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学ぶ意欲

人は「意欲」を持てば、時間軸はさておいて、また、結果の形はさておいて、必ずその目標とする地点へ、一歩ずつ近づける事ができる。

これは、小生の自分に対する人生訓である。
自分がこうなりたい、こんな事をしたいと思う事を達成してきた事を振り返るとそう思う。

面白いもので、真面目に「意欲」を持って取り組んでいると、自身の努力だけでなく、必ず、不思議な偶然が後押しをしてくれて、目標へ導いてくれる。

問題は、「意欲」を持つ事ができる事を見つけ、その「意欲」を持ち続ける事ができるかだと考えている。

流行りや、人真似だけでは、自身の「意欲」を持ち続ける事は難しい。

自身の「意欲」は、自分と向き合って本当に湧き上がってくるような迸る欲求、「意欲」があるかどうかが問われてくる。自分にとって「意欲」を注ぐだけの魅力的な事柄を見つける事ができるかにかかっている。

そんな事を考えながら、この真空管アンプに出会い、「意欲」を持って取り組んで来だ自身を振り返っている。

学生時代の学業は、自慢できるようなものではなく、特に理科系は苦手で、計算式や化学式を見ただけで鳥肌が立ちそうなレベルだ。オームの法則さえ、全く記憶が無かった。
サラリーマンという社会人の間、四則演算程度しか使わず、小学生レベルで何とかやってきたのだろう。

そんな小生が、真空管アンプの魅力に取り憑かれると、関連する本を取り寄せて、読みまくった。初めのうちは、全く別世界の話で用語の意味もわからない。
木村哲(ペルケ)さんの真空管アンプの素の2章を何回も何回も読み返した。だけど、一向に自分の理解は進まない。
大体、読んでいるとそのうち眠気が襲ってきて、目の前の心地よいクラシック音楽に誘われながら、安楽椅子で寝てしまう。途中まで理解して、夢見心地になるので、読書を再開するときは、また、最初からひとつづつやり直す。
そして、同じような事が書いてあるが、少し表現が違う、林正樹さんの真空管アンプ制作入門や、真空管ギターアンプの工作・原理・設計などを並行して読み、いろいろな表現を合わせながら、自分の頭の中でイメージを膨らませてゆく。
理論を理解しなくても、設計図や実態配線図を読むだけで、プラモデルを作るように作成できる作成本なども多用して、実践しながら理解しようともした。

そんなこんなで、真空管アンプ自身は何台も作成してオーディオとして楽しむ事ができるようになってきたが、一向に原理、設計、理論が身につくという段階には至らない。

一度、理解したと思っても、年齢のせいか、自身に身につくまでは至らず、また、同じところを読み返して理解を少しずつ深めてゆくという途方もない作業のような気がする。

元々、小説にしろ、エッセイにしろ、読書というものが得意ではなかった小生にとって、この技術的内容は、結構ハードである。

所謂、覚えの速い秀才とは、全く真逆の能力の持ち主である事を、再三思い知らされている。

そんな中でも、諦めずにねちっこく、一歩ずつ続けている理由は、やはり、そこには愛おしい真空管に魅了された自分の中の、もっと知りたいという「意欲」以外に他ならないのである。

全く、不思議なのだけど、ロフトの安楽椅子に座り、目の前にある自作オーディオシステムで大好きなレコードに針を下ろし、くつろいでいると、傍にある、真空管アンプの本に手を伸ばし、また、パラパラと原理、設計、理論を読み始め、自分のものにしようという欲求、「意欲」が湧いてくるのである。

誰にも強要される事なく、自由な選択の中で、自分の時間を、何度読んでも習得には至らない、この真空管アンプの原理、設計、理論を学び続ける「意欲」を感じる時、自身の無限の可能性を発見したように思うのである。