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エンプロイアビリティとキャリア・サバイバル


先日、『エイジングと公共性』という本を読んでいたら気になるレポートに出くわしました。1999年に日経連が出した『エンプロイアビリティの確立をめざして : 「従業員自律・企業支援型」の人材育成を』というレポートがそれです。現在の労働市場や企業の人材戦略の現場では、「リスキリング」、「キャリア自律」、「(個人の)市場価値」という言葉は一般名詞化し、そして、企業はそれらの実現を目指して、様々な施策を打っています。それらの言葉の示す基本概念は、1999年のこのレポートにすべて内包されていることに驚きました。それらの言葉が使われるようになったのは少なくともここ5年くらいのことだと思っていたからです。25年かけて(これを書いているのは2024年)まだ実現途中であるという驚きと、もう一つは、その間に社会環境や経済環境が大きく変化しているにもかかわらず、今も25年前の「あるべき姿」を目標にしていてもいいのかという疑念が湧いてきました。
 
このレポートが目的とするのは、企業の競争力と成長力を高めることです。そのためには、人材の流動化を早期に実現することが必須といった論調です。そのためには個人の長期的なキャリア形成は犠牲にせざるを得ない、労働者個人にとっては、最後は「自己責任」という、新自由主義的な考え方が強く感じ取れます。それが、個人と企業は対等という、「エンプロイアビリティ」の考えであり、「キャリア自律」もその考えの中にあります。この文脈だと、企業が個人に「キャリア自律」を促す目的は、個人のためではなく、企業の存続である、ということになります。ただ、そのような極端な捉え方をしてもよいのか、検証が必要です。
 
すべてはここに始まる、というレポートなので、その根幹となる箇所を以下に引用します。

1980年代における市場競争の激化により、多くの企業は競争に勝ち残るためにダウンサイジングを推進した。ダウンサイジングの進展によって「長期雇用」という、従来、経営者と従業員が共有していた暗黙の了解事項である「社会的契約」を破棄せざるを得なくなった。(中略)企業は、長期的な雇用を保証できないかもしれないが、従業員に教育の機会を提供し、企業の内外で通用するスキルを身に付けさせ、場合によっては社内外の転職を支援する。従業員のスキル形成のためのカウンセリング訓練や教育訓練を行い、労働市場で従業員が競争力を持てるように支援する。一方で従業員は、一つの企業における長期雇用をあてにするのではなく、自ら教育訓練の機会を求め、様々なタイプの仕事を経験し、様々なタイプのキャリアを追求することになる。」

『エンプロイアビリティの確立を目指して』

「『社会的契約』を破棄せざるを得なくなった」という箇所はたいへん重要なポイントです。会社に就職すれば定年まで面倒を見てもらえる、安心して人生設計の組み立てができるという福祉国家的なあり方との決別をこの一文で宣言しています。現在でこそ、終身雇用制は崩壊したなどと言われますが、1999年の時点で、終身雇用はもう終わらせると言っているのです。
 
この文章の最後にある「一方で従業員は、一つの企業における長期雇用をあてにするのではなく、自ら教育訓練の機会を求め、様々なタイプの仕事を経験し、様々なタイプのキャリアを追求することになる」というのが、直訳すれば「雇われ続ける能力」である「エンプロイアビリティ」を高めるのに求められる個人の行動指針です。個人に紐付く労働力は、一企業の所有物ではないという、個人の側から見ると「自由」を得る代わりに、同時にキャリアは容易に「ドリフト(漂流)」してしまいがちなことが想像できます。

1.労働政策の大転換

「エンプロイアビリティ」という概念の誕生

「エンプロイアビリティ」という言葉や概念の歴史は意外と古く、1950年代から1960年代にかけて、アメリカやヨーロッパで使い始められたとされます。公共事業を中心に推し進め、完全雇用を目標としたケインズ主義が破綻を見せ始めた時期と重なります。教育・雇用政策に関する議論の中で、労働者がいかに経済環境に適応できるようになるかという議論の中で誕生した概念です。そして、特に1970年代以降、労働市場の柔軟性やキャリア開発に関する議論の中で頻繁に言及されるようになったといいます。「エンプロイアビリティ」と「完全雇用」は対立的な概念であることが分かります。ということは、「エンプロイアビリティ」の考え方とは、すなわち、企業にとって労働調整が容易にできるように、社会の辺縁部に労働力の予備群を常設することを意味することであるといってもよさそうです。
 
