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第五十四話 怪力快女


その日、私は秋葉原の小さなカプセルホテルで眼を覚ました。
孵化する前の蛹が繭の中で蠢くようにもぞもぞと身体を伸縮させ、視線を狭いカプセルの中で泳がせていると、枕もとのコントロールパネルに嵌め込まれたデジタル時計は四時四十五分を表示していた。
疲労困憊した後は寝つきがよくなるものの、熟睡した分、早く目が覚めてしまう。特にカプセルホテルは、閉所恐怖症気味の私にはあまり快適な寝床とはいえなかった。
前夜、建設機械メーカーに出向き、建築用クレーンのアームの交換する部品の仕上がりをチェックしたのだが、思うように強度が出せなかった。幾度か作り直しを余儀なくされているうちに、終電に乗り遅れてしまった。
夜半に雨が降り出してきた。四月とはいえ深夜に降る雨は傘のない身には堪える。早めに宿を見つけなくてはならなかったが、生憎、都心のビジネスホテルはどこも満室で、止む無くこのカプセルホテルに泊まってはみたものの、寝覚めはよくなかった。
まだ建築現場に行くには早過ぎる時刻だが、このままカプセルホテルの狭い空間に留まっていても気詰まりだ。
そう思って身づくろいすると、洗面所に向かった。
シャワー室に隣接した洗面所は歯磨きや歯ブラシ、髭剃り、整髪料、フレグランスの類が整然と並べられていた。私同様、ここから仕事に向かうのだろう、既に数人の男たちがシャワーを浴びたり、髪を整えたりしている。シャワーを浴びるのもおっくうに感じた私は、顔を洗って外に出た。
ちょうど収集日なのか、街角にはごみが溢れていた。出されたごみ袋をつついて、カラスが群になって餌を漁っている。破れたごみ袋からは魚の腸のようなものが顔を覗かせていた。近づくと、カラスはピョンピョンと跳ねて道を空けた。遠巻きにしているカラスを驚ろかそうと、小走りに駆けて近寄った。威嚇されたカラスは、一斉に飛び上がって電線に停まった。
いつもは煩雑を極める秋葉原駅も、さすがにこの時間では人気がなかった。とはいえもう電車は動いている。
改札を通って階段を上がっていると、ちょうど五時二十八分の中野行き電車がプラットフォームに入ってきた。
この時間帯の電車に乗ることはあまりないので、いつもの通勤時と様変わりした車内の様子が私には珍しかった。
座席に人影はまばらで、最後尾の車両の端に担ぎ屋のお婆さんが三人、居住まいを正してちょこなんと正座している。三人とも結構な年配で、前に紐で結んだ定期券をぶら下げている。お婆さんたちの横には自棄に大きな荷物も腰かけている。竹で編んだ縦長の籠で、お婆さんの背丈近くもある。あまりに大きな荷物なので端のお婆さんに声をかけた。
「どちらから?」
すると三人がそれぞれ口を開いた。
「あたしたちかね、千葉からさ」
「これまた随分大きな荷物ですね」
「朝早く、まだ薄暗いうちに採った野菜や、前の夜に用意しておいた餅や漬物などを水道橋の駅前で商うんさ」
「大きな荷物ですが、これを担いでいくのですか?」と訊いた。
「ああ、毎日じゃあねえけんど、水曜と土曜と週二日、あはははは」と右手の指を二本立てながら豪快に笑い飛ばした。
「この荷物、随分大きいですが、どれくらいあるんですか」と訊くと、「そうだね、七十キロほどにはなるかな、百キロまではいかねえけんど」と返ってきた。七十キロとはびっくりした。しかし、ここにこうして荷物があるということは、このお婆さんたちが担いで運びこんだのだろう。それ以外に考えようもない。この小柄な女性たち、それも結構なお歳の老人が、屈強な壮年の男でも担ぎ切れるかどうかという重い荷物を担ぐというのだ。にわかには信じ難かった。何しろ七十キロの荷物なのだ。
電車はお茶の水駅を通り、そろそろ水道橋だ。
車窓が白んできて、「よっこいしょ」とお婆さんたちはおもむろに下車する準備に取り掛かった。床に立ったお婆さんと窓外の超高層ビルが並んだ格好になる。水道橋駅に差し掛かろうというところで、お婆さんたちは座席に置いた荷物を背負って立ち上がろうとした。
大丈夫だろうか。さっきはあのように聞いたものの、小柄なお婆さんに果たしてこれだけの荷物が背負えるのだろうか。駅の手前で電車がブレーキを掛けるタイミングを見計らって、老婆は「さて」と掛け声を発したかと思うと肩ひもの下に潜り込んだ。すると別のお婆さんが後ろから手で荷物の下を支えるようにして持ち上げた。少しいきんだかと思うと、あっさりと荷物はお婆さんに背負われた。
