陣に向かって、今のままのビジネスは自分がやりたいビジネスではないことを訴えました。そして、真に追及する唯一のビジネスは、地球が自力回復できなくなるくらいまで、資源を地球から奪わないビジネスだと説明しました。並外れた野心的な目標だといえます。バイアスによって起こる被害を食い止めるところまでは分かりますが、人間が住めるあらゆる場所のその隅々まで工場が乱立した地球の上で、掲げる目標としてはクレイジーすぎます。しかし、同社の最近のレポートを読むと、20年と少しかかりましたが、当初の目標に対してもう少しのところまで来ているといいます。彼らは、当然のことですが、何度も何度も大きな苦難を乗り越えてきました。まず、最初、クライアントであるカーペット店に対し、すべての商品の供給をストップしました。ライフサイクルの終わりにブリストル(インターフェイスの誤りか:小林)に戻ってくるように会社の販売方針をレンタルに切り替えたのです。そうすることで、再生に向けた循環のループを閉じることができました。さらに彼らは製造過程においても、化石燃料は使用せず、太陽光発電を活用しました。私にはそれらが並外れて大変な過程であったことが容易に理解できます。彼らは20年と少しかかって、今、まさに、ゴールの目前にいます。私が彼について本当に素晴らしいと思うのは、多くの人が見て見ぬふりをしている問題に対して、彼は自らの意思でその答えを探し出そうとしたことにあります。彼は確かに、「この問題は大きすぎて答えは出せない」と言いました。しかし、同時に、彼は、その答えを探すのは一種の楽しい冒険であることに気づいたのです。「一緒に答えを探しませんか?」「いや、無理です。申し訳ありません。」というやり取りは、常態化しているはずです。しかし、そこで踏みとどまるのが、重要な「問い」に背中を向けないということです。例のごとく、また、ファッションブランドをやり玉に挙げてしまうのですが、彼らは、どんな理由を持っているのか知りませんが、信じられないほどひどい性差別的な広告を出し続けています。聞くところによると、それをやらないと売り上げの10%、20%を失う可能性があるそうです。そして、その損失を補填するための代替案はないと主張するわけです。そんな言い訳がまかり通っていいのでしょうか?それを考える上でも、CEOの収入のことは言っておかなければなりません。彼らの業界のCEOが最低賃金は、彼らの会社の一般従業員の20倍から300倍のレンジにあります。そこに存在する「所得の不平等」という衝撃的な事実を初めて聞く人は冷静ではいられないはずです。しかし、それが私たちの作り出したシステムの実態です。それを解くための答えが何であるか分からなくても、それにたどり着くまでの間、問題を一定のレベルで、低く抑え込むことは可能です。それをすることは解決に至るまでのとても重要な要素になりえます。

リサ・ギル:
これらの問題に向き合うために私たちに何が必要なのかというあなたの意識のあり方に共感します。そして、既存の権力構造の中で、実際に権力を握っているのは、その中のほんのごく一部に過ぎないというのは確かにその通りだと思います。セルフマネジメント組織でも同じだと思うのですが、子供と一緒にボウリングに行った時の・・・、ボウリングレーンにあるガードレールのようなものが初期のセルフマネジメント組織には必要だと思える時があります。それと同じで、ファッションブランドなどのCEOの人たちにとっても、彼らの目の前に「雨樋」か何かを置いてあげないといけないのでしょうか。私たちが願っている方向に向かってともに成長を遂げていくには、非暴力的コミュニケーションの活用や、実際に手を動かして、改善に取り組んでみることが重要だと思います。それほどまでに、私たちの脳は、条件によって分類されたショートカットや慣習によって配線がめぐらされてしまっています。ゆえに、これらの問題に腰を据えて取り組めるように、つまり、その可能性に向けて多くの人たちを目覚めさせ、そして、彼らに、その行為が安全であると分かってもらうために、私たちはずっと想いを巡らせてきました。私がすごく魅力的感じて、それ以上に魅了されてしまったのは、あなたが多くのCEOを集めてこの問題を提起している点であり、また、あなたの生き方そのものについてなのです。これは批判でも否定的な捉え方でもないことを前もって言っておきますが、一般に、人間は群れるのが好きな生き物で、一人で旅を続けるというのに対して、すごく脆弱な一面をもっているのではないかと思うのです。私たちがこれらの問題に立ち向うとき、この脆弱な「一人」という問題は何かを意味するものなのしょうか?

