フレデリック・ラルー、誠実さと活力を取り戻すための招待状⑦(Frederic Laloux with an invitation to reclaim integrity and aliveness)

2020年10月、セルフマネジメント組織コーチであるLisa Gillが主催する「Leadermorphosis」というポッドキャストに、『ティール組織』の著者である、フレデリック・ラルーが登場しました。そのインタビューの訳を7回に分けて掲載していきます。今は、「ティール」を話すことから離れてしまったと言われるフレデリックが、コロナ禍の現状をふまえ、久しぶりに「ティール」についても語ったポッドキャストです。

(前回のつづき。これが最終回)
リサ・ギル:
誰かから「許可」を与えられることは、その与えられた人にとっての「宣言」となってしまわないでしょうか。「私は登録が済みました。だから、この方向に動きます。この方法で作業します」といったような。だととしたら、全員がこの意思決定を遵守すべきだとは思いますが、それでも、リーダーからは、私は「許可」を与えたのに、誰もやろうとしない、という不満が聞こえてきます。それだったら、なぜ最初からイニシアティブを渡さないのか、決定権を与えないのか不思議に思います。そんな不平を言うくらいだったら、何が欲しいのか先に聞いた方がいいと思います。そんなことばかりなので、自分自身を軸にして、常に自らに「許可」を出し続けるというあなたの話を聞くと、魅力的に写ってしかたがありません。しかし、毎度だと数が多すぎて疲れてしまいそうです。1回で終わるものでもないのですね。

フレデリック・ラルー:
分かりました。では、あなたの質問に答えるために、ケン・ウィルバーの4象限のモデルを使って説明しましょう。皆さんがこの理論のことをどこまで詳しいのか、私にはまったく分かりませんが、私は、たまに、この図をつかって説明することがあります。実際、私の本でもインテグラル理論については軽く触れました。2x2のマトリックスに、あなたが抱えているすべての問題が表されます。それを使うと、4つの異なる側面から問題を比較することが可能になります。そして、そこにあるものは、すべてが相互に関連しています。現実を1つの象限でしか見ていないと、残りの3つは見落としているということです。2個と2個に分れた4つの象限は、基本的にはすべて、内部のコンポーネントと外部のコンポーネントに別れています。内側のコンポーネントには私たちの考えや感情を置きます。また、そのコンポーネントで発生するものはすべて測定可能なものばかりです。すべては個別であり、しかも、新たな集合的要素でもあります。中心から遠くにあるものでも、基本的に、それらはすべて、内側の個々のコンポーネントの要素を持っているということです。私はこの考え方でもって、ものごとを見ようとすることが多いです。すべての要素は個々に外部にコンポーネントを持っているとも言えます。これを表しておくと、外部にある行動も可視化しやすくなります。その行動を内側の集合的なコンポーネントの持つカルチャーと照らし合わすこともできます。一旦可視化が完成すると、システムを構成する集合的なコンポーネントとして、また、それを構造のすべてとして、メンバー全員の頭の中で共有することも可能になります。それでもし、誰かが会話の中で、「リーダーとはなにか?」という疑問を持った時、私はその図に沿って話し始めることができます。会話だけで解決できない時も、難しいことはせず、アドバイスプロセスを実行するだけでいいのです。特別なことは何もしません。まだ準備が整っていない人、えー、一定の発達段階にまで到達していない人という意味です、そういった人は、その発達段階の途中であるがゆえに、1つの象限しか見ていない可能性があります。そういった人たちの思考はこの内部のコンポーネントで言いあらわすことができると思います。ということは、彼らは、複数の象限を見るのを妨げている「何か」を持っていると言えると思います。例えば、私なら、1つの象限を指して、ここにまだマネージャーがとどまっているようです、などと言うでしょう。それを指摘してあげることで、彼らは理解を深めることができるようになります。「私は行動してもよいという許可をもらいました」などと言うのは、そこにマネージャーが存在している何よりの証拠です。複眼的に物事を見られるようになってきたら、何かが動き出します。システムとチームがシフトし始めるのです。そこに「頼りとするべき」マネージャーの姿はありません。マネージャーがいなくなったことで、彼らは、クライアントの満足度に関心が向くようになり、それが良い仕事なのか、悪い仕事なのかを気にするようになります。私は、うそは言いません。彼らは自らの行動に、自らで判断を下し始めることでしょう。しかし彼らが、まだ、心のどこかにマネージャーを保持しているならば、システムはセットアップを開始できないまま、そこにとどまり続けます。マネージャーが目隠しになって、従業がリアルな現実から隔離されてしまっている状態は、何をしたら他人が幸せと感じて何をしたら不幸を感じるかは分からない状態といえます。しかし、そのような状況下でさえ、きっと彼らは自己決定したいと思っているはずです。それゆえに、仮に、スキル研修の合間であっても、企業文化について話し合う機会を作ることは意味があるのです。広く構造を見渡していくと、デフォルト状態であらかじめ設定がなされている良いこともあるものです。しかし、形だけでは心もとなく、本来は、マインドセットを変える、心の奥深くに分け入るようなプログラムが必要です。最後に話そうと思っていたことですが、「セルフマネジメント」に抵抗を示す人ほど、実はシャイで、そのために自分をさらけ出す会話を避けたがる傾向があります。つまり、「セルフマネジメント」が機能し始めるには、メンバーは、相互間の「きつい」フィードバックに向き合う必要があります。全員でフィードバックのトレーニングをするなら、最初のうちは、あらかじめフィードバック用の答えを用意しておいてあげるのも悪くないアイデアです。先ほどの象限にかんしても、分類されたものの結果は行動からしか判断できません。ということは、フィードバックは、「行動に対して」から入るべきだと思います。行動様式が右上の象限に移って行くことは良いことですが、相互フィードバックを行っている多くの組織から聞いたところによると、多くの人はそれでもまだ「遠慮がち」に見えるそうです。私たちがみんな持っている、紛争回避能力が邪魔しているのかもしれません。チームが良い仕事をしているのか悪い仕事をしているのか、それに直接的にさらされるシステムを動かすには、そのチームにとっての対象となるクライアントは、会社の外だけでなく会社の内にもいることを忘れてはなりません。社内の他部署という意味です。そこからのフィードバックを取らずにそのままにしておくと、多くの人は、他部署に対して、強い立場を主張しようとしてしまいます。皆がお互いにフィードバックを始めたとしても、トレーニングを受けていなければ、そのフィードバックも上手くは機能することはないかもしれません。トレーニングなしでで始めると、相手へのフィードバックが、かなり辛辣になるようです。とにかくトレーニングは導入したほうがよいと思います。ただ、それだけでも十分とは言えません。本当はこの4つの象限を使いこなせるレベルにまでなってもらいたいと思っています。

