私はフリーランスになりたかった。
私はフリーランスになりたかった
どこからともなく始まったフリーランスブーム。
皆が口々に、自由になれるよ、素晴らしい生き方だよ、と宣伝する新しい生き方のテンプレだ。
合言葉は、「自由」「時間」「お金」。
この3つの大合唱で私は磁石のように引きつけられた。
大学卒業しても就職しないで、自由に生きたいと、心の底から思った。
必死にプログラミング言語を習得した。
しかし、フリーランスの星とも言える人々が炎上や他人を煽るような発言を繰り返しているのを見ているうちに、心のなかにもやもやが溜まっていく。
おそらく俗にいう炎上商法なのだろう。
ギトギトしてて、彼らの謳う素晴らしい価値観とは全く異なっている。
次第に沸き起こる、不安・疑問・失望。
あれ、私のやりたいことってこんなことだったっけ?
じゃあ、「自由な生き方」ってなんなのさ?
これが私が一番聞きたかった問いである。
落合陽一とかみたいな、なんか自由にしててもすごい生き方。
あれがやりたいんだよ。
何を間違えてしまったのか?
私の結論は、キラキラした人の形だけ真似たからおかしなことになってしまったのである。
キラキラしている人にはフリーランスが多いから、安直にフリーランスになろうとしたのが失敗だった。
しかしその時は、フリーランスになれば何者かになれると勘違いしていた。
当たり前の現実をいうと、「好きな生き方」ができるのはやりたいことがある人だけなのである。
フリーランスになりたいからフリーランスになった人は、何者でもない一人のフリーランスにしかなれない。
一方、何かしたいことがある人なら、フリーランスにならなくても何者かになることができる。
ほとんどの人がなりたいのは目標を持ったフリーランス。
しかし、ほとんどの人が目指すのはフリーランスという形だけ。
ただフリーランスになるだけでは幸せにはなれない。
我が道を探して私のために頑張らなければその願望は成し遂げられない。
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