【6.2】「拡大」と「保身」を乗り越えて(Beyond maximization and self-preservation)

※ティール組織の著者Frederic Laloux によるINSIGHTS FOR THE JOURNEYの日本語訳の個人的なメモを公開しています。
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■元のURL
https://thejourney.reinventingorganizations.com/62.html

■翻訳メモ
ひとえに今日、私たちは、「拡大」という、無限の持続不可能なレースを続けています。このレースは、特に、大企業に巨大なプレッシャーを与え続けています。彼らは常に大きくなることを求められ、そして、より多くの利益を創出する義務を負っています。それは企業だけでなく、非営利団体にも当てはまります。企業にとっての利益とまったく同じ考え方ですが、さらに多くの助成金を得ることができれば、組織をもうひと回り大きくできるという考え方です。世の中には、企業は成長し続けるもの、利益は増やし続けなければならないものとするコンセンサスがあります。私は15年間、組織で働き、その間、たくさんの経営陣と一緒に過ごし、そして、それらの経験をもとに本を書きました。しかし、とても残念なことに、その間にたった一人として、「目的」に立ち返り、その「目的」に従って経営すると言った経営者に出会うことはありませんでした。別の言い方をすると、その「目的」が成長を求めていないから成長戦略は採らないと言い放った人はいなかったということです。「目的」の声に従い、現実路線の成長、組織がやっていけるだけの利益さえあれば十分と言った人はいなかったのです。むしろ、仮に、彼らに「目的」の発する声が聞こえていたとしても、にもかかわらず、彼らにとっての最重要事項は利益の最大化であったのです。彼らの組織は、もし上手くいかないことが起こったら、皆、自己の保身に走ります。彼らは、自らの生活を守るために、法律が許す範囲内でできる限りのことをやり、それでもうまくいかない場合は、時に、法律さえ捻じ曲げてしまいます。「最大化」という執拗なまでのプレッシャーが強要するのです。

別の次元に移行したならば、組織は、主体性のある生命体として見なされることになります。そこではもう、無理くりの成長や拡大に意味は伴いません。なぜなら、その命を育くんでいるが組織そのものであるからです。自然の流れから逸脱して、そのまま居続けると、組織は、自らの体内に癌細胞を生成します。そして、それはその主人を死に追いやります。例えばですが、集団化して行為をなし続ける私たち人間は、地球における癌細胞なのではないかという危惧があります。私たちの行為は地球の自己回復能力を超え始めています。もし、私の見解を理解してもらえるのなら、自然の中に入って、自然を感じてください。自然界にはバランスが存在します。自然の中で、他を差し置いて、無限に成長しようとする特定の種を見つけることは難しいでしょう。例えば木を例にとると、―私は木が大好きなのですが―、木を切って年輪を見た時に、「今年はよく進捗した」という年や、「今年の伸びはいまいちだった」という年はないはずです。生きとし生ける物は、自然の法則したがって生きています。組織は毎年X%成長すべきだというのは、生命のあり方から逸脱したクレイジーな考えです。彼らの生き方は環境を無視した生き方ともいえます。毎年変わりなく、一定のインプットに対して一定のリターンを出し続けるだけの機械そのものです。もし、先ほどの木のように、組織を生命体として捉えるならば、いのちの源から湧き上がってくる声こそが「目的」なのです。

あらゆる生命には死の瞬間が訪れます。古い生命は自らの体を投げ出すことで、そのいのちは、次の世代へと引継がれていきます。組織の目的は最大化と自己保身であると信じて疑わず、ビジネスとはできうる限り大きくすることで、そうしなければ組織は生き残れないと思っている人がこの自然界の循環を知ったら、どう感じるのでしょうね。とても興味深く感じます。次は、あなたに質問したいと思います。あなたは、これらのパラダイムのうち、どちらを生きていますか? あなたはまだ最大化と自己保身のパラダイムにいるのですか?それとも、真の「目的」について、その意味に想いを巡らせ、必要とされない成長や利益を放棄できますか?もし、少なくともその時点で、今以上の成長は必要なく、多くの利益を上げる必要ないというのなら、その組織は、自然の運行の中にあるといえます。そして、そのいのちある組織は、新たな「目的」を実践する新たな生命体へとその「目的」を引き渡すために、やがて死を迎える運命にあります。あらゆるいのちある組織は死の準備さえもできているものです。

