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主旋律は、低音をより良く感じるための飾り?

そこまで言うかと思うぐらい大胆不敵な発言で、言っている本人も後で「ごめんなさい」と発言を撤回するのではないかと思いながら書いている。

何かと言うと今、チャイコフスキーの交響曲4番を聴いていて素直に感じること。

私は予てからいい低音を聴くとワクワクが止まらなくなる。曲の途中に、コントラバスや、ティンパニーだと思うが、ドスン、ドスン、ズシン、ズシン、ドーン、ドーン、ボーン、ボーンの類いの低音が主旋律の合間に入ってくると、もうその一打、ひと弾きが私の心を支配してしまう。気持ちが良くなってその音に満たされたくなる。
したがって、その上で流れている主旋律が飾りの様に流れてゆき、さあ次はどこで、ドーンとやってくるかその一瞬を待ち侘びている。

ジャズでも同じで、トリオのベースが爪弾く音が中心で、後はそれを盛り立てる音と言っても過言では無い気がする。
ビルエバンストリオの初期のアルバムが好きだけれど、それは、スコットラファロの音に魅了されたから。

でも、これは若い頃憧れて聴いていた某米国メーカーのドンシャリスピーカーの様な音ではない。
中、高域である主旋律がクリアに、前にきちっと張り出して、その隙間を、少し控えめだけど、後ろの方から地を這う様に、体を震わせてくれる低音を聴く事ができる様になったからだ。
言葉で表現することは、至難の業で難しいが、誤解を恐れず表現したのが、「主旋律は、低音をより良く感じるための飾り」と表現してしまった。

音楽の知識などなく、ただ鑑賞する者だから勝手な事が言えるのだと思う。音楽関係者の方からお叱りを受けるかもしれない。

アナログにハマり真空管アンプに合うバックロードホーンを自作して、自分が聴きたかった音が今漸く手に入った気がする。