平井規之・北川利彦・滝田和夫著『経済原論』によると、「資本蓄積の長期的発展を平均的にみるならば、そこには常に一定の産業予備軍が存在しなければならない。それなくしては、突発的な膨張局面である好況局面は出現しえない」とあります。不況時に、企業は人件費を削るなどダウンサイジングして、体力を温存しておかないと、市場が好況に転じたときに成長につなげられないという意味に受け取ることができます。さらに、資本構成を高度化するには、不完全雇用、つまり、非自発的失業の措置は必要であることが書かれています。経済原理において不況時に失業者が大量発生することは理解できますが、好不況関係なしに、構造的に労働力の予備群を作ろうとする「エンプロイアビリティ」には、別の意図が潜んでいるのでしょうか。

「エンプロイアビリティ」の昔と今

日本におけるエンプロイアビリティの概念の起点は1999年だと説明しました。1999年当時は「失われた10年」(今は30年)と言われていましたが、背景に企業のダウンサイジングが求められたことは分かっています。ではそこから25年たった今と比較することで、社会環境や労働環境において、何が同じで何が違うかを見ていきたいと思います。
 
この手の問いに最も威力を発揮するのが生成AIです。

ChatGPT:
1999年当時と現在の日本の労働市場には、多くの重要な違いがあります。これらの違いは、経済環境、技術革新、社会構造の変化など、さまざまな要因によってもたらされています。

1. 経済環境の変化
1999年:
・1990年代のバブル崩壊後、日本は「失われた10年」と呼ばれる経済停滞期にありました。
・失業率が高く、新卒者の就職難が社会問題となっていました。
・長期雇用や年功序列型の雇用慣行が依然として主流でした。

現在:
・少子高齢化が進行し、労働力人口が減少しています。
・経済は徐々に回復し、失業率は低下しているものの、非正規雇用の増加が課題となっています。
・グローバル化とデジタル化が進み、企業は柔軟な労働力を求めています。

2. 技術革新
1999年:
・インターネットやIT技術の普及が始まったばかりで、企業のデジタル化はまだ進んでいませんでした。
・多くの仕事が依然としてアナログな方法で行われていました。

現在:
・デジタル技術の進化により、リモートワークやフレックスタイム制が普及しています。
・AIやロボティクスなどの先進技術が労働市場に大きな影響を与え、労働者には新たなスキルの習得が求められています 。

3. 労働市場の構造変化
1999年:
・正規雇用が主流で、企業内でのキャリアパスが明確でした。
・女性の労働力参加率は低く、家族の介護や育児は主に女性が担っていました。

現在:
・非正規雇用の割合が増加し、雇用の不安定化が進んでいます。
・女性や高齢者の労働力参加が進み、多様な働き方が認められるようになりました。
・ワークライフバランスやダイバーシティが重視されています 。

4. エンプロイアビリティの重要性
1999年:
・エンプロイアビリティの概念はまだ新しく、企業の支援に頼る側面が強調されていました。
・従業員は企業内での成長を期待する傾向が強かった。

現在:
・労働者自身がキャリアを主体的に管理し、市場価値を高める必要性が強調されています。
・終身雇用制度が崩れつつあり、転職やスキルアップが一般化しています。

これらの変化は、日本の労働市場が多様で柔軟な働き方を受け入れるように進化してきたことを示しています。また、技術の進化とグローバル化により、労働者にはより高度なスキルと柔軟性が求められるようになっています。

経済環境の変化について、確かに今は1999年当時に比べて経済状況は回復しているように思えます。しかし、完全雇用に関して言うと、現在は労働人口が減ってきたにもかかわらず、相変わらず非正規労働者の割合が減らないという課題があります。これは社会課題かもしれませんが、労働力の調達を容易にしている面や、パフォーマンスの上がらない社員を大量に抱えることを避けたい企業にとっては悪いことではありません。
 
技術革新について言うと、AIやロボティクスなどの先進技術の進展と共に、労働者にはそれらを使いこなすスキルの獲得が求められるようになりました。これはリスキリングの文脈でよく理解できます。成長産業への労働力の移動を推し進めていく上で、完全雇用はその妨げとなる可能性が高いことがわかります。これは好不況の影響ではなく、産業構造の変化が原因で、労働者側にもその対応が求められるようになったということです。
 
次は、労働市場の構造変化を見ていきます。ChatGPTは、1999年当時、「正規雇用が主流で、企業内でのキャリアパスが明確でした」と答えていますが、キャリアパスが本当に明確だったのかは、かなり疑わしいと思います。ただ、正規雇用が主流というのは間違いなく、それが今、「雇用の不安定化が進んでいる」となっているのはよく分かります。1999年のレポートにある通り、企業がダウンサイジングを図ってきた結果、労働者個人のキャリアパスは一貫性の喪失のリスクにさらされてきたのは間違いありません。1999年当時、政府や企業がやりたかったことが、常態化という形で、いま実現しているように見えます。
 