ではここで二つ、事例を挙げたいと思います。一つ目は、ビュートゾルフ社の例です。このオランダの看護団体は「セルフマネジメント」という「秘密のソース」によって運営されています。つまり、組織が完全に自己修正できるように運営されているということです。別の言い方をすると、今、「秘密のソース」と言った「セルフマネジメント」が、見事にはまっているということです。また、彼らは、その「秘密」を「秘密」のままにして隠す気はまったくないといった様子です。組織の中に看護師が存在するというのは他の団体と同じです。注射器と包帯が存在するのも同じです。昔ながらの組織では、そんないいことは競合にばれないように隠し通そうとするでしょう。しかし、彼らはそれをする気はないのです。その理由は…、競合他社は決してその「秘密」を探し当てることができない、それゆえ模倣することもできないことが彼らには分かっているからです。なぜなら、その「秘密」が、それが発見できない理由そのものだからです。しかし、最大化と自己保身のパラダイムからの視点だと、その「秘密」も様相が変わってきます。「介護患者が自律的に生活を送れるよう、優れたケアを提供すること」が「目的」になってくると、その「秘密」は「秘密」ではなくなってしまうのです。ビュートゾルフはそれを行うためのひとつの乗り物に過ぎなくなってきます。創始者のヨス・デ・ブロック が早い段階で何をしたかというと、彼はすべての運営手法を詳細に記した本を出版したのです。これこそまさにビュートゾルフ と思わせるようなことなのですが、彼は初版本が刷り上がったとき、それをすべての競合他社に贈ったのです。今日でもビュートゾルフの本国ウェブサイトに行けば、彼らがどのように運営されているかについて書かれた本を購入することができます。こう聞くとクレイジーに聞こえるかもしれませんが、ある競合団体は、そこで本を買って、ビュートゾルフそっくりに組織を作り変えました。彼らにとっての重要な点は、競合にシェアを奪われるところにはないのです。彼らにとって重要なのは、すべての患者の人たちが高水準のケアを受けられることなのです。ヨス・デ・ブロック の想いからすると、市場占有率が20%とか50%とか80%とか、そんなものはどうでもよかったのです。重要なのは、クライアント、つまり患者の人たち全員がよいサービスを受けられることだったのです。

オランダ中の看護師の100%全員が良い環境で働いているかどうかはまた別の問題です。しかし、ビュートゾルフの場合は非営利団体であることが、一般に厳しいと言われる業界にあるにもかかわらず、幾分の労働環境の緩和にはなっています。それが上場企業であったならまた違っていたかもしれません。いかんせん、いずれの場合であっても、「目的」は存在してしかるべきなのです。

次の例は、ベン・クイケンの話です。彼のことはオランダ版の『ティール組織』にしか出てこないのですが、彼は「存在目的」について、公共図書館のネットワークへアドバイスを行った人物です。当時、公共図書館は、電子書籍化という、時代の大きな変化の波に飲み込まれていました。そして、そこで働く人たちは、もう紙の本は誰も必要としないのではないかという大きな危惧を抱いていました。そして、彼らは、彼らが職を失わないように、自らを守ることに専念していました。まずベンは、職員たちの自己保身的な態度を非難しました。そして、広義の目的とは何かを彼らに問うたのです。彼らから出てきた、「広い目的」とは、本に対する愛情を分かち合うこと、そして、本を読むことへの愛情、学ぶことへの愛情といったものでした。ただし、それらが実現した世界では公立図書館はもう必要ないという結論も織り込まれていました。「知」の管理は、公的機関による中央管理から、学校や駅の図書館といった民間施設へと分散されたという結論を導き出しました。つまり、それは、図書館の「存在目的」にかかわるということを意味しました。公立図書館の今日における使命を考えると、それはすでに役割を終え、すべての知見を新たな世代のそれに代わるものに引き渡すのが賢明なのかもしれないということでした。それとも、もし、従来と同じ目的で存続させたいと思ったとしても、最大化と自己保身の考えは捨て去る必要はありました。今までと同じ「存在目的」では継続できないということです。

「存在目的」をひとつのいのちとして捉えるならば、それは、組織という体と共に死を迎える場合があります。それは「存在目的」をなくした組織が解散するといった場合です。次世代のためにすべてを引き渡した場合も、その組織自体は消えてなくなる運命にあります。

■翻訳メモの全体の目次
https://note.mu/enflow/n/n51b86f9d3e39?magazine_key=m3eeb37d63ed1

最後まで読んでいただいて、どうもありがとうございました。