【4.3.4】責任を負うのは誰か?(Who is accountable?)

※ティール組織の著者Frederic Laloux によるINSIGHTS FOR THE JOURNEYの日本語訳の個人的なメモを公開しています。
—————————————————————

■元のURL
https://thejourney.reinventingorganizations.com/434.html

■翻訳メモ
今回は「責任」について説明する非常に重要な回です。セルフマネジメントチームでは、いったい誰が「責任」を担うのかという問題を扱います。最初に、「責任」を2つに分けて考える必要があります。よく使う「責任」という言葉は、「役割」に紐付いて考えられます。もし、私の「役割」の1つが研修会場の予約であったり、研修の効果であったりした場合には、私はその「役割」に対して「責任」を負うことになります。これはセルフマネジメントチームでも一般の組織でも同じで、この場合の「責任」の所在といったものは比較的シンプルです。しかし、決算に対する「責任」についてはどうでしょう。会社における損益は、多くの人の活動の結果であり、たった1人の「役割」だけで説明できるものではありません。

ひと言で「責任」と言っても、「説明責任(accountability)」と「結果責任(responsibility)」に分けて考える必要があります。誰が誰に対して何を負っているかという考え方で見ていくと比較的分かりやすいものです。しかし、驚くべきことに、「責任の所在」といった初歩的な議論はいたるところで見受けられます。「セルフマネジメント」の場合、そこには信頼の結果が如実に反映されます。システム自体が感知していくことの重要さは、以前の動画で何度も何度も話してきました。システムが健全なら、「自己修正」の範囲で解決できるということです。

もし、システムが信頼に基づいて運営できていないのなら、「責任」を明確にすることは絶対に必要です。組織があるべきパフォーマンスを発揮していない場合、誰に相談すればいいのか明確にしておく必要があるということです。あるべき姿に戻すには、誰に相談すればいいのか、そこが中途半端な状態で、パフォーマンスが改善することはないでしょう。このことを理解することは本当に重要です。慣習的には、その「責任」は1人の人間にあります。つまり、マネージャー1人が、チームの結果のすべてに「責任」を負っています。ということは、チームの「責任」のすべてが個人にある場合、その個人はチームメンバーに対して権力を行使できるということを意味します。個人に「責任」が及ぶのなら、その個人は万物を支配できていなければフェアではありません。

つまり、「セルフマネジメント」は、「個人の責任」から「チームの責任」への根本的なシフトだといえるのです。ビュートゾルフ社の場合は、10〜12名の看護師からなるチームが結果に対して共同で「責任」を負います。「責任」を負わなければならない個人は1人もいません。私たちは「セルフマネジメント」をしていますが、チームを代表して結果に対して責任を負っているのは代表者の1名です、などということは絶対に起こらないのです。

私はこのような組織カルチャーの変容を数多く見てきました。マネージャーは権威を振りかざすのではなく、コーチやサポートに徹して欲しいと言います。彼らが、マネージャーに求めるのは、とても高度な注文だと思います。よきサポーターであれということと、仏教徒のようにすべてを手放せと、矛盾したことを求めているのですから。結果が伴わない時の「責任」はマネージャーが取るべきだと教わってきたと思います。また、メンバーもそれを望んでいると感じているかもしれません。しかし、ここでも矛盾を受け入れる態度が必要です。チームメンバーがそこにいることで共に「責任」を感じているというのが「セルフマネジメント」です。

したがって、「セルフマネジメント」を始めると、企業に革命が起こります。「結果」にコミットするのは、その「結果」を産みだしたチームです。それは本当に驚くべき変化であり、ゆえに、とても強力なシフトだと言えるのです。

以前のシステムでは次のようなことが起こっていたはずです。例えば、12人のチームに1人マネージャーがいたとします。しかし、そのマネージャーの影響力がチームにとってあまりにも弱い場合、チームメンバーは成果がでていなくても、あまり気にしないものです。そのことをマネージャーがメンバーに話しても、自分たちは自分たちの仕事をたんたんと続けるだけだと、そこに関心が及びません。あまりに悪くなると人的な介入があるかもしれないし、ないかもしれない、といった認識です。これがもし、12人のうち10人が結果に対して関心を持っているとしたら、その10人は、もっと良いことをすべきだと声を上げることでしょう。いや、「もっとすごいことをやろう」と言い出すかもしれません。そのような組織は強靭であり、回復力が備わっている組織だと言えます。これこそが、「セルフマネジメント」が機能する基礎的要素の1つで、「当事者意識(collectively feel accountable)」と呼ばれるものです。そのため、「セルフマネジメント」に移行すると、組織の「責任」に対する感度が急上昇するのです。これこそが、最高レベルのチームの姿です。

まだ経営チームが残っている場合、「責任」の所在は皆が気にするところでしょう。そして、もし、その所在が経営チームのままであるというのなら、その組織にまだ革命は起こっていないということです。どのようにしたら、すべての人が「当事者意識」を共有できるようになるのでしょうか?そして、どの時点になったら、真に移行への準備が整ったと言えるのでしょうか?このことはそれぞれのチームで話し合ってほしいと思います。このチームの中で、誰が「責任」という感覚を持っているのか話し合ってみてほしいのです。そして、結果が悪いとき、誰か一人が「責任」を負うのではなく、チーム全体が「責任」を負えるのかを話し合ってみてください。

私は、ソシオクラシーやホラクラシーを含めた、「セルフマネジメント」のいくつかの形態に多少の不満を持っています。それらすべてが、必ずしも、結果や責任の所在について明確に言及しているわけではないからです。ホラクラシーにはリードリンクと呼ばれる人がいます。その人が、チームのパーパスに対して「責任」を負っているとされます。だからリードリンクにはある程度の権限が与えられています。そうでなければおかしなことになるからです。個人が「責任」を負うのであれば、ある程度の権限は持たなければなりません。リードリンには、仕事の優先順位をつけるための権限が与えられています。

ただ単に与えられた「役割」を果たすというのではなく、ビュートゾルフ社のように、チーム全体がチームの結果に対して責任を負うという変革を、私は本当に魅力に感じています。

■お願い
動画の最後にもあるとおり、この取り組みはすべてギフトエコノミーによって成り立っています。
この取り組みを支援されたい方は、以下のリンクからLalouxへのご支援をお願い致します。
https://thejourney.reinventingorganizations.com/in-the-gift.html

■翻訳メモの全体の目次
https://note.mu/enflow/n/n51b86f9d3e39?magazine_key=m3eeb37d63ed1

最後まで読んでいただいて、どうもありがとうございました。