『君たちはどう生きるか』ダルくね〜

※この文章は、基本的に批判が強いです。聞き流せる人だけ読んでください。

2023年7月14日(金)に公開された宮崎駿監督によるアニメ映画『君たちはどう生きるか』を深く理解する上で欠かせない同名の著書『君たちはどう生きるか』の漫画版を、予習のつもりで読みました。

映画の原作ではなく、同小説が主人公に大きな意味を持つという形で関わると明言された上で、この文章においては映画『君たちはどう生きるか』とは完全に切り離した形で、『漫画 君たちはどう生きるか』という作品について備忘録的に話していこうと思う。

最初に感想を述べておきますが正直、ダルすぎ。平成に生まれ、令和の時代を生きる所謂「現代の若者」としての一意見として聞き流してほしいという予防線を張っておくが、基本的には全くもって理解できなかった。

物語の構成について

物語はコペル君の体験によって叔父さんが記した本を読みながらコペル君の体験を追体験するといった構成になっている。

叔父さんはコペル君の亡き父親から遺言として「コペル君には立派な人間になってほしい」という言葉を受け取る。

それから叔父さんはコペル君に対して"良い人間"になるための手助けとなるような内容の本を偉人やコペル君自身の体験を引用して執筆し、それをコペル君に手渡す。

そして物語の中でその本が世に出るというタイミングで、今自分が読んでいる『君たちはどう生きるか』という本がまさに叔父さんの本であるということを知り、その上で「君たちはどう生きるか」と問われ物語は閉じられる。

物語の構成にケチをつけるつもりはないが、本の内容を忘れないようにするために書いておきました。

人間は愚かだから人間なんじゃない?

と、私は思うがね。

叔父さんの本の中には以下のような内容が記されている(あくまで一部ですが)。

・自己中心的な考え方を持ってはならない。
・自分で考えて動くべきである。
・他人を思いやるべきである。

これについて間違っている、嘘だ、というつもりは毛頭ない。

しかし、私が間違ってると思うのは、ただの中学生の男子に"正しい人間"という思想を押し付け、説いているという点だ。

結局は親(保護者)のエゴ

人間としての正誤はある。

自分の子供に正しく生きてほしいと願うことも、間違っているとは思わない。

ただ私は、親(保護者)は自らの保護対象に対して、自分が成し得なかった物事を押し付け、強制(矯正)する生き物だと認識していて、そんな親のエゴによって苦しむ友人や愛する人をたくさん見てきた。

正しい人間であることを押し付けられ、心が壊れる人もたくさんいた。

幸い私自身は心身共に健康ですくすく育つことができたが、それは親のエゴを喰らわなかったからだったと思っているし、だからこそ親のエゴに押し潰されている友人や友人の親が、どう考えても異常であると思っている。

結果的にコペル君は正しい道を歩むことができた(筆者がそうしてるのだから当たり前だけど)けど、いくら正論だからといって、自分の保護対象だからといって、全力ストレートで投げつけていいもんじゃない。

コペル君の心がぴえんだったらどうするんだよ。

だからね、私から見ればコペル君の親も叔父さんも、「毒親」なんですよ。

君たち"は"どう生きるか?
じゃねえんだよ

この本が出版されたのは昭和12年で、多様性が〜とポリコレが〜とかうるさく言われなかったろうし、多分心の病気の種類も今より200種類くらい少なかったと思う、知らんけど。

だから現代の若者がこれを読んで「ハア?」ってなるのは至極当たり前のことだと思うし、昭和の時代には沿ってると思う。

けど、現代の若者の一意見としては、作者の思う"正しさ"を長ったらしい文章で偉人がどうとか偉そうにつらつら書いて、それによって綺麗に矯正された中学生男子を描いて、「これが人間としての正しさですが、君たち"は"どう生きるか?」って、正直煽りにしか聞こえませんでした。

こんな気持ちになるなら読まなきゃよかったな〜とも思いつつ、映画にはあんま関係ないってことなので予習ができてよかったくらいなもんで。

あと最後に、ガッチンは最高な奴だぜ。

では。

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