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『女子漂流』を読んで ~女子校の「罪」~

『女子漂流』(中村うさぎ・三浦しをん/文春文庫)を読んだ。
(以下、引用部分は断りのない限り全て同書に基づきます)

私は2人のエッセイが大好きだ。

2人はともに「女子」を考えすぎた結果、
「世間の女子」からものすごく遠くなっている。
そこに自らツッコミを入れ、エンターテインメントにしてしまう。

共感を覚えるとか、膝を打つという自覚もないくらい
「すーっ」となじんでくる。

対談の最初のほう(第1章 女子校の女子)で
お2人の生い立ちというか、来し方が語られるのだが、
それを読んでわかった。

お2人とも、学校は違えどキリスト教系女子校出身。
私もそういう学校の出身。
それこそが、私とお2人の思考がなんとなく似ているゆえんなのだ。

▼男不要の青春時代

キリスト教系でなくてもいいと思うのだが、
あらゆる価値観を育くむあの大事な時期を
女子だけで過ごすとどうなるか。

あらゆる場面で男の目を気にしなくなる。

男の人は「キリスト教系女子校」と聞くと
「マリア様が見てる」みたいな
美しく清楚な美少女たちしかいない…
というイメージを持つかもしれないが、
(申し訳ないけど)断じて違う。

いや、もしかしたら
どこかにああいう学校はあるのかもしれないが、
私の学校は家柄は全く関係なく
実力(成績)と経済力があれば入学できた。

私が思うに、
むしろ女子校とは、ああいう美少女像とは
正反対の女性を生み出す機関である。

つまり「自立した女性」だ。
自立とは何か。
経済的に依存しない。
自分の頭で考える。
自分で決断して行動する。
そういう人間だと思う。

生徒会も女子だけ→「会長は男子」といった概念が端からない
部活も文化祭も女子だけ→重いもの運ぶのも大工仕事も自分たちでやる

妊娠以外のあらゆることは
「女だけでできる」ことだと体感し
ひいては「1人でも生きていける」ことを自然に学ぶ。

私は演劇部にいたが、「男がいれば」と思うのは
やりたい台本の登場人物に男がいるときくらいで
他は特に必要性を感じなかった。
なんなら男役をやる女子がいて、
背が高くてすらっとしてショートヘアで
宝塚の男役みたいにきゃーきゃー言われていた。
私もきゃーきゃーしてた(吉屋信子的世界)。

唯一の弊害は
男がいないとだんだん外見に気を遣わなくなる。
化粧もしなくていいし(している子はいたが)、
教室はぐちゃぐちゃになるし、
冬はスカートの下にジャージを履いて
みっともないと先生によく怒られた。
(でもスカートって理不尽に寒い…。)

そしてこれがすごく大切なのだが、

勉強も女子だけ→賢いことを隠さなくてよい!!

これが後の人生にとても大きな影響を与えるのである。

▼媚びない女

うさぎさんや三浦さんのいた学校は、
いわゆる“進学校”であると推察される。

私のいた学校もそうで、
基本的に中学受験(小学生でお受験)をして入ってくるし、
1学年約200人、ほぼ全員が大学に進学したと思う。
私の代はその1割ほどが医学部に進んだし(もちろん全員女子です)
東大にも数人は行ったはずだ。

お受験や偏差値教育の是非はともかく、
事実として、現在の教育現場でいうところの
「それなりに経済力のある家庭の、頭のいい子」が集まる環境だった。

学生時代は「みんな頭良いなあ」と思うくらい。
特に成績でサベツされることもなく、
楽しくやっていた。
しかし社会に出て、色々な人と接した時、「え?」と思うことが多くなった。
歴史などを下敷きにした冗談が通じない。
日常であまり使わない言葉(漢語)を使うと不思議な目で見られる。
それはつまり「共通言語=教養」のレベルが違うということだった。

さらに女子校では教養を「隠す」という発想もない。
堂々と賢くなっていい。
「頭いい=男に引かれる」ということを
気にする必要もない。

さらにさらに、三浦さんは、
この本で「辛辣さに磨きがかか」ると言っているが、
ここも白眉であった。そうなのだ。

教養がつくと、そこから、本質を見抜く目を養うことができる。
いろいろなことが見える。わかってくる。考える。
そして自分の意見、考え方、個性を作り上げる。
結果、仲良しにはズバズバ意見を言うようになる。
「たくさん発言する=気の強い女=男に引かれる」ということを
気にする必要もない。

