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緩やかな新しさ

「25歳を過ぎたらあっという間に30歳になってるよ」
学生から社会人と身分を変え、それにも慣れ親しんできた頃に先輩にそう言われた。
安い大衆居酒屋ばかりではなく、ある程度お高いバーなんていうものに行きだしたのも確かその頃だったと思う。
派手過ぎない照明を纏った店内で、騒ぐでもなく静かにお酒を酌み交わす空間。
そういう雰囲気でしか話せないこともあると知った僕は、大人になったものだと、わざわざタクシーを使って帰ったりした。
「20歳過ぎたら年を取るのが早くなる」
大学時代にも似たようなことを言われた。
結局、年を取るのが早くなることに変わりはないようだ。
そうして先輩たちの助言どおり、僕は20歳になり、すぐに25歳になり、あっという間に30歳を過ぎた。

新しさを取り入れることが、この体感速度を鈍くするコツだと読んだことがある。
学区外を超えたら大冒険だった小学生の頃に比べると、大人になってからワクワクすることは意外と少ない。
代わり映えのない日々は急速に消化されていく。
新しさは変化や刺激と言い換えても良い。
けれど大人になってから得られる変化や刺激は、なかなかに負荷がかかるのも事実だ。
自ら望んだものならば受け入れやすいが、望まないものもある。
そして望んでも叶わないことも。
だから自身で制御出来るものが良い。
それでいて緩やかなもの。
例えば、いつも飲んでいるコーヒーの銘柄を変えてみるとか。

帰り道の間に並ぶ家の一つ一つに誰かの生活があり、人生がある。
僕らに直接的な接点は無いのかもしれない。
けれど時間を違えて、きっと同じ道を歩いている。
この道の曲がり角に自販機があって、僕はよくそこでお茶を買う。
誰かも僕と同じようにお茶を買っているだろうし、買っていないかもしれない。
一つの道に様々な誰かの生活があり、人生がある。
そういうことを思うと、代わり映えのない日々にも少し面白みが湧いてくる。

なにも大層な変化や刺激でなくてもいい。
小さくて緩やかなものであってもいい。
いつもは食べないメニューを選ぶとか
帰り道を少しだけ遠回りしたり
お気に入りのプレイリスト以外の曲を聴いたりだとか
自分が主体となってできる新しさ。
そういうものが、この先も続く人生に少しの厚みを持たせてくれる気がする。

いきなり住む場所や仕事を変えようって言われても、怖じ気付いてしまうから。
変わりたいと望みはするけれど、大きな変化は怖がってしまう僕だから。
小さくて、できる限りで変えていくくらいが丁度いい。
20歳の頃に日記で書いていたこと。

生まれ変わりたいんじゃない。僕は僕のままで変わっていきたいんだ。

今になって少しだけ実現できている気がする。

「30歳過ぎたらすぐ40歳だ」
30歳になった時、そんなことを別の人に言われた。
けれど振り返ってみれば僕はまだ、30歳になってからたった2年しか過ぎていない。
緩やかな新しさは、時間の流れを穏やかにし、そして少しだけ僕を欲張りにさせる。

だってあっという間じゃ困るもんな。
やりたいことも、行きたい場所も、見たいものも、書きたいものも
まだまだ沢山ある。
緩やかでいい。
少しだけでいい。
僕が知らない新しい物事で、この世界は溢れかえっている。

いつもと違うコーヒーを買って、いつもと違う道を通って
今こうしていつもみたいに、いつもと違う文章を書いている。



貴方のその気持をいつか僕も 誰かに返せたらなと思います。