リサ・ギル:
インテグラル理論の4象限を使いこなせるようになったら本当に素晴らしいですね。その話で、私はあなたのビデオのあるトピックを思い出しました。病院のリーダーのことを扱った、多くの余剰能力を持っているチームとまったく余裕のないチームの話です。リーダーの洞察力とは、あり得ないことや想定外の問題の発生を前提に、それが起きないようになど、良くないことが起こることに反応する傾向があるように思います。その一方で、助けが必要な場合など、善意がベースとなる事柄には、反応する部分が根本的に異なっているように思います。私は、上手くできない人を見ると、ついついお手伝いしてしまうタイプの人間です。そして、物事の関係性や、何かを発明した人や、その発明が影響を及ぼしそうなことなど、そういうものがずっと気になります。きっと、私が、好奇心が強い人間だからなのでしょうね。

フレデリック・ラルー:
確かに!あなたの取る行動は、問題解決が前提となっていませんね。「セルフマネジメント」のリーダーとは何か、従来のリーダーとの違いがどこにあるのかというと、それは問題解決能力ではなく、メンバーが相談に来てくれる回数にあります。あなたに、まさに、ぴったりですね。テンションのある場所を見極めようとするのが「セルフマネジメント」のリーダーです。そして、システムが、それをどのように処理していくのか、それを見極めます。自然に会話が発生するどうすればよいか、それだけやって、あとはシステムの自己修正機能に賭けるのです。さっきの例では、人員過剰な看護師のチームの生産性はどんどん低下し、その一方で、看護師が足りないチームは人手を何とか確保して欲しいと支援を求めていました。そして、リーダーが人員過剰のチームのところに尋ねて行って、「君たちは明らかに人数が多いようだから、人数最適化の計画を立てて」と言ったとき、彼らは、決して人数は多くないと反論しました。そう突っぱねられたリーダーは憤然として、そのチームの成長段階は「セルフマネジメント」には程遠いと結論付けました。「セルフマネジメント」では、現象をありのままに見ようとしますが、そのリーダーにとっては、問題を解決することだけが目的のようでした。それは、「役職」を手放し切れていない証拠です。そのリーダーが見ているものは自分の上司だけだということです。飽くまで、誰が困っているのか、それは人数の足りないチームだということを忘れてはいけません。したがって、取りうるべき介入は、チームの代表を集めて、情報を交換できるようにするということです。人数の余っているチームは、リーダーに対しては依頼を断りましたが、他のチームが相手では、同じことはできません。それをすると、他のチームから、ひとり楽をしようとしてと、非難の的にされてしまいます。「助けが必要」、このケースのポイントはそこだけでした。しかし、リーダーのあり方には大きな変化が求められます。問題を解決することから、解決に向かう構造をデザインすることに役割が変化したからです。

