【4.4.9】危機に瀕したとき(In times of crisis)

※ティール組織の著者Frederic Laloux によるINSIGHTS FOR THE JOURNEYの日本語訳の個人的なメモを公開しています。
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■元のURL
https://thejourney.reinventingorganizations.com/449.html

■翻訳メモ
「セルフマネジメント」がどの程度まで深く根付いたかは、組織が危機に瀕した時に明らかになります。私の知る限り、その瞬間、組織は2つの異なった方向に進むようです。

その1つは、完全なる後戻りです。危機が迫った際、「セルフマネジメント」を捨てて、突然襲ってきた恐怖に対して自己防衛反応を露わにします。そして、危機に瀕したその時だけ現在の体制である「セルフマネジメント」を一時停止し、トップの決断に委ねるべきだという意見が優勢になります。これは、トップマネジメントが再び力を取り戻す時の到来を意味します。彼らは「責任」を背負って多くのことに対処していきます。それが1つ目のパターンです。

「セルフマネジメント」への理解が深く浸透している組織は、まったく別の行動をとります。これは、危機を乗り越えるには、「集合的な知性」と「幅広い領域におけるメンバーの貢献」が必要であることを各自が認識している組織でもあると言えます。

いくつか例を挙げます。ビュートゾルフ社の場合、設立初期に突如として運営資金の問題に直面した時期がありました。新しい看護チームが次々と立ち上がりましたが、看護チームは初期段階では収益を生まないため、コストがかかります。そのため、資金がショートしそうになったのです。まさしく、危機的な瞬間でした。しかし、ヨス・デ・ブロックは、そこで集団知性のプロセスを強化しました。彼は看護師全員にこの困難を共有し、次のように問いかけました。「成長を遅らせるべきか、それとも皆が働く40時間の中で、55時間分の、いや、60時間分の生産性を出すことができるだろうか?」彼はこの問題を看護師全員に投げかけ、そこで多くの議論が生まれました。最終的に看護師たちは、「患者の人たちが私たちのケアを必要としている以上、成長は止めることはできない。だったら、私たちが生産性を向上させるしかない」と結論付けました。彼は成長を遅らせるかどうかの決定を自分一人で行わず、集団の知性を使ってその決定プロセスを行いました。この事例については『ティール組織』の本の中でも触れています。

もう一例、自動車部品のサプライヤーであるファビ社は、湾岸戦争の際、自動車の注文の激減といった危機に直面しました。その際、経営陣は、臨時雇いの労働者を解雇する代わりに、機械の稼働時間を減らしました。従業員みんなを集めて、工場の一角で輪になって会話を持った時、30分か1時間か、そんな短い時間で、彼らはこの問題の答えを見つけました。これは驚くべきことでした。こうやって、ファビ社は、メンバーを信頼して、「集合的な知性」に任せることの大切さを理解したのです。

これは重要な選択の瞬間です。「セルフマネジメント」をどれほど深く理解しているかが問われることになります。それが必要だと感じて、旧来の「トップダウン」の方法に戻すのか、それとも、「セルフマネジメント」をさらに徹底するのか。必要なら、外部の専門家に相談して、同時に存在するこれらの2つの捉え方を整理することをお勧めします。

さて、ここで、危機についてもう少し哲学的な観点から2つの考えを追加したいと思います。まず、私が気づいたのは、多くの人が実際には危機ではないものを危機と呼んでいるということです。例えば、かつては大きく成長していたのに、今は成長が止まってしまった、これは本当に危機なのでしょうか。ある組織との会話を思い出します。もし私たちが組織を生きている有機体と考えるなら、その組織も生き物の法則に従います。そして、その法則の一つは、成長期と再生期があるということです。

季節を比喩に使うととても分かりやすいと思います。春と夏には驚くほど成長し、物事が発展しますが、秋と冬には物事がスローダウンし、時には物事が衰退しているように見えることさえあります。それが万物流転の法則です。実際、冬に起こることは、次の春に成長するための準備が見えない形で進行しているということです。

そこで、あなたへ質問です。つまり、あなたの言う「危機」は、本当に「危機」なのでしょうか?この自然のサイクルにおける1つのフェーズを指すのでしょうか?そのことから何を学べるでしょうか?減速することに価値はあるでしょうか?一時停止することに価値はあるでしょうか?組織のライフスパン中で、目に見えないところで密やかに整いつつあるものは何でしょうか?

二つ目の考え方は、直面している危機が本当の危機であろうとそうでなかろうと、その状況を少し軽く受け止めることはできないか、ということです。組織が、それ自身の「存在目的」によって生かされている存在であるならば、すべてを制御することはできないはずです。そして、その「存在目的」は、自らが進むべき方向を発見し、個人の肩にかかった重荷を下ろさせるでしょう。組織が生来ながらに持っている「生命の息吹」は、人知を超えたものです。そこで個人ができることといったら、できる限り組織と共に踊り、できる限りの愛情を持って、組織を健康で繁栄させるよう努めることだけです。組織の生命の循環をコントロールできる人はいません。それゆえ、そのことを少し軽く受け止めることはできないでしょうか。

このパラダイムの変化を考えると、最終的に本当に重要なのは「存在目的」です。組織そのものではありません。組織やチーム、ユニットの存続が目的ではなく、「存在目的」自体が重要なのです。たとえ組織が消滅しても、その構成要素は他の場所で再び集まり、その「存在目的」をより良い方法で継続するかもしれません。もし組織が生命的な存在であるなら、死もその一部です。繰り返しますが、本当に重要なのは「存在目的」です。組織の存続という重荷を個人個人が背負うということではありません。それぞれの人の役割は、ただ耳を傾け、それに対処することです。


■お願い
動画の最後にもあるとおり、この取り組みはすべてギフトエコノミーによって成り立っています。
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https://thejourney.reinventingorganizations.com/in-the-gift.html

最後まで読んでいただいて、どうもありがとうございました。