マガジンのカバー画像

おもいで

18
モノクロームの想い出に色を点けたもの。
運営しているクリエイター

2021年12月の記事一覧

−香色− 手作りティラミスをもらった

友人から、手作りティラミスをもらった。 ぼくは今、大学の研究室にいる。この居室では、7、8人がデスクワークをしている。 ぼくは、ここで、ティラミスを食べる。 ティラミスの瓶を開ける。 刹那、幸福の香りが我が鼻腔をつく。この香りは、拡散方程式に従って、やがて部屋中に行き渡り、他の人たちのもとへ届くだろう。ぼくは幸福の伝道師である。 否、人々が享受する幸福は、嗅覚のみに制限されている。 ぼくだけが、それを味わう特権を手にしている。ぼくは飯テロリストかもしれぬ。 特権は、直

−深縹− かつて道だったところ

畳縁。 たたみべり。 かつて、ぼくと兄にとって、そこは道だった。 ぼくらは畳の部屋で、ミニカーを走り回らせるのが大好きだった。 ミニカーが通っていいのは、畳縁の上。 畳縁とミニカー1台の幅が、ちょうど同じくらいなのだ。 畳の道には、対面通行の区間と片側交互通行の区間が存在する。 6畳の部屋だと、畳はこんなふうに敷かれているから。 さらに、ぼくらの道には踏切も存在する。部屋と部屋を仕切る敷居。 敷居を横切るときは、しっかり一時停止。 思い起こせば、次々に蘇ってくる。

−卵色− 半ゆで卵同盟

ぼくは、ゆで卵が嫌いだ。 あの、モサモサした黄身と、モチョモチョした白身。嫌いだ。 生卵なら食べられるのに。 黄身と白身をかき混ぜて、卵焼きにしてもおいしいのに。 なんで茹でるの??? 嫌いなものは他にもある。 貝。 小学生だったある日、給食で、貝の佃煮が出た。 「嫌いなものも一口は食べるように」という、迷惑この上ない決まりがあったので、素直なぼくは貝を一粒だけ食べた。 その日の夕方。家に帰ったぼくは、3次会後のサラリーマンのごとく、さめざめと吐いた。 それ以来、

−丹色− 国語嫌いだったぼくがnoteを書いている

ぼくは小1からずっっっっと国語が嫌いだった。文章を書くことも大っっっっ嫌いだった。 なのに、ぼくは今、こうしてつらつらとnoteを書いている。 文章を書くのが好きになったから。 きっかけのひとつは、高校の現代文の先生の一言だと思う。 高1の現代文の授業で、芥川龍之介の『羅生門』を習った。 あらすじはこんな感じ。 「下人の行方は、誰も知らない」で話は終わる。 この話の続きを自分で考えて書きなさい、という宿題がでた。 うへぇ。 文章書くのが大っっっっ嫌いなぼくにとっ

−藤黄− 甘夏に生まれ変わりました

ぼくは、ヒトです。 これから、甘夏に生まれ変わります。 今、甘夏に漬かりました。 ほわぁっと、さわやかな香りにつつまれます。 果汁がどんどん体に入ってきます。 このまま甘夏に漬かっていれば、やがてぼくは甘夏になります。 ぐんぐん、ぐんぐん、ぼくは甘夏になっていきます。 ほわぁっ。 ぼくは甘夏になりました。 ーーー解説ーーー 甘夏の入浴剤をいただいたので、早速使った。 普段シャワーで済ませるぼく、ワクワクの甘夏風呂。 入浴剤をサーっとお湯に入れると、甘夏の香りが

−聴色− 「先生も、あなたの何分の1か苦しい」

ぼくは、小中高と真面目な学生時代を過ごした。 その真面目がたたって、高校3年生の時に不登校に片足を突っ込んだ。 舟木一夫もびっくりだろう。 (そのときの話はこちら↓) 3回目に学校を休んだ次の日の放課後、担任の先生にお呼び出しされた。 教室には先生とぼくだけ。 「何が苦しいのか、教えてほしい」 そのときのぼくは、誰も信じられなかった。ぼくの苦しみなんて誰も分からない。話してなるものか。 「あなたが苦しんでいるのがすごく分かる。」 「でも、先生も、あなたの何分の1か

−青藍− 先生からの「ありがとう」

高校1年生の時のクラスは、担任の先生2人を含めてとても良いクラスだった。 SHRで、先生やクラスメイトから連絡の後には、毎度みんなが「は~い」と返事をする。 別に誰が言い出したわけでもないし、そんな決まりもない。 しかもみんな気の抜けたユルい「は~い」なんだけど、ぼくはその慣習がとっても好きだった。 高2に進級してクラスはバラバラになったけど、旧クラスメイトや旧担任の先生と顔を合わすと「あのクラスはよかったよね~」と口を揃えて懐かしんだ。 高校生活が終わり、卒業するとき