リサ・ギル:
蜘蛛の巣をアナロジーとするシステム接続を提唱したのはマーガレット・ウィートレイだったと思います。これは、何かを加えるという介入なしに問題解決の方向に持っていくというものだったと思います。

フレデリック・ラルー:
実は、私は、ビデオのマーケティングに失敗したと思っているのです。意図的な口コミを使った方がよかったかどうかは別にして、もっときちんとマーケティングをやるべきだったと思っています。本の成功から比べると、ずるずると後退してしまったような感覚があります。『ティール組織』の本を愛してくれている人であっても、ほとんどの人が、このビデオシリーズの存在を知りません。今、私が言っているのは、本が出た後に作成した130本のビデオのビデオシリーズのことです。本で書いた課題から、さらに異なった課題も追加しました。例えば、これまでとまったく異なる世界観で組織構造を再編するのに、経営自体が上手くいくのか、という質問がありました。私が出した答えは、明確に「イエス」でした。次には、「あなたはそうは言いますが、組織の規模によっても、『できる』と『できない』があるでしょう」などと質問を浴びせかけられます。そして、「その旅はどうなりますか?そこから何が得られるのですか?」などと次々に「問い」が発せられていきます。本が出た後に作った130本のビデオです。それはウェブサイト上にあり、誰でも無料でアクセスできます。今夜しゃべった2つか3つのエピソードも、その中にあるものです。

リサ・ギル:
多くの人は、そのビデオにアクセスすれば一目瞭然といった、あなたがそこで明確にしたことばかりを聞いてきます。だから、私は、そのたびに、このビデオをきちんと見てくださいと言っています。これを見なければ、会話は始められない、というくらいに。

フレデリック・ラルー:
あなたの言うまさにそれが、本という媒体ではなく、ビデオシリーズにしようとした狙いの1つです。なぜなら、多くの人は、疑問を持った際に、そのまま、特定の事柄にとらわれてしまいがちです。そうなる前に何とかしたかったのです。そのため即時性を重要視しました。実際の活用法にかんしては、本で段落を探しながらページをめくるより、10分間のビデオを見る方が早い、というものです。本だったら、ページをコピーしたりスキャンしたりしないといけませんが、ウェブ上のビデオなら、リンクを送ればあっという間に誰とでも共有できます。

リサ・ギル:
実際、本のイラストやビデオシリーズを使って、なぜ、「誠実さ」が失われてしまったのか、よく、経営者たちと会話しています。あなたの本から始まった、この「ティール」現象に対して、あなたは何か求めるものがありますか?そして、その後の発展について、どのように考えていらっしゃいますか?あなたの発する言葉が、次の未来を決めるかもしれません。

フレデリック・ラルー:
いやー、まったく分からないというのが正直なところです。その「ティール」現象ともいえる現象そのものが、一つの命を持った生命体であるとしか解釈のしようがありませんね。あとは、なるがままにその行方を見守るだけです。私にとっては、本が出る前と出た後とでは、見える世界が変わりました。私たちの現在のシステムは完全に壊れているんだという、リアルな感覚が多くの人にあったと思います。しかし、それに対して、何かが機能していたわけではありませんでした。しかし、このいわゆるプランA以外に、他の可能性について、必ずしも多くの会話が持たれたわけではありませんでした。まさに今、シフトしているのは、人々の関心です。システムが壊れていることを明らかにしようとする関心です。まったく異質なものに覆われてしまっていることに気づくのにそれほど時間はかからなかったということです。そこの起点になったのが、私の本なのか、あるいは、あなたの本なのか、はたまた、他の誰かの本なのか、それは関係がないことです。それがいかなるものであっても、私たちには可能性があるということです。この会話のすべてがそうです。何かの可能性です。一人一人がシフトしていけば、いつか、ティッピング・ポイントを迎えることができます。しかし、それでもまだ少数派は少数派のままで、周りからは、過激な人と見られたり、単なる新しいもの好きと呼ばれたりするかもしれません。それが、ある日突然、「君の会社には、まだマネージャーがいるの?」などいう風に、それが時代遅れと認識されるようになった頃、はっきりいつとは気づかないうちに、社会規範が逆転します。少なくとも私がかつて住んでいたベルギーでは、喫煙に対しての価値観が、2年もたたないうちに、高速でひっくり返りました。かつて、私は、レストランに行った時、隣でタバコを吸う人に、別の方向に煙を出してほしいと頼むことが本当に嫌でした。彼らの気分を害するのが分かっていたからです。でも今は、彼らの意識が変わって、タバコを吸わない人の隣で吸うことはマナー違反だと認識するようになったのです。彼らは、隣で喫煙したことを詫びて、バルコニーに向かいます。これは、ごくごく小さな例ですが、かつてはとても深く社会に根を張った規範があっという間に逆転した良い例だと思います。そして、経営陣の意識にもそれが起こる日が来ることを楽しみにしています。


最後まで読んでいただいて、どうもありがとうございました。