ぽいことを言ってみる。
平成最後の日は雨になった。
GWは田植えのためにある!
と喝破した農家出身の友人がいた。
(田植えは一家総出でやるから
子どもが学校を休まなくていいように
最初から休みにしてあるんだという説)
たしかにこの時期の雨は
穀物には恵の雨になるんだろうな…。
今日が平成最後の日だなとか、
SNSにみんなが書いたこととか
新聞やマスコミが報道したこととかが、
また令和何十年かの節目の「N●Kスぺシャル」
に取り上げられるような資料として
残っていくんだろうなとか、
そういうことをぼんやり思っている。
平成最後の日に、自分が何をしていたか思い出せるかな。
10代20代を平成真っただ中で過ごしてきた者にとって
平成は若年層にはきつい時期だった。
時代の転換点で長くつらい冬の時期を過ごした。
親世代もその少し下も、私たちの気持ちは絶対にわからない。
なぜなら戦後初めて「下降線」をたどる中で育ったのは
私たち(のちょっと上)が最初だからだ。
若者の「異常」な犯罪がたくさん起きた。
上の世代に理解不能なもの=異常だ。
でもこれからはデジタルネイティブが
テクノロジーであっさりいろんな問題を乗り越えて
強く生きていくんだと思う。
私は、時代というのは「良くなる」一方だと思うようにしている。
江戸時代は良い時代だったとか
昭和は良い時代だったとか
思ってる老人がいたら言いたい。
江戸時代より公衆衛生と医療は格段に進歩したし
(お風呂に毎日入れるし、あなたはもっと早く死んでただろう)、
昭和より人権意識は格段に向上した(まだ足りないけどな)。
戦争兵器だけは、どんどん効率的に人を殺せるようになって
そこだけは「退化」かもしれない。
日本の政治は今は確かに退化しているように見えるかもしれないが
そんなことはギリシア・ローマ時代、中世の時代から
王政→民主→衆愚→独裁→革命→民主→独裁みたいな感じで
延々繰り返されてるので、
おおきな流れから見たら
たまたま衆愚→独裁の混乱期にあたっているだけだろう。
何を退化というのかは定義がむずかしい。
(歴史を知ることって、理系文系関係なく大事なんだね…)
基本的に、人間は良くなる一方だと思っていて、前より悪くなったと思うようになったら、それは自分が時代についていけなくなったのだ。
引退したほうがいい。
昭和を知る最後の世代として、
もうちょっと現役でがんばって、
下の世代を見守りたい。
毎日自分のこと(食い扶持)でいっぱいいっぱいだけど…
1%くらいは下の代のことも考えられるようになりたい。
平成でやり残したことっていうか令和でやりたいのは相変わらず人生の伴走者を見つけることですが、もしかしたらそれは人間の男ではないかもしれない(ペット? 植物? AIスピーカー?)と思う今日この頃だ。
令和で会いましょう。
これからも書き(描き)続けます。見守ってくださいm(__)m