「絶対」は、無い。
最近毎日暑いですね〜。ただの委員長です。
私事になるのですが、先日、無事に内定を頂き、就活に一旦ピリオドが(まだやってることはやってる)打たれました。
長かった。長かったですね本当に。非常にスッキリした気分です。
(1年なんて大したことない。これは嘘です。時間の使い方によってはですが。)
それにしても、就職が決まるまでの人生(たったの21年ですが)では、色々と今後の生活に活かせそうなヒントを沢山学んできましたが、1番感じたのは「物事に『絶対』はありえない」ことでした。
これって結構な学びだと思ったんですよね。
なので、それについての話をここに書いていきたいと思います。
せっかくなので、趣味のラジオ投稿と結びつけながら。
1.「絶対」という言葉
私が使っているラジオネームにもある通り、私は小中高と7年間学級委員として、クラスを引っ張ってきました。ただそこには、こんな考えがあって。
「何かを変えるには、絶対に人の前に立たなければいけない」
昔からこの「絶対」という言葉が好きでした。頭の硬い私は「絶対に〇〇すれば〜出来る!」という構文に弱く、1つこれを見てしまうと他のものが見えなくなってしまう傾向にありました。
だからこそ、委員長という人の前に立つ立場に立ち、何かアクションを起こしていましたし、このアカウントのメインにもなっているラジオ番組に対しての考え方も、「絶対に採用されなければならない」という考えに縛られていたため、昨年は少し周りに誤解を生ませてしまう騒動に発展させてしまったこともありました。
なぜ、この言葉に取り憑かれてしまっていたのか。それは恐らく、私自身が昔から感じている「不器用さ」にあったんだと分析しています。
私は昔からポンコツでした。周りが軒並みに出来ることが出来ず、単純な作業にも手間取ってしまい、よく怒られてしまうこともしばしば。
だからこそでした。私はいつしか「ポンコツな」自分を変えるために色々試行錯誤を繰り返しました。人が見えないところで何か工夫をしてみることにハマり、いつしか周りよりも遥かに出来が良いものを生み出せるようになっていきました。
しかし、ここからが人間の悪い所であって。私はその過程において「効率化」を重視するようになりました。(らじらー!の複数RNなんかは、その真骨頂ではないかと、私自身分析しています。)
その効率化の過程において「絶対に」という言葉はまさに相応しい言葉で、私よりも出来の良い人たちが言っているんだから、正しいに違いない。
そこから全てにおいて自分が持つ不器用ながらにも活かせるスキル、そこに「絶対に出来る」という表面だけのものを加えていくことにより、気がつけば周りと比較して、圧倒的に優位な立場に引き上げることに成功しました。
その分大勢のアンチを抱えることにもなりました(結果、生徒総会は6回出馬して全敗北しました。普通にこの影響だと思います)が、彼らには築き上げたスキルを活用し、問題対処に向けて話し合いをしたり、どうしても押し通してきた場合は実力行使(言葉とか)で何とか解決は図りましたね。
しかし、この言葉を信じ切った私は、そこから少しづつ迷走を始めることになったんですよね。
2.気づけば「自我」が消えた
この「絶対」という方にはまってしまった私は、自身に満ち溢れた状態で、福岡の高校に1人で進学しました。
ですが、そこでは今まで自分が積み上げてきたものが全く通用せず(主に学力的な話)、学力至上主義だった私の母校では、クラスメートや周り、先生から「あいつ変わってるよな」「なんであんな奴が委員長やってんだよ」の声も実際に浴びたこともありましたね。懐かしい、良い記憶です。
そして、それは部活でも一緒でした。厳しさを学ぶために入った弓道部でしたが、そこは自分が思っていた以上に厳しい世界で、周りが順調に射法八節(弓道で弓を引くための作法)を覚えていく中、自分だけが取り残され、師範にも「おいポンコツ!」とイジり半分、本音半分のあだ名をつけられてしまいました。
これだけ見たら「あいつ、いつも結構ガンガンツイートしてるくせに、実は知識が無いんだな」と思われるかもしれません。まあ、実際そうなんですけどね。笑
ただ、1番マズかったのは、「自我」を完全に喪失してしまったこと。
あれだけ「絶対」という言葉を信じ込み、自らがやることなすこと全てに誇りと自信をもってやり切っていた自分を見失いました。かつて、学内や市の大会では実績を残せた弁論大会も「表現が短調で工夫がない。本当に自分で作ったのか?」と評価され、部活でも先輩に意見を求められても、同調圧力に負け、自分が思っていた意見をぶつけることが出来なくなっていました。
要は「絶対という言葉に固執した結果、それは自分よりも実力のある人間の下につき、従うことしか出来ない人間」になってしまったんですよね。
勉強、部活、日常生活、どれを切り取っても他人の真似事の繰り返し。結局、高校時代の「自分らしさ」を感じるエピソードは指で数えられるぐらいしか出てこないと今でも思っています。
正直、過去に戻れと言われたら高校時代には戻りたくは無いです。単純に辛かったし、悔しかった。
それに言えないエピソードばかりなので。(マジで法に触れる話とかはないですよ?)