ChatGPTは「エンプロイアビリティの重要性」という項目を立てて、答えてくれていますが、ここでの「労働者自身がキャリアを主体的に管理し、市場価値を高める必要性が強調されています」「終身雇用制度が崩れつつあり、転職やスキルアップが一般化しています」というのは、まさに、25年かけて達成した、今の労働環境だと言えます。
 
ということは、1999年当時は企業の生き残りのためのダウンサイジングが目的で「エンプロイアビリティ」が叫ばれたものの、時代とともに、背景は景気ではなく産業構造の変化にすり替わり、方向性だけは脈々と受け継がれた結果、労働移動や労働力の調達の容易さがフックとなって、「エンプロイアビリティ」は完成期に入ったと結論付けてよさそうです。

経済目的と非正規化

『エイジングと公共性』では、この労働市場の歴史的転換を以下のように説明しています。

1970年代に着手され、1980年代において本格化した“福祉国家の解体”は、政治的にはニューライトの台頭によって、生産点においては、対抗的な労働を掘り崩しながら進められてきた。前述のような観点からみれば、エンプロイアビリティという概念もこの解体戦略の延長線上に置くことができ、“福祉国家の危機”以降の社会政策や経済政策、雇用政策的な「福祉の代替プラン」の一つとして位置づけることが可能である。

『エイジングと公共性』

ロジックは分かるものの、難解な文章です。「1980年代から始まった“福祉国家の解体”はニューライトの台頭・・・」というのは、小泉政権の規制緩和とネオリベラリズム政策の浸透によって、完全に方向づけられたことが読み取れます。しかし、その後の、「生産点においては、対抗的な労働を掘り崩しながら進められてきた」という表現は直感的には理解が困難です。「生産点」ですからこれは恐らく「企業」です。そして、「対抗的な労働」の「対抗」とは、従業員を福祉的に保護するもの、つまり「労働組合」です。ですので、「対抗的な労働を掘り崩しながら進められてきた」というのは、「労働組合によって守られてきた雇用、つまりは労働力を切り崩してきた」という意味ではないでしょうか。「労働組合」は、福祉的終身雇用を守る立場ですから、エンプロイアビリティのような労働力の流動性を高めようとする動きから見ると、本質的には抵抗勢力となります。エンプロイアビリティは、「“福祉国家の危機”以降」の「福祉の代替プラン」であるというくだりは、ダウンサイジングによる非自発的失業が起こりやすくなった状況下で、企業は従業員に対して、十分なキャリア教育やスキル獲得のための教育を施さないといけないことを意味しています。失業した際、次の仕事がすぐに見つかるようにという意味が込められていますが、「代替」とまでは言い過ぎのような気がします。ライフプランの見直しを迫られる個人のリスク許容度は、キャリアやスキルだけでカバーできるほど高くはありません。
 
『エイジングと公共性』では、このような経済合理性を説明した後に、経済政策の転換についての記載が続きます。

ケインズ主義的福祉国家においては、有効需要の創出による完全雇用の維持が原理的に承認されていたが、シュンペーター的労働国家においては、イノベーションを中心とした競争力の涵養によって成長を確保することが至上命題となる。完全雇用を通じて国民(=労働力)を生産拠点へと回収する姿勢は積極的に破棄され、生産に内包されていたものが次々と周縁化されていく。今まではコアにあった正規労働力を、容易に貼り替え可能な-フレキシブルな-辺縁労働力へと置換すること。エンプロイアビリティとは、ある意味、これらの終点を指し示すものかもしれない。