もちろんこういう姿勢は
社会に出てから叩かれる。
男なら「元気いいね」で済むところが
女は同性からでも「生意気」「怖い」と言われる。
(私のことだ)

そう言われて本人はもちろん悩む。
周りと調和を図りたくないということではなく、
他人をむやみに傷つけていいと思っているわけでもない。
ただ思ってることを言って、その言った内容よりも
「発言した姿勢」や「言い回し・表現」に
ダメ出しされるのがびっくりなのだ。

しかし本質的には
「頭が良くて何が悪い」
「正しいこと言って何が悪い」
とどこかで思っているため
最終的にはあまり気にしなくなる。
(私のことだ)

私が話していて、この人話が合うなと思う女性は
女子校出身者であることが多い。
何年も仲良くさせていただいていた年上の女性が
よくよく話したら出身校が同じと判明、
2人して「あ、だからか」と納得したこともある。

とにかく、すぱっと正論を言う。
ズケズケ言うが、嫌みはない。後にもひかない。
悪いと思ったらすぐ謝れる。

あえて言い切ろう。
そういう女性は女子校出身であることが多いです!
偏見だけど、一抹の真実もあると思う。
(私はまだこの域には達していないが……)

教養レベルと意見表明が的確で、
ほどよく自分ツッコミできる(=客観視ができる)。

自分で考えるよう教育されているから
言葉がしっかりしているし、
教育水準も高いので正論であることが多く、

しかもそれを臆せず言うので(正義感も強い)、
すぐばれる(笑)

媚びない女。
だって媚びることがどういうことか知らないし
そうする必要性がない。
娘をそんな風に育てたかったら女子校はおすすめだ。

娘側からすると(いろいろ見えるようになるため)若い時にはすごく苦労する。
が、それぜんぶ後で回収できます!

「私は多分【普通】になれないな」と思っている子に、女子校はおすすめだ。
私はそう思っていたし、傷ついても
広い世界が見えるようになりたかったから。

▼うさぎさんについて

二十代の頃は、うさぎさんの「女王シリーズ」が大好きで、
あまりに読みすぎて、
自分の思考パターンや価値観の何%かは
うさぎさんで出来ていると思う。
憑依させたというか、丸ごとインストールしてしまったというか。

私は高額な買い物は怖くてできないし、
美や外見に対する執着もあまりなく、
そういう意味では、うさぎさんとは真逆の女だが
(どちらかというと三浦さんに近い…というと失礼か)
こんなに違うタイプなのに、「魂」が近い気がする。

ずっと自意識の問題に取り組んでいるうさぎさんは
そのまま、自意識過剰だった自分にものすごく重なった。

自らの疑問に対して行動し続け、負った傷の痛みを妥協せず言葉にする。
痛くて苦しくて、でも絶対に自虐ユーモアは忘れない。
その生き方はマネはできない。
うさぎさんは異形の神だ。
異形だからこそ人は畏れ、ヘイトし、
同時に激しく惹きつけられる。

…って、このような趣旨のことも全部
うさぎさんの本に書いてあったと思う。
言葉ごと、私の血肉になっている。

▼三浦さんについて

私は、精神的にウツウツしているときは
三浦しをんのエッセイを読むことにしている。
疲れた女子に効く!のである。

三浦さんの日常も、ツッコミに溢れかえっている。
BL、男(2次元と2.5次元)、
外で出会ったちょっと変わった人、
家族との温かないさかい、
友人との爆裂トーク
(レギュラー友人たちはみなキャラ立ちしている)。

三浦さんの世界はどこまでも明るく平和で、
「イヤな感じ」がまったくない。

それは三浦さんが「排除」をしないからだと思う。
おかしな出来事や、理不尽なことに遭っても
「ゴルァ」と怒ったりもしつつ、
最終的には「ふーむ、ふむふむ」と咀嚼、
一級のエンタメに仕立てて、
読者はそれを読んでただただ和む。

おそらく三浦さんは(作家は誰しもそうだと思うが)
めちゃくちゃ気を遣う人なのだろう。
少し自分を落として差し出されるその話は、
落語的で、だから気持ちよく笑える。

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これからも書き(描き)続けます。見守ってくださいm(__)m