もちろん振り返りたい楽しい思い出もいっぱいですが。
3.発想の逆転
その後、気がついたら高校も2年目に入った時、部活に後輩が入ってきました。あれが転機でしたね。ここで私自身、元の自分に戻る何かを掴めた気がします。
夏の暑かったある日、後輩にこう言われました。
「先輩、この部活の練習時間長すぎませんか?先輩はみんなのことを見てると思うので、どうにか部長に相談してもらえませんか?」
嬉しかったですね。これは本当に嬉しかった。
当時、私は自分らの代が人数が少なかったこともあって、後輩をすぐに試合に出すことが求められました。結果、私は後輩にあっという間にポジションを奪われ(あと普通に負傷したことも原因で)、メインの仕事は部長や副部長に助言をするいわば「マネージャー」でした。
だからこそ「今の環境をもっと改善しなければならない」という考えのもと、部の体質を変えるため、毎日ニュースやサイト、そして本を読み漁って解決策を探す日々でした。
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このノートがあったから今があります。
そうして、まずは何とか後輩と意思疎通を図る機会がないかと策を練っていた時の一言だったんですね。その時、私は
「おっけ。〇〇(部長)に俺が話しつけてくるよ。ただ改善しなかったらごめんな。そん時は俺のこと恨んでくれても良いから。言ってくれてありがとね」
「俺のこと恨んでくれても良いから。」
こんな言葉を使ったのは久々でしたね。何せ高校に入って以降、そこまで「自信を持って何かの責任を負う」ことはなかったので。いや負えてなかったので。
結果的に、私はこの話を部長や副部長に伝え、まずは私たちの世代で意見を出し、その後は後輩に意見を聞いたりした上で、休日の練習時間については何とか短縮という結果に至ることが出来ました。
久々に主体的に動いて、手に入れた結果。それは決して「絶対に〇〇が正しい!」という考えから導かれたものではなく、周りとの話し合い、即ち「対話をベースにしたもの」から導かれた得た考えでした。
そこから僕の高校生活は少しずつ良い方向に向かっていきました。高校時代は1年しか委員長はしていなかったので、そこに通じる話は無いのですが、主にクラスメイトと私自身からコミュニケーションを取る機会も増えましたし、何より部活では「部長より信頼できるのに、なんで先輩が部長やらなかったんですか?」と、嬉しさ半分、困惑半分の言葉をかけてくれる後輩もいました。
と同時に気づきましたね。
「『絶対に』という言葉を使っているときは、周りが見えずに独りよがりになっている」と。
4.大学生活、そして就活で見えたもの
そして、自信を取り戻して、無事に高校を卒業し、現在通っている大学に入ることになりました。
そして気がついたら3年が経ち、就職が立ち塞がる訳になるのですが、ここでも久しぶりに「ある言葉」に悩まされましたね。
昨年、ある日の夕食、単身赴任先から帰省していた母親にこう言われたんです。
「アンタ、そういえば就職なんやけど、公務員になりたいと本気で思ってんの?」
この「本気」という言葉に、またしても僕は不安感とプレッシャーを抱くことになりました。
というのも、僕は確かに公務員にはなりたいとは言っていたものの、逆に公務員以外の「事務職」を知らず「絶対に公務員にならなければならない」という、ある意味「失敗すれば全てを失う」という状態に身を置いていたからです。昨年5月の話でした。
そこから公務員試験の勉強をしていく中で、もちろん成績が上がらないことはなく、自らの成長は感じることが出来てはいましたが、それでも「失敗したら、お前に来年は無いんだ」という目には見えない重圧が僕を苦しめました。
実際、友達には「なんか最近顔暗くね?おまなんかあったん?」とか、僕が親同然に慕う母方の祖父母にも「あんた最近無理してねえかえ?声のトーンが低いよ?」とツッコまれたのはよく覚えています。
いいんです。苦しいのは。
問題はそこではなくて「1つの絶対的な選択肢しか知らなかったから苦しんだ」ことなんです。
当時、本当に「事務職」が公務員でしか出来ないと考えていた私はひとりよがりになり、せっかく大学に就職支援センターがあるのに通わず、1人で全てを解決しようとしていたんですね。
だからこそ、他の選択肢が見えずに「そこに必ず行かなければならない。」としか考えられなかったんです。今になって考えてみれば「すぐセンター行っとけや!」という答えでまとめられるんですけどね笑。