すると、お婆さんが超高層ビルを背負ってすっくと立ち上がったかのような錯覚にとらわれた。
間もなく電車は水道橋駅に着いた。驚いている私たちを尻目に、お婆さんたちは互いに声を掛け合いながら改札口へと向かっていった。
居合わせた乗客たちは見事な手品か一幕のアトラクションを観させられたかのように、唖然としていた。
ざわめきの残る車内で若者のグループが、「あのお婆さんたち、パワーリフティングをやったらどのくらいの重量を差し上げられるのかな」「スクワットで何キロ持ち上げられるか見てみたいね」「腕はそんなに太くはなさそうだったから、ベンチプレスやデッドリフトはあんまり期待できないけど、スクワットなら結構いけるんじゃないかな」「それにしてもあの歳の女の人であんな荷物を担ぐんだから凄いよね」と口々に話し始めた。
それを聞いていた老人が「あれはね、単なる力じゃないよ。馬鹿力じゃあ上がらないね。胆力、胆力だよ。人間にはね、丹田というものがあるんだ。臍の下にね、丁度この辺りさ」と言って、股間の上を指さした。「丹田に意識を集中すると思いがけない力が湧くって、昔から言われているんだよ。昔の人は好い事言うね」と得心している様子だった。
すると、いつの間にか隣に来ていた男性がおもむろに口を開いた。
「彼女たちはね、重力のコントロールの仕方を知っているんじゃないかと思うんですがね。そうじゃなくちゃ、あの歳であの身体であんな荷物が担げるわけがない。いえ、物理学に知悉してやっているというわけじゃないと思うんですよ。何というか、こう、自然にというか、名料理人が魚の骨の間に包丁を差し入れてスパッと切り分けるような、ああいう感覚で、重力をスパッと断ち切って持ち上げるんです。見事な技というべきですな」と独りで納得している。
単なる力かもしれない、ひょっとすると胆力や重力のコントロールがあのお婆さんたちにできるのかもしれない。しかし、あの如何にも重そうな荷物は本当に七十キロ近くもあったのだろうか。
確かにお婆さんたちは重そうに荷物を持ち上げていた。しかし、誰一人としてあの荷物の重さを確かめてはいない。本当に七十キロ近くあったのだろうか。案外二十キロくらいしかないこともないではない。訊かれて「七十キロほどにはなるかな」と冗談のつもりで言ったことが引っ込みが付かなくなったということもあり得る。
もしくは、あの遣り取り全体が彼女たちのパフォーマンスだったという線だって捨てきれない。いずれにせよ、乗客たちの間には彼女たちの逞しさだけが残った。
電車はゴトリと動き出した。
私の耳にはお婆さんたちが籠を背負うときに発したギシギシという音が蘇ってきた。竹で編んだ籠には裂織りの草鞋型の肩当てが付いていた。要らなくなった端切れで編んだものだ。竹籠には不釣り合いな派手な柄だった。モンペや手拭などの布切れを裂いて編み込むと、所々に原色のアクセントの入った派手な柄になる。
立ち上がったお婆さんたちが歩くと、ギュッ、ギュッといかにも中身の重さを誇示しているかのような音を立てた。
「一体、あの籠の中身は何なのだろう」
老婆は「野菜や餅や漬物など」と言っていた。担ぎ切れる量に限りがある以上、なるべく高く売れるものを選んで持ってくるのだろう。キャベツや白菜、大根、ジャガイモなどの重量野菜はあの重さで一つ150円とかせいぜい200円だろう。そんなものを商っても碌な商売にはならない。軽くてそれでいて値の張る春菊やセロリなどの葉物野菜が中心になるのだろうか。自家製の佃煮や味噌などは喜ばれるだろう。あればの話だが、日本ミツバチの蜂蜜などは最高の商材だ。
それにしてもあのお婆さんたちは、歳の頃は、きっと私の母より年配なのではないかと思う。もう七十歳を超えているのではなかろうか。
不定形の積み木をぶちまけたように、マンションや小振りのビルが建ち並ぶ間を電車は走る。
市ヶ谷を過ぎ四谷駅に差し掛かると、またお婆さんたちのことが思い浮かんだ。
あのお婆さんたちが商うものは、一体、自分で栽培したものなのか、近所で仕入れたものだろうか。すべての野菜を自分の所で育てている筈もないだろうから、近所の人に頼まれたり、調達したりして持ってきているのだろう。味噌や漬物、延し餅、佃煮などは自家製なのだろうか。