『エイジングと公共性』

ケインズ主義的な完全雇用とは、男性は会社員として企業で働き、女性は家庭で家事や育児という非賃金労働に従事することで実質的な失業者を出さないことを意味します。アメリカでいうと「奥さまは魔女」。日本なら「サザエさん」の世界がケインズ主義の理想世界といえます。「3丁目の夕陽」など、私たちが昭和のノスタルジックな世界に懐かしさを抱くのは、成果主義的でない、ほのぼのとした雰囲気に対する憧れがあるのかもしれません。そのまったりした世界に浸っていては、イノベーションが起こらない、国際競争に勝てない、成長もできないというのが、エンプロイアビリティの考え方を支えるシュンペーター的な経済主義です。「イノベーションを中心とした競争力の涵養によって成長を確保することが至上命題となる」というのは、まさに2024年の現在、多くの企業が全社を挙げて取り組んでいることです。「完全雇用」が「放棄され」、「正規労働力」が「貼り替え可能な」労働力として「周縁化」されるのは、まさに正規社員を雇うのではなく、派遣社員によって労働力の調整を行うことを意味しています。同時に、社会構成として、派遣社員、多くの場合は年収300万円未満の低所得者の割合が増えていくことを意味しています。経済の要請に対して法は追い付いていません。正社員は労働法によって守られています。雇用調整を可能とするために多くの企業は派遣社員を積極的に活用します。1999年当時、企業はダウンサイジングを図りました。PL上、人件費という固定費を削って、販管費という変動費に振り替えるのにはメリットがありました。しかし、2024年の現在の経済は下降局面ではありません。「エンプロイアビリティとは、ある意味、これらの終点を指し示すものかもしれない」とあるとおり、正規から非正規という動きは一時的なものではなく、相当量の非正規労働者を抱える形で、社会構成は固定化しました。

2.「キャリア自律」は個人のため?企業のため?

終身雇用のメリット、デメリット

1999年のレポート上では、経済環境の理由で終身雇用はもう限界に来ているとされました。そして、その後は、社会構造の変化に対応する形で、終身雇用は徐々に廃れていきました。ただ、それでも、終身雇用にも良い面はあったはずです。
 
いつの時代にも、衰退産業や好況時の投資のし過ぎなどによって、大量解雇は起こっています。ただ、従業員にとって、いつクビになるのかビクビクしているのも気持ちいいものではありません。「イノベーション」「成長」「競争」がエンプロイアビリティを支える3点セットであることが分かってきました。裏返せば、技術革新を必要とせず、持続可能な仕組みがあり、過度の競争にさらされていない分野なら終身雇用制が残る、もしくは復活する可能性があるのではないかと思いました。
 
そこで、終身雇用制の復活の可能性を含めて、生成AIにそのメリット・デメリットを聞いてみました。

ChatGPT:
終身雇用制度の復活には、いくつかのメリットとデメリットがあります。

メリット:
・安定性と忠誠心の向上: 終身雇用制度は、従業員が安定した雇用関係を持つことを意味します。これにより、従業員は企業に対する忠誠心を高め、組織の目標や価値観に共感しやすくなります。
・労働関係の安定化: 終身雇用制度は、労使双方の関係を安定化させる可能性があります。企業と従業員の間での信頼関係が築かれ、労使紛争や離職率の低下につながる可能性があります。
・スキルの長期的な育成: 企業が従業員の長期的な雇用を保証することで、従業員に対する投資やスキル開発の意欲が高まる可能性があります。これにより、従業員のスキルや能力の長期的な育成が促進されます。

デメリット:
・柔軟性の低下: 終身雇用制度は、企業にとって柔軟性の低下をもたらす可能性があります。業績の変動や市場の変化に対応するための人員調整が難しくなる場合があります。
・労働市場の流動性の低下: 終身雇用制度は、労働市場の流動性を低下させる可能性があります。新しい人材の参入や既存の従業員の転職が困難になり、労働市場の活性化を阻害する可能性があります。
・高い雇用リスク: 終身雇用制度は、企業にとって高い雇用リスクを伴う場合があります。従業員の不適切な行動や業績の低下などの問題が発生した場合、解雇が困難になる可能性があります。

これらのメリットとデメリットを考慮すると、終身雇用制度の復活は企業や労働市場にさまざまな影響を与える可能性があります。従業員の安定性と忠誠心を重視する企業や、業界や市場が安定している場合には、終身雇用制度の導入が適切な選択肢となるかもしれません。

デメリットに挙げられている、労働力に対する柔軟性と流動性の低下はこれまで見てきたとおりです。雇用リスクの高さについても言及済みで、エンプロイアビリティにとってのデメリットとほぼ完全一致します。それは当然で、エンプロイアビリティ自体が、終身雇用制の終焉を意味したものであったからです。
 
一方で、メリットで挙げられている、「安定性と忠誠心の向上」、「労働関係の安定化」、「スキルの長期的な育成」は、いずれも、エンプロイアビリティによって失われたものと言ってよさそうです。今、多くの企業が従業員のエンゲージメントの低下に悩んでいますが、「リスキリング」、「キャリア自律」、「市場価値」などのエンプロイアビリティに基づく施策を進めているにもかかわらず、忠誠心(ロイヤリティ)という意味でのエンゲージメントが上がらないと嘆くのはおかしな気がします。そういった企業は、「エンゲージメント」が、会社に対する忠誠心を指しているのか、業務に従事する上での没頭感を指しているのか、言葉の意味するところの設定が社内でもあいまいといったケースが多いように思います。
 
