【4.1.23】既成のシステムを導入すること(Adopting a ready-made system?)

※ティール組織の著者Frederic Laloux によるINSIGHTS FOR THE JOURNEYの日本語訳の個人的なメモを公開しています。
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■元のURL
https://thejourney.reinventingorganizations.com/4123.html

■翻訳メモ
「セルフマネジメント」への移行準備が整った時、ある選択の岐路に立たされることでしょう。つまり、組織に合うように内製するか、あるいは既成のシステムを参考にするかといったことです。既成のものでは、ソシオクラシーやホラクラシーが有名ですが、中には限られた小さな地域で運営されているシステムもあります。バスク州にはNER(Nuevo Estilo de Relaciones)と呼ばれる企業体があります。もっとも、私は、昨年、NERの中で、しばらくの間、素晴らしい人たちと時間を共にしました。その組織は独自の構造とツールを持っており、60ある組織が特定の方法に従って機能するようになっていました。そのように、最近では、年を追うごとに、このような既製のシステムを採用する組織が増えてきました。今回はその選択についてお話ししたいと思います。

内製か既成システムの導入かの選択にかんしては、基本的に、速度と抵抗がポイントになってきます。既製のシステムを採用する場合、自社で内製するよりもはるかに短期間で導入できるメリットがあります。しかし、導入に対する抵抗にぶつかる確率が、内製に比べるとはるかに高くなります。以前、動画の中で、試行と標準化がトレードオフの関係にあると説明しましたが、覚えていらっしゃいますか?既製のシステムを導入しようとすると、基本的に、メンバーがそれに慣れるための直感的な様々な試行を省略することになります。つまり、私が言いたいのは、その組織にとって、どれだけ準備ができているかということです。本当に出来得る限りの準備ができているのかが問われてくるのです。

既製のシステムを採用した場合、導入の速度は大幅に上がります。しかし、充分な準備ができていない段階で導入に踏み切れば、非常に強い抵抗を受けることになります。例えば、その抵抗を緩和するために、移行開始までの一定の期間、参加型のワークショップを実施しているコーチの集まりなどもあります。彼らはホラクラシーのコーチで、そのシステムを心から信頼している素晴らしい人たちです。ただ、すべてがコーチのサポートを受けられる会社というわけではありません。深刻な経営不振に陥っていた、かつてのバスク州の多くの企業もそうです。当時は経営の仕方に問題があり、企業の存続が難しくなっていました。そんな時、ある企業の経営者は、まる1日、生産をストップして、すべての従業員を集め、その原因を突き止めることにしました。そして、その会合の結果、数年前から「セルフマネジメント」で運営している別の組織に見学隊を派遣することになりました。そして、見学を終え、派遣隊は戻ってきました。そして、彼らは、その企業が参加しているNERシステムに加わるかどうかを従業員投票で決めるという提案をしました。そして、支持が80%や90%の圧倒的多数である場合にのみ、システムへ参加するということになりました。その実施権限は派遣チームが持っていました。本来の「準備」とは、このようなプロセスを経て、できあがっていくことを言います。

もし、こういった準備をしないままに進めようとすると、抵抗勢力の反発にあいます。というのも、そこにいる人たちは、ただ単に仕事がしたいだけだからです。それなのに、突然上から「こうします」と言われても、新しいプロセスや新しい人間関係、新しい会議形式など、覚えることがいっぱいになっただけで、結局、何のメリットも得ることができません。「なぜこんなことをするのですか?私に選択権はないのですか?説明会もなしに鶴の一声で決めてしまっていいことなのですか?どうせ、最近流行しているシステムだと誰かにそそのかされたのでしょう」と言って彼らは異議を唱えます。当然、このような従業員の態度は企業にとってのリスクになります。もうひとつは、従業員が抵抗することなく言われるがままに導入に従った場合も、リスクは同様に孕んでいます。つまり、システムツールが実行されるだけで、それが組織のパーパスとどう関係しているか、サービスが顧客にどのように役立っているかなどの深い理解が欠けたままであるからです。これが組織の準備に関する「問題」の核心です。