そんなことをつらつら考えている間に、新宿の高層ビルが近づいてきた。
ターミナル駅はさすがに乗降客も多く、瞬く間に人いきれが列車のなかに充満する。みるみる車内に満ちていく人波と、雪崩れ込んできた冷たい外気の醸す殺伐とした気配が、弛緩した意識に平手打ちを喰らわせる。
腹蔵した内容物を吐瀉し切ると、今度は灯火に蝟集した獲物を貪り食う、さながら爬虫類の貪欲さを見せる電車。内臓の蠕動運動を促す落ち着きのない乗客の挙動。醗酵して臭気を放つ内容物。暫くの後、攪拌され、すべては均一なゲル状の塊となって落ち着く。
私は安全靴を買うために新宿駅で下車した。東京という街は朝晩、潮の香りに満たされる。ふとそんなことに気づかされる。
潮の干満によって、海水が河を遡ってくる。街が海に接している部分が多く、意外に海から近いところに位置している街なのだ。  
東京の街の臭いの多くは、排気ガスと排水の耐え難い臭いを除くと、地下鉄から排出される臭いだろう。東西南北、隈なく張り巡らされた地下鉄網。路線によって設備や駅構内の店舗、客層などそれぞれに違いがある筈だ。しかし、換気口や地上出入口から電車が通るたびに心太を押し出すように排出される空気の臭いは、不思議なことに、どこでも同じ臭いなのだ。
そのなかでも、僅かな違いを見つけ出そうとすると、国会議事堂駅と霞ヶ関駅の周囲が発する臭いだろう。この二つの駅を通るたびに、地下鉄の排気口からいつまでもアーモンドの香り流れてくる。この臭いが身体に染み付いた記憶なのか、実際に臭うのか、記憶が作ってしまう臭いなのか、はっきりとはしなかった。
J.J.ルソーは「嗅覚は記憶と欲望の感覚である」と喝破した。確かに、そのとおりだろう。時とともに欲望が変質すると、記憶にも歪みが生じる。厚い被膜に覆われて、日々の生活を営むことに汲々としていると、気が付いたときには錯誤を重ねた記憶によって意識はとんでもない所に連れてゆかれてしまう。
都会の臭いの特徴のもうひとつは、死臭がしないという点だ。
「死臭」とは「死体」の臭いなどではない。
「死」そのものの臭いであり、「老」の臭いそのものなのだ。
言葉を持つ人間の「生」を支えるのは記憶である。記憶によって人は自己同一性を保ち、人格破綻を防いでいる。だからしばしば人は記憶を作り替え、作り替えた記憶を自らの本当の記憶だと思い込む。
臭いは存在のエキスである。「死臭」は「死」の本質を開示する。本質に向き合うことをいつまでも回避していると、誰もがいつかこの街から放逐される。空騒ぎの明るさが東京の街を満たしている。
あのお婆さんたちは、水道橋駅でいつもと同じように商いをし、けらけらと笑い、そして帰ってゆく。そしてまた、始発の電車で田舎の恵みを担いでやってくる。それが日常なのだ。お婆さんたちは田舎の生命力を都会に毎日運んでくる。しかし、それだけだろうか。あの屈託のない笑いの裡に深い哀愁や悲哀が籠っていることはないのだろうか。
だが、確かにあのあっけらかんとした笑いはお婆さんたちのしたたかさを物語っている。ちょっとしたことが噂になり、その噂が噂を呼ぶ閉じた空間。相互に監視し合う眼。過剰な気配りと権力への媚びへつらい。深謀と遠慮が渦巻く人間関係。息詰まる毎日。ひょっとしたら、彼女たちは都会に束の間の気晴らしにやってきているのではないのだろうか。その時間だけ因習やしがらみ、束縛から逃れることができる。電車の中に束の間満ちた豪放な笑い声がいつまでも頭の中で渦巻いている。
すべて持ってきたものを売り尽くしてしまえば帰りの竹籠は空だ。七十キロなら成人男性一人分の重さだ。帰りに成人の男一人を竹籠に入れて帰ることだってできなくはない。
日々の仕事に疲れて「どこか遠くに行きたい」と思っている男も、この広い東京なら何人かはいるだろう。そんな男と偶然行き会わせて、ひょんなことから失踪の手伝いをすることだって考えられなくもない。懇願されれば人の好さそうなお婆さんだから、「もう少し頑張って」とか「辛抱も大事だよ」とか言いながらも引き受けてくれるかも知れない。そろそろ春の気配が感じられてもいい頃なのだが、早朝の太陽は六時近くでも、まだ歌舞伎町の雑多なビルの間に埋もれていた。新宿駅で大量の乗客を飲み込んだ列車は、大儀そうにまたゴトリと動き出した。


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