フレデリック・ラルー
私たちには、心理的に、「安全な空間」が必要とおっしゃるわけですね。あなたの質問自体にも、議論するに値する広い空間が、つまり大きな議論の余地があると思います。私たちが今、脆弱な存在であることは、ある意味、必然であると思います。しかし、それでも、私たちの生活の中で私たちにショックを与えている多くの事柄を社会に訴え、共有していくことはできます。私は数多くの活動に加わっていますが、地球にやさしくしようと呼びかけているだけの人と評価されるとやはり索然としません。また、一人でできることなど限られていると自分を甘やかそうなど、一度も考えたこともありません。私を駆り立てているものがあるとしたら・・・、きっと、私には、自分の「強み」「弱み」といった、そういう領域の幅で自分を見る習慣がないところにあると思います。私が唯一持っているのは「正直さ」だけです。その「正直さ」にはきっと価値があるはずです。それが私のほとんどを占めているわけです。だから、どんな批判を受けても恥入る必要はないのだという「軸」があります。私が常にボロボロに批判しているこの現在のシステムについて、その運用を引き継いでいるのがまさに私たちはであるという事実認識が非常に重要なのです。今を逃したらもう手遅れだということです。これを聞いている人が、または、多くの人がイメージしているような、「廃棄物ゼロ」というライフスタイルについては、残念ながらこれを取り入れる時間はなかったということです。この活動を始めて2年が経ちましたが、何か結果を残せたかというと、その感覚はまだありません。私は自分の人生の中で、今までやってきたこととは全く違うことをしているので、その意味では、最初の半年か1年は準備期間だったのかと、自分自身を諫めるときはあります。そうこうしながらも、自然破壊の事実や、それに対する我々の取り組みのシェアし続けているのです。『ティール組織』の本が出て、興業的には大成功しました。そのあと、講演も増えました。15や20分のものも含めると、おそらくベルギーの人口(1150万人)の半分くらいの人が私の講演を聞いたことでしょう。しかし、そのシステムに乗っかかる前は、それから起きるであろう出来事を私は受け入れるべきか、それとも棄却するべきか、ずっと悩んできました。私の講演を聞くには会場への入場料などが必要です。イベントの収益は参加者の数に比例するのは当然で、イベント自体も収益を無視したら成立しないものです。そして、私はスピーカーとして、一種の寄生虫のようなものですから、のこのこやって来て、収益の一部を取り去って帰ってしまうわけです。そんなことをやっていいのか、商業的な成功の一方で、その成功自体が私をずっと悩ませ続けました。そこで私は、これらの有料の講演のいくつかを引き受けて、それについて自分自身の反応を確かめることにしました。そして、自然破壊の問題に対し、常に正直で、また、研究に従事し続けることを条件に、自分は講演料を受け取れることが分りました。このような時というのは、自分自身の納得を得ないまま、問題に対処してはいけません。自分で結論が出せないのなら、ワイフや友人に相談して決めればよいと思います。そのことについて話すだけで解放される場合もあります。ワイフや友人がともにその問題にかかわり始めるようになったと感じることもあろうかと思います。自分が前に進みたいからといって、説得して首を縦に振らせたのならば、それは「抑圧」という古いパラダイムのやり方を使ったことになります。当然、あなたは、自分自身を振り返って、何の納得も得られなかったことがわかるはずです。

最後まで読んでいただいて、どうもありがとうございました。