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本質を求める.

コロナ禍という言葉を聞き始めて、もうすぐ3年ぐらいになるのだろうか?
誰がこんな状況を予測したであろうか・・・・・。
それでも、人は生きていき生活していかなければならない。

田舎で暮らしている私は、そんなに大変な事ではないのだが
先日3歳の誕生日を迎えた、ウチの次男は生まれた時からコロナ禍だったわけで
もうそれが当たり前というか、人がマスクをつけていることに何の違和感も感じてないと思うと、それはそれで少し怖い気もする。

こんな状況の中でも、日々仕事をしお金を稼いで、家族を養っていく
という事は変わらないわけで。

飲食業界の人は、それはそれは大変な思いをされただろうと思う。
ただ、本質を見ると人はどんな状況でも食べなくてはいけないわけで、それを考えた時に、同じ飲食という仕事の中でも、このコロナ禍で全く影響を受けていない人も居るのかなと感じる事がある。

食という仕事でも、絶対に必要な‘‘食‘‘と、そうではない‘‘食‘‘があるのかなと。
どんな状況下に居ても、日本人である限りお米は食べるような気がするな・・・・・
という事は、米農家は仕事が減る事はあっても、無くなる事は無いのかな?
素人考えなので分かりませんが・・・・・・・それが本質ではないのかな。

庭にも本質があるのだろうが、今の流行りの庭造りが果たして庭造りの本質なのかどうかは定かではない。【カッコいい庭】【素敵な庭】それは誰にとっての事なのか?インスタ映え?設計者のホームページに載せるように映える庭?道行く人にカッコいいと思われたいから?友達に素敵な庭だねって言われたいから?
それは、ひとときの感情は満たされているが、その後は何も生み出さないし、感情がより満たされることはない。

子供が生まれた時に記念樹を1本植えた。子供の成長とともに、樹の横で毎年記念撮影。そんな物語が生まれるのが庭や家の本質ではないのかな?
私は庭を作る時にいつもそんな物語を想像しながら作っている。

KATO

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