そこからセンターで専門の方にお話を聞き、先日内々定をもらった職を含め、4種類の選択肢が増えました。やはり選択肢が増えてくると良くも悪くも気持ちは楽になりましたね。
これが9月ぐらいの出来事でした。正直、もっと早く知っておきたかったというのはありますが、これはわがままになってしまうので、ここには言及しません。前のnoteに言及してあるからです。
ただ、結果的に、今の状況が生まれて個人的には非常に満足しています。
5.結論と個人的な思い
という感じでここまで「絶対」という言葉について色々と書いてきたのですが、総括してみると「『絶対』という言葉に固執する人間は、独りよがりになり、周りが見えないまま、とにかく闇雲に何かを探している」ということが明らかだと僕は思いました。1つの見方しか出来ないからこそ、思考の柔軟さを失って、結果が出なくなってしまった時に自分のせいではなく、他人に責任を押し付けようとしているんだと思います。
もちろんこれが悪いことだとは思わないですし、もしかしたら相手が自分よりポンコツで、自分の方が強いからと勝ち誇っているプライドがあるなら致し方ないと捉えてもいいはずです。
ただ「自分がやっている事を他の人とも共有して、他の人の意見も聞いてみる」これが1番大事なんじゃないでしょうか。
私自身も、昨年5月にらじらーの件で色々言われた際「まあ外野の声なんて、どうせ言わせときゃいいから」と思い、エゴサだけ入れて軽くスルーしていました。
ただ、その後「本当にこのままで良いのだろうか。何か間違った方向に進もうとしていないだろうか。」と思い、数人の方からお話を聞いたり、ライブ会場でも積極的にリスナーの人との交流を深め、私自身の考え、やり方を今も探求している最中です。
「百聞は一見にしかず」
この言葉があるように、いくら噂やSNSを通じて知った情報が自分の糧になることはあまり無いはずです。
それなら、誰かに会える環境で誰かに会い、話を聞く。そこから私の凝り固まった考え方にメスを入れていく。
これが、ここ2年で私が導き出した「答え」です。
その際たる例としては「推し活と真剣なラジオ投稿を使い分ける」ということです。
これはどういう事かというと、僕の推しメンは3期生の佐藤楓さん(と5期生の一ノ瀬美空ちゃん。みっく、かわいi…(以下省略))ですが、正直、ラジオを使ってでんちゃんと定期的に推し活ができるのは、毎週土曜日の11時半から放送されている「乃木坂46 佐藤楓の公式でんちゃんねる」です。
推しメンのラジオがある。だからこそ「本当に心から頑張るのはここだけで良いな。」って思えたんですよね。もちろん、らじらー!をはじめとするメンバーが出演するラジオは、全部トーク、演技どれをとっても面白いというのは前提にしておいて。
ただ、その番組に推しメンが結構な頻度で出るかといったら、そうではないですよね。なら、推しメンが「絶対に」出演するラジオ番組に読まれようが読まれまいが、毎週メールを送る方が推しメンを元気づけられるし、メールが読まれた時の幸福感、その他番組の継続などにすごく貢献出来ると感じました。
これは今年の頭から実践しているのですが、これを始めてからミーグリがより楽しくなった気がしますね。あんまり色んな話を膨らませずに、私自身の話やでんちゃんによりフォーカスした話が出来るようになったと感じます。
(今、この文章で初めて「絶対」という言葉がいい表現に見えた気がします。突き詰めていったら、たまにこうやってプラスに作用することもあるんですよね。)
※あくまで個人の意見です。批判するならしても良いですが、そこまで間違った事は言ってないと私自身自負しています。
日常生活から趣味まで、日々の悩みが尽きることは私にとって今後無いと思いますし、毎日何かしら悩み、考え、答えを出しながら生きているはずです。
今現在、Xを毎日見ていると「この人、本当に真意でこんな行動を取っているのだろうか」とか「この人、メール頑張ってるけど、万策尽きてしまったのだろうか」と感じることが多いです。そんな人にとって、今回作成したこの文章が、少しでもその「モヤモヤした考え」の紐を解くきっかけになってくれたら嬉しいです。
では、また神宮で皆さんにお会いできるのをすごく楽しみにしています。
最高の夏を今年も作りましょう!!!!!Bye!!!
日常も趣味も悩んでなんぼです。
2023.6月初旬〜8.5
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