ただ、終身雇用制を維持する、もしくは復活させるにしても、それは目的ではなく、状態にすべきであると思います。そうした場合、今度はそこに「年功序列」という考え方もセットで戻ってくるからです。年功制を入れるか、入れない場合に賃金制度をどのように機能させるかという次の問題が出てきます。終身雇用が定年制を意味するのか、それとも定年がなく、引退は自分で決められるのかによっても制度運用は変わってきます。ですので、ここで意味するのは「終身雇用制度」ではないことはご理解いただきたいと思います。終身雇用制とは、能力的な理由で社外に放り出されることがなく、年齢を重ねても安心して働ける職場を意味するという程度で捉えていただきたいと思います。

労働力の周縁化は個人にとって厳しすぎるのか?

終身雇用制が守られる可能性について考察をしましたが、現実は、終身雇用制はほぼ崩壊(エンプロイアビリティがほぼ完成)しました。と、ここまででお気づきだと思いますが、労働力に対する柔軟性と流動性を高める、雇用リスクを下げるなど、エンプロイアビリティのメリットの多くは企業側にあります。企業は従業員にキャリア教育やスキル教育を施すと言っても、それは失業対策的な補完措置でした。
 
それでは個人にとってはデメリットの方が大きすぎるように思えます。ただ、一概にそうとは言い切れない側面もあります。そもそも労働者に一方的に不利なものであれば、25年もかけて定着することはないように思います。従業員は実務や企業研修などを通して、実際に生産力を高めていくことができます。それは失業対策という後ろ向きなものではなく、転職等のネクストステップにも大いに役立ちます。また、いつクビになるかびくびくするのではなく、社内でも存分に力を発揮していくことが可能になります。これが本来の意味でのエンプロイアビリティ(雇われ続ける能力)の向上というものです。

フリーエージェントとセーフネット

エンプロイアビリティは社会構造の変化とともに企業経営の中に根付いていきました。真にエンプロイアビリティの高い人は、企業を辞め、独立していくでしょう。その方が自由度が高いし、稼ぎたければ会社の賃金のように上限があるわけではありません。人を雇えば事業を大きくすることもできます。今も既にそうかもしれませんが、大きな企業ほど、その役割はプラットフォーマー的な位置づけになってくるはずです。社員はプラットフォームの運営者となり、調整業務に多くの時間を割くようになります。そこでの生産の主体となるのは、エンプロイアビリティを高めて外部に出たフリーエージェントたちです。業務委託契約をして働くフリーコントラクター(請負人)といってもいいでしょう。プラットフォーム内で運営経験を積む若い社員はフリーエージェントの予備軍です。企業は人件費の分を販管費に振り替えるということです。支払うのは給与ではなく報酬(支払調書)となります。ダニエル・ピンクが『フリーエージェント社会の到来: 雇われない生き方は何を変えるか』を書いて、日本で発売されたのが2002年です。奇しくも、エンプロイアビリティの時代を先読みしていたかのように思います。
 
一方で、世の中はそんな強い人ばかりではありません。職を失うと生活に困窮する人の方がむしろ大半なのではないでしょうか。失業しても困らないくらいの、セーフガード的な互助ネットワークが必要です。エンプロイアビリティによって労働者が剥奪されたのは福祉的な要素です。例えば、誰かが失業して困っているとSNSで上げたら、他の誰かが、「こんな仕事あるよ。週2日程度なんだけど」といった投稿が3つも4つも上がってくるような仕組みが必要です。現在でもある程度は実現しているかもしれませんが、まだまだ十分とは思えません。ハローワークを拡充したらいいじゃないかという人もいるかもしれませんが、これは民間でやらなければいけないと思います。顔が見える人の紹介の方がお互いに安心だからです。福祉的レベルというのは、心配なく、安心してというレベルのことを指すような気がします。
 
ですので、困った時には声を掛けてもらえるよう、普段からしっかり自分の実力を高めておくことが重要です、などとは絶対に言いません。もちろん、ないよりはある方が良いに越したことはありませんが、重要なのはそこではありません。重要なのは、非自発的失業は一概に個人の責任ではないということです。何度も言いますが、エンプロイアビリティは環境を生み出しました。その環境下にあって、自己責任だといって、すべての責任を個人に押し付けるのはあまりに酷というものです。どんな個人においても互助ネットワークの手が届くというのが、本当に安心安全な社会というものです。

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