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冬光、相照らす

蒼穹の塊を細塵に砕き、薄く薄く、深寒の上空に伸ばし描きたるが今日の空模様である。

こんな一文を仕事中にふと思いつき、消えぬ前に慌てて打鍵した。
裏口で煙草を吹かしながら頭の内で再考する。
仄暗い雲を敷き詰め、天照らすと言われる光さえも弱々しく、遠景を形作る木々の緑も、人工建造物も、活動する人も、皆一様に褪せて見える。
空の青と、付随する雲を白く創り出したのが神であるなら、彼はきっと優秀な美的感覚を持っているのだろう。
一本目を灰にし、二本目に火をつける。
当たり前のことをと、一蹴するように神は嘲った。
冬の風である。

隠された感情は、言葉にはならず、いつしか意識することもなく沈降していく。消えるわけではない。傍目には当然認知されもしない。
当人ですら再び自覚を覚えることは無いのかもしれない。
けれど確かに残り続ける。
残るだけならばまだ幸いだが、恐ろしいことにそれは血に混じり、思考に混じり、身体中を巡る。
隠したのは後ろめたいからだ。
触れてはいけない、露見してはいけないと、ひた隠しにする感情が人間には存在する。
悟りに至るも、救済を求めるも、すべてはこれが為である。
と、ここまで書いてまた冬空を仰ぐ。
幹線道路から不幸の音が聞こえる。

一切の欲求を排除して創作は行えないものかと、ここ数年来、無理な理想を追い求めている。
叶わないのならせめて、創作から自分を排除できないものかと。
書き手である自分を背後に感じられない作品。
と書いてしまうとなんだか味気ない気がするけれど。
心に切迫してくる作品には、必ず創り手の意志が宿っている。
それを排除してしまいたい。
「真空」というものをずっと追いかけている。
あらゆる欲求や意志が存在できない境地。
それすらも欲求であることに、深い失望を覚えてから
僕はぱたりと創作ができなくなった。

創作は理想を彫琢する。
理想のままでは創作にはならない。
ならずとも書くことはできる。
その差異を、読んでくれる人は気づかぬか、気づかぬふりをしてくれるか、気づいて離れていくかは、こちらの範疇ではない。
公開することが恐ろしくなってしまった。
具体的な恐怖があるわけではない。
ただ今日の空のようにぼんやりとした恐ろしさがある。
書くこととそれを公開することはまるで違う。
その違いを意識しつつ、結局これを公開している。
「真空」でありたいと願う。
自分から文章が離れていってほしいと願う。
創作は理想を彫琢する。
理想のままでは創作にはならない。

深閑の永きに、影落とす人は黒となり、星ばかり雲に取り込まれ、瞬くも物憂う闇に溶けていく。
黒が集まると寂寞の形となり、闇が重なれば孤独と名乗る。
冬の一日はこうして過ぎる。





貴方のその気持をいつか僕も 誰かに返せたらなと思います。