他人の恋愛話(恋バナ)を聞かない女

大好評、「私の中のダメな部分を深堀りし、読む人の背筋を寒くする」このシリーズ!!(趣旨が変わってるよ・・・)

他人の恋愛には興味がない
のに、
自分の恋愛にはむっちゃ興味がある女。


・・・今回もダメ人間のにおいがプンプンしますね(笑)


▼恋バナはカラオケ~

カラオケとは、基本的には、自分が歌いたい歌を歌い、他人が歌っている時間は自分の歌を探す時間である。

え? ちがう? 
他人、とくに取引先や上司が歌っている時は、ちゃんとその歌を聴き、適度に盛り上げ、飲み物などを注文し、まかり間違っても上司の歌を奪わないよう、いろいろ気を配る、それが「できるサラリーマン」だって?

そんな気を遣う人とカラオケには行きません(ビシッ)。

なぜなら。


私は
カラオケ(=大声で好きな歌を好きなように歌うこと)が
大好きだからです。

私は地声がとにかくデカくて、日常生活では常に「音量をわざわざ下げて」生きている(身振り手振りも表情も日本語を話す時は小さくしている。身を縮めて生きているのである)。

だからなのか、定期的に大声を出さないと、エネルギーが自家中毒を起こし、病み始める。

そんな私にとり、カラオケは合法的に大声を出していい、すばらしい機会なのである。
「大好きなこと」をするのに、気を遣う相手とは行かないよ。
「大好きなこと」に失礼だろうが。

閑話休題。

そう、だから恋バナしたい時って、相手の話なんか聞いてないんですよねー(※いやちゃんと聞いてあげてる人もいっぱいいます)。
片思いでもノロケでもグチでも、早く自分の話を語りたいもん!

なので、前提として、「どちらにも今、恋の話がある」状態じゃないと恋バナは成立しない。
こっちが「独身適齢期の男性なんていう生き物は、ここ半年間くらい見てねえな。本当に実在するのか?」という状態で、相手の「ねぇきいてよ~彼ったら~♡」っていう話を平常心で聞けるわけがない。


▼他人の恋の鑑賞作法

他人の恋バナを聞くお作法は「傾聴」一択である。
ただ聞く。ひたすら聞く。
これだけである。

「ねえ、どう思う??」

って言われても真面目に何かを答えてはいけない。

私が何か言っても変わらないからだ。
「やめておいたら」って言っても「えーでも好きなんだよね、結局」って言われるし、「告白してみたら」って言っても「でも断られたら絶望しちゃうし」って言われるし。

心の赴くままにいけ(身体と財産上被害がない程度に)、そして傷ついたら帰ってこい(傷つく前提)。


・・・てことはわかってるんだけど、わかってるんだけどねええ。
私はアドバイスしたくなっちゃうのである。

結論は?! 別れたいのか? 続けたいのか? すぐ二択を迫ってしまう。恋バナの醍醐味は「うだうだすること」なのに・・・。

この点、男性が女性の「どこにいくかわからない話」を聞いてられないのに似ているかもしれない。

で、私の意見は基本的に「そんな彼ならやめちゃえば」だ。
なぜなら、私はたいがいの友人のことが好き過ぎて、その彼氏とか夫には嫉妬しかないからだー。どこの馬の骨ともしれない男が私の大事な友達をうばってゆくなんて~~~~。
・・・たまにそういう場面じゃないときもあるが、その時は自分の経験と照らし合わせて、心からその男は止めておけと思うことがほとんどなので、そう言う。

あ、ノロケにはアドバイスはできないんで、すいません、聞いてないです(笑) 聞いてる間は一生懸命ツマミを食べて、次何頼もうかと考えています。


結果。

誰も私に恋バナをしなくなった(完)。
だって、こんなに恋バナをする甲斐のない女はいない。
口を開けば別れろという。そしてそのアドバイスはだいたい当たってない。
そりゃ、したくなくなる。

で、恋バナは”お返しに聞いてあげる”ものなので、
誰も、私の「きゃっきゃ話」を聞いてくれなくなる。
因果応報とはこのことであるなあ。

こんな私の話を聞いてくれていた数少ない人々は、既婚の(幸せな結婚生活を送っている)友人たちであった。
既婚者は(タテマエ上は)恋愛をすることは、もうない。
だから、人の恋愛がなつかしくて、面白い。
と奥様たちはおっしゃっておられました。よゆうです。


▼恋。それは相手ではなく自分への最大の興味

時々、恋バナへの参加を強制されることがある。

「委員長は今、良い人いないの??」

というやつだ。(※親戚のマジなやつ除く)


これ、日本ではどう答えたら切り抜けられるのか、
本当に知りたい。

そもそも、なんでそういう質問がラフにできるのか、謎なのである。

1)私の恋愛ライフに本当に興味がある
2)興味はないけど、雑談のネタとして


1)なら、私はわからん。私は、仲良くなりたい人がいても、その人の恋愛観にはそれほど興味がない。それは、仲良くなって、その人とそういう話題になったら自然に知れることである。それに、私とちょっとでも深く接触したことがある人は、私の闇にイヤでも触れることになるし(私の戯曲を読めばわかる)。どこにどういうトラウマがあるかわからないから、私はあえて聞きたくない。

2)ならば。
私の恋愛は、あなた方の座持ちのネタではない~。
私にとっては「異性とのコミュニケーション」は、ライフテーマであり、創作の源泉であり、人生の一大事である。

「重いよ~だから恋愛にならないんでしょ~」と言われるかもしれないが、それならそれでよい。

私にとっては、「