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第四話 ジャンケンの名人


「私はこうみえてもめっぽうジャンケンが強くてね、これまで一度も負けたことがないんですよ」
友人の出版記念の立食パーティーでワイングラスを片手に老人はそう言った。
とんだ法螺吹き爺さんだ。この手のトリックスターまがいのお調子者は、十人の集まりなら大抵一人、数十人の集まりならニ、三人は必ずいる。他愛ない冗談や戯言を飛ばして座を盛り上げる。憎めない存在だ。
この爺さんもそんな輩の一人だと思い、話半分で聞いていた。すると木で鼻をくくったような私の態度にカチンときたのか、「どうです、そんなに疑うんなら、ひとつ私と勝負してみませんか」と爺さんは私の方に身を乗り出した。
たかがジャンケンである。決闘を申し込まれたわけではない。
「やってみますか」と私は半分意地悪な考えで応じることにした。
「それではまずテストということで、最初はグウ、ジャンケンポン」と爺さんの掛け声とともにジャンケンが始まった。私はパアを出し、爺さんもパアを出した。お相子だ。
「じゃあ、今度は本番」と言って、また「最初はグウ、ジャンケンポン」と爺さんが声を掛けた。そのとき爺さんは大きな声で「パア」と言ったものだから、私は釣られてパアを出し、爺さんはチョキを出した。私の負けだ。
「ふふふ」と笑い、「でしょ」と爺さんは下から覗くように私の顔を眼で舐めた。
なるほど強い。しかし、たまたまではないか。
ジャンケンは世界各地で行われている三すくみの勝負だ。どれも驚くほど似ていて、申し合わせたのか、船乗りによって伝播されたのかと思うほどだ。形も指でグウ、チョキ、パアとするものがほとんどだ。グウを石といったり岩と言ったり、チョキを鋏と呼んだり蟹と呼んだり、ぱあを紙と呼んだり布と呼んだりの違いしかない。
爺さんは私との勝負を終えると、次の相手を探しに行った。次々に相手を探しては連戦連勝である。
そのうち、ふと気が付いた。爺さんはテストの際に必ずパアを出す。そして本番では、最初に相手の出した手に必ず負ける手を大声で叫ぶことに気づいた。すると相手は爺さんが出した声に釣られ、その手に勝とうとして無意識にそれに勝つ手を選択するのではないか。例えば、私のときのように「グウ」と大きな声を出せば、相手は反射的にそれに勝つ手である「パア」を出す確率は極めて高い。そしてテストの段階で相手の出す手の傾向をしっかりと観察しているのではないだろうか。
じゃんけんはグウ、チョキ、パアの三手で構成されているが、そのうちの「チョキ」が一番指の動かし方が複雑で出しにくい。「グウ」や「パア」に比べて、余程出す手を練らないと出しにくい手だ。テストでチョキを出さなければグウかパアを出す確率が高い。そうであればパアを出すことで勝つことができるのではないか。
そう思って、私は爺さんの後をつけた。
爺さんは相変わらず得意になってジャンケンを次から次へと仕掛けている。満面の笑みからすると、連戦連勝のようだ。
そのとき、ふとシェイクスピアの「マクベス」を想い出した。
マクベスは洞窟の魔女たちから「お前は女の腹から産まれたものには決して負けぬ」と宣託され、連戦連勝だった。しかしあるとき、一度破って命を助けた男から「俺は女の腹からは産まれてはおらぬ」と宣言され、今度は一敗地に塗れてしまう。
男はどう足掻いても女の腹から産まれるのだから、人間を相手にする限り負けぬ筈だが、男は帝王切開で生まれたことを「女の腹からは産まれていない」と闡明し、マクベスの自信を打ち砕き、怯んだところで首を跳ねた。
これはアナウンス効果とか呼ばれるが、確固とした確信を懐いた者の強さを表した逸話だ。一度その確信が崩れると脆い。しかし確信が確信である間は比類ない強さを発揮する。
爺さんは偶然にも恵まれていたのだろう。それに加え、自分で編み出したジャンケンの極意に乗って成功体験を続けているだけだ。
そう思うと、ふと私の悪戯心がまた頭をもたげてきた。
そして、ジャンケンをしている爺さんの視界に入るような場所を探して立つと、にやりと笑いかけた。
「それではまずテストということで、最初はグウ、ジャンケンポン」と爺さんの掛け声とともにジャンケンが始まった。相手はパアを出し、爺さんもパアを出した。お相子だ。
「じゃあ、今度は本番」と言って、また「最初はグウ、ジャンケンポン」と爺さんが声を掛けた。そのとき私は傍らで大きな声で「チョキ」と言った。爺さんの顔からさっと血の気が失せた。
 

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