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「産まなきゃ良かった」と言われた母を見返してやりたかった。 #呑みながら書きました

たまに見る夢のなかで僕は母の首をしめている。

夢のなかで、「ああ、これは夢なんだ」と思うことがある。
首をしめているのは母と2人で暮らしていた高校1年生の僕。
現実に僕は母の首をしめたことはない。
だからこれが夢だとわかる。
本当は母に首をしめられたのだ。

衝動にかられて何かをする時というのは、いつだってそれ自体に理由を求めない。
母は僕を本当に殺そうとは思っていなかったのかもしれない。
ただその日たまたま僕の帰りが遅くて、その日たまたま用意していた晩御飯が冷めてしまってイライラしていたとか、きっとそういう些細な出来事の積み重ねなんだろう。

夢のなかの僕はじっと母を見つめている。
母も僕をじっと見つめている。苦しそうな顔で。
しめられた喉を振り絞って呪文のように同じ台詞を言い続けている。

「あんたなんて産まなきゃ良かった」

夢のなかの僕は泣いていたのかもしれない。
今、夢を見ている僕と、夢のなかの僕が同化し始める。
今の僕は16歳の僕になる。
夢を夢だと思わなくなる。
遠くの幹線道路を走る車の音が大きく聞こえた。

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中学生になった辺りから僕と母は何だかぎこちなくなった。
思春期と呼ばれるものは非常にやっかいで、今までなんとも思わなかった母との会話の端々で微かな苛立ちを募らせていった。

それを例えば「うるせーババア!」とか言って発散してしまえばあるいは違ったのかもしれないけれど、僕はそういうことをしなかった。
反抗期特有の親との衝突すら億劫に感じてしまっていた。

僕が家で母のことをないがしろにし始めると、母もだんだんと僕に対する関心を無くし始めた。
例えばご飯を作らなかったり。
僕の洗濯物だけ除くようになったり。
今思えば非常に馬鹿らしいことだけれど
当時の僕らはそんなことでしかお互い意思表示ができなかったのだ。
無言のままに僕らは戦っていた。
どちらが先に降伏するか。
これは結局僕が逃げる形で幕を閉じた。

冒頭に書いた「首しめ事件」が発生する。
僕が「うるせーババア!」と発散する前に母が爆発したのだ。
「あんたなんて産まなきゃ良かった」
特別グレていたわけではない。
髪も染めてなかったし、煙草だって確かまだ吸ってなかった。
たまに学校をサボってプラプラするくらいはしたけれど、成績だって真ん中くらいはキープしていた。
けれどそういう僕の状況は、母には関係無かったらしい。
母にはただ自分のことを無視し続ける愚息としか思われていなかった。
僕の首に手をかけて言い放ったその言葉は、僕に強烈な楔として今も残っている。

夜になれば離れた部屋にいても母の呻き声が聞こえた。
うるさくて眠れない日が続いた。
静かになったと思ってうとうとしていたら、僕の部屋に入り虚ろな目で寝顔を見ていた時は本当に限界だった。

高校2年生になる前に、父が単身赴任していた青森へ転校した。

ここでは父のことはあまり書かないけれど、父は仕事人間だった。
転校してからは一応父と同じ住居にいたのだけれど、朝は僕より早く出て夜は遅くに帰った。
土日になると僕は部活へ行ったり、図書館にこもったりした。
父とどこかへ行くことは結局なかった。

おおよそ父とは家族らしいこともしないまま
大学進学を期に僕は東京へ行った。

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大学生にもなると、さすがにあの思春期特有の煩わしさは消えていて、僕は正月くらいは実家に戻ることができた。
母との関係性は相変わらずだったけれど、僕の中には確かな余裕みたいなものが生まれていた。
結局僕が大学に通えているのだって親が学費を多少なりとも払ってくれているのだから、無視されようが、首をしめられながら例の呪詛を唱えられようが、大丈夫な気がしていた。

実家には母だけが住んでいた。
父は相変わらず仕事人間で単身赴任していた。
姉はもう死んだ。
弟は高校時代から他県に住んでいてる。

その頃から母の具合があまり良くないことを知っていた僕は、その気になれば母親なんて突き飛ばせるとたかをくくっていた。
以前より寝ている時の呻き声が大きくなっていた気がした。

いつかものすごい人間になって、この無関心な親を見返してやろうと思っていた。
母に対して無関心だったはずの僕の中に、母を見返してやるという気持ちが生まれていた。今思えば本心では親に認めて欲しかったんだ。

その頃の僕は転校や、進学のときと同じく、誰にも相談せずに1人で海外留学の話を進めていた。
ものすごい人間になるにはとりあえず海外に行こうという安直な考えだ。
あまりにも単純で笑ってしまうけれど、当時の僕は真剣で、そのためだけにバイトをめちゃくちゃ入れて資金を貯めいていた。

来月には成人式を控え、春には渡航という段階まで来て
母が死んだ。

家のトイレでうずくまって血を吐いて死んでいた。

直接の死因は伏せておきたい。
けれどそれは誰しもが掛かり得る病気らしいことは医者から聞いた。
そしておとなしく入院していれば問題なく治る病気だったとも。
医者はもちろん入院を勧めたらしいが母はかたくなに拒んだ。
その理由を聞いて僕は打ちのめされた。

「旦那や息子たちが離れて頑張っているのに迷惑をかけられない」

何だそれは。
ふざけてるのか。
いや、ふざけてたのは自分か。
僕はそのとき、いかに自分が独り善がりな愚かな考えの元で生きていたかを知った。
とても月並みな感想だけれど。

僕が母を殺したんだ。
だって母の具合が悪いのを知っていたのは僕だけだったから。
夜ごと呻いていたのを知っていたのは僕だけだったから。

少なくとも僕は大人になるべきだった。
自分の中に余裕が生まれていた当時の20歳の僕ならそれができたはずだった。突き飛ばせるなんて考えではなく、思いやるという考えを持つべきだった。体調を訊ねるべきだった。説き伏せて入院させるべきだった。
何もしなかった。
僕が殺したんだ。

葬式はあっけなく終わった。
棺桶に入ってるなあと思ったらもう骨になっていて、壺に納められていた。
涙は一度も出なかった。
親不孝もここまでくれば立派なもんだと自嘲していた。

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夢のなかで、「あぁ、これは夢なんだ」と思うことがある。
高校1年生の僕は母と食卓を囲んでいる。
こんな現実はない。
だからこれが夢だと分かる。
「あんたなんて産まなきゃ良かった」
その台詞はからかうような穏やかな口調だった。
「うるせーババア!」
夢のなかの僕が言う。

夢のなかの僕は泣いていたのかもしれない。
今、夢を見ている僕と、夢のなかの僕が同化し始める。
今の僕は16歳の僕になる。
夢を夢だと思わなくなる。

目が覚めると、僕は泣いていた。
まだ何者にもなれていない僕がただ泣いていた。

「産んで良かった」と言わせられないまま
僕が20歳の時、母は48歳で死んだ。

あの日から今日で10年になる。

ごめんなさい。

貴方のその気持をいつか僕も 誰かに返せたらなと思います。