ここまで、内製化するか、あるいは、既製のシステムを採用するかといった、0か1かの選択で話をしてきました。実際に、いま、「セルフマネジメント」への移行事例は増えてきていますが、両者の折衷案というタイプも存在します。基本は内製路線で進めてきて、ある一定の準備が整った時点で、足りていない部分をソシオクラシーやホラクラシーで補うというやり方です。そのやり方でも、当初は多少の違和感はあるかもしれませんが、時間が経てば、システムは確実に機能するでしょう。好奇心さえ維持できていれば、組織は確実に進化できるでしょう。ホラクラシーという枠組みを超えて進化する可能性だってあると思います。その意味でも、準備が整っているかどうかという「問い」は、移行時の重要な基準になります。

もう一つ、内製化する場合は、自社におけるシステムの開発能力が問われることがあります。もっとも、その方法を学びたいと強く望んでいるリーダーやメンバーも多数存在します。彼らは、自らがシステムを変えなければならないという、強い意志をもって、私の本や他の色んな種類の本を読み、学びを深めています。問題はそうでない場合、つまり、そのリーダーたちも「セルフマネジメント」への移行を強く望んではいますが、自分自身の根っこの部分にモチベートされた情熱を持ち合わせてない場合です。彼らは「セルフマネジメント」で組織運用をしたいと思ってはいますが、目的は「セルフマネジメント」の形を導入したいだけで、組織のデザインや意思決定メカニズムについては、考えがあるというわけではありません。また、小規模な組織の場合は、特に、そもそも開発能力自体がない場合もあります。そういった場合、無理に内製化しようとせず、既製のシステムを採用することは、とても理にかなったやり方です。そういった場合は、導入支援のためのコーチやファシリテーター、あるいたコンサルタントと契約するのが良いでしょう。

先程、バスク地方の企業の多くは、破産のリスクに直面していたと言いましたが、そんな企業のあるオーナーが私に連絡してきました。「私はあなたの活動をずっと見てきました。そして、「セルフマネジメント」を導入したいと思うに至りました。ただ率直に言って、どこからなにを始めればいいのかまったく分からないのです。分かっていることは一つ、今のシステムではもう無理なのです」と。もちろん、彼の言っていることは正しいと思いました。だから私は、準備態勢について、いくつか質問をしました。この取り組みに参加できる人材は社内に何人いるか、それがいなければ外部の人材を活用することは可能かといったことをです。そういう時、私は、その人物の持っているバイアスもチェックするようにしています。その彼が内製をしたいと言っているとしたら、その理由を確かめなければなりません。そもそも内製することに時間が使える組織なのか、そうでないなら外部の知識を使えばいいのです。あるいは、その逆もあるかもしれません。急ぎ過ぎて準備ができていないのなら、先に内側に手を付ける必要があります。そのようにして、経営者の言葉の背後にあるものを探っていきます。

最終的に、既製のシステムを採用することになったとしても、リーダーのスキルセットがそれに向いているかどうかは見極める必要があります。リーダーがスキルも考え抜く忍耐力も持ち合わせてない場合、組織内にその役目を担える人がいるかどうか探さなければなりません。そこに求められるのは個人のスキルセットであって、情熱ではありません。

次に、ソシオクラシーとホラクラシーについてもう少し詳しく説明します。その2つは、既存モデルの代表格です。現在のソシオクラシーは、さまざまな解釈に別れているので、それらについて長く話すのは今回の主旨から外れてしまいます。なので、あくまで私が理解している範囲で話します。一部のトレーナーの中には、ソシオクラシーを指して、ヒエラルキーシステムに近いという見方をしている人もいるようです。複数の円が重なったような図を見たことがあるでしょうか?それぞれの円は意味のあるカテゴリーに分けられ配置されてます。これからの説明は、ジェームス・プリーストのコミュニティが出している「ソシオクラシー 3.0」に載っています。ソシオクラシーには一定のパターンがあり、組織進化の旅が進むにつれて、次の円を選択して適応していくというものです。ソシオクラシーの導入を手助けしてくれるトレーナーもいますが、私は、彼らとあまり話したことはありません。ですので、彼らが、組織の強みやバイアスをどのように扱うのかあまり詳しくは知らないのです。

一方で、ホラクラシーは、ソシオクラシーとは全くの別物です。ホラクラシーはコピーできないシステムでもあります。つまり、それは唯一無二なシステムなのですが、それゆえに、興味深く、かつ魅力的なシステムです。あとは、なぜか分かりませんが、ホラクラシーが好きな人はそれをものすごく愛していますし、その一方で、嫌いな人はとことん嫌いなようです。その中間の人もいてもよさそうですが、なぜか、両極端に分かれてしまうようです。私の知る限り、それを嫌いだという人は、良く理解せず、印象だけで嫌っているところがあるようです。一方でそれを愛しているという人は、自分が何を欲しているか、何を必要としているかをよく理解している人のように思えます。

まず、ホラクラシーは、既製システムであるがゆえに、それを導入するとなると、そこに適合するのにトップダウンが伴うと認識しておく必要があります。しかし、一旦ホラクラシーが導入されれば、その枠組みには柔軟性があるため、整って来さえすれば、組織はどんどん進化していくことになります。しかし、ホラクラシーは、先程もいいましたが、どこか課されるという感覚は否めないため、抵抗勢力を生み出しやすい側面があります。それを避けようと思うと、繰り返しになりますが、特定の領域で試験的に導入して、そこで試してみた人たちが気に入っているという事実を先に作っておくなどの工夫が必要になってきます。その事実を他の人の目に留まるように公開すれば、抵抗は最小限に抑えることができるでしょう。そして、その後、それを採用するかどうかとという判断は、バスク州の企業の例で挙げたように、投票に任せるというやり方もあります。これは一種の養子縁組のようなものです。また、責任性やメンバーの意欲を高める方法としては、逆説的かもしれませんが、権威付けする方法があります。つまり、法のしばりを適用させるという意味ですが、ホラクラシーでは、リーダーが「ホラクラシー憲法」に署名します。

もうひとつの注目すべき点は、他のシステムも同じかもしれませんが、ホラクラシーも創設者の人となりを強く反映しているという点です。つまり、創設者であるブライアン・ロバートソンは、実に明快さを愛する人であるがゆえに、それはホラクラシーにも強く反映されています。ホラクラシーは、すべてが時計仕掛けであるような精密さを持っており、すべてが明確に規定されたシステムといえます。目標に対しての曖昧さがないシステムと言い換えてもいいでしょう。そこで働く人たちは、役割と説明責任が何であるか、そして、ものごとの決定方法を正確に理解することになります。仕事の領域とポリシーに圧倒的な明確さがあるのがホラクラシーの特徴です。仕事と組織文化に「明確さ」を求めるタイプの人なら、ホラクラシーはきっと合うと思います。また、ホラクラシーは常に学習が求められます。そのため、そこにいると、自ずと学びを得ながら働くことができるでしょう。チームにとっても、サークルという呼び方とドメインという呼び方で、業務範囲が規定されています。ただそれらが複雑に入り組み、構成はシンプルではありません。そういう意味でも、学習が求められる仕組みになっています。つまり、そのやり方が合うかどうかは、組織を選ぶということです。明確さを求める文化がある組織はすっと適応できる反面、そうでない組織もあるということです。

たとえば、私は、ビュートゾルフ社の看護師チームなどはホラクラシーを採用するべきではないと思っています。彼らにとってみれば、ホラクラシーをわざわざ付け加える必要は全然ないからです。率直に言って、看護師のカルチャーはそれを拒絶すると思います。一方で、もし、ITの企業などが、既存の組織開発ツールなどを使って、人を割り振り、役割も決めて、役割定義に従って組織を運営しているなら、ホラクラシーは彼らの文化にフィットするかもしれません。ただ、これは私の意見であって、もちろん、あなたには、あなたなりの認識を持ってもらいたいと思っています。

もうひとつ、知っておくべき大事なことは、学習が中心に据えられるために、メンバーは自らの内面に向き合う過程を経ることになるということです。ある程度は、「セルフマネジメント」への移行の際にも同様の経験はしますが、ホラクラシーの場合、それが顕著になります。内省が大きく進む間は、顧客が置き去りになることもあります。もちろん誰もがそれを経験するわけではありませんが、少なくともそういうリスクもあるということです。さらにもうひとつ、知っておくべきことは、ホラクラシーは、役割の割り振り方や情報の伝達ルートなど、明快に規定された業務システムを持っていることです。これは非常に明確にいろんなものを当てはめていきます。しかし、ホラクラシーのことを単なる既製のシステムだと考えている人たちは、その中に、「アプリ」と呼ばれる、何も割り当てられていない空白の番地があることを知りません。「アプリ」に関しては、ホラクラシーは何も定義していないのです。これは、ホラクラシーの最もよく考えられたところと言えますが、「アプリ」のインストールには組織の独自の方法が必要になります。つまり、パフォーマンス管理についてはそれ用の「アプリ」が必要になり、採用には採用の、退職には退職のためのアプリが必要になります。予算管理についても同様です。この既製のシステムを使用することは、大皿にすべてが揃っていると思っている人もいるようです。ホラクラシーというOS(オペレーティングシステム)を大皿と呼ぶにはふさわしいとは思いますが、最初からアプリがすべて揃っているわけではありません。知っておくべき重要な点は、ホラクラシーが規定しているのはインテグラルでいう、「我々」に相当する領域、つまり、組織カルチャー領域だけなのです。そこで役割を活性化することはできても、個人の領域や、個人と個人との対人の領域まではタッチしていないのです。ホラクラシーを採用している多くの組織から聞いたところ、しばらくの間、彼らはこれらの新しいテクニックやツール、実践を学びますが、そこに集中するあまり、「あること」を忘れてしまうそうです。つまり、人と人との関係にある暖かくあいまいな部分が忘れ去られ、一種の「冷たさ」が組織を支配するそうです。また、すべてが機械的であるという感覚さえ起こり得るといいます。それは、単に、ホラクラシーは、金曜日の午後の会食といった暖かくファジーなイベントがないと言っているのではありません。問題としたいのは、ホラクラシーを導入する際、一部の組織に限られると思いますが、思いやりなどといった、温かいものが忘れ去られるという現象が起こるということです。実際には、すべてはメカニカルに処理されているように感じるそうです。

最後になりますが、ホラクラシーは人間関係などの内面的な部分にはあまり目を向けていないという特徴があります。もしかしたら、最近はそうでもないのかもしれませんが、また、トレーナーによっても違いがあるのかもしれませんが、それは大きな特徴の一つでもあります。ホラクラシーのトレーニングする際は、ミーティングを行い、それを試してみてどうだったかという機能の確認に重点が置かれます。例えば、マネージャーでなくなったときに感じる痛みを話し合う空間が用意されていることはほとんどないようです。それは、私に言わせれば、必要最小限のことさえ用意がない大きな欠如のように思えます。もちろん、それに気付いたから後で作るというのでいいのですが。とにかく、移行をより容易にするためには意識しておくべきことに違いありません。

私がホラクラシーやソシオクラシーの仕組みに見出したメリットや、それらの既製のシステムを採用することの難しさについては、まだまだ言い足りないところがあります。しかし、これまでのところが、あなたにとって有益であったことを願っています。既製のシステムを採用するかどうかについては、もう一度、自分の組織の本質とは何かを考えてみてもらいたいと思います。組織ごと進化させるのを望むのか、既成のやり方を当てはめていくのか、あるいはそれらのいいとこどりをするのかといったことをしっかり考えてください。


■お願い
動画の最後にもあるとおり、この取り組みはすべてギフトエコノミーによって成り立っています。
この取り組みを支援されたい方は、以下のリンクからLalouxへのご支援をお願い致します。
https://thejourney.reinventingorganizations.com/in-the-gift.html

■翻訳メモの全体の目次
https://note.mu/enflow/n/n51b86f9d3e39?magazine_key=m3eeb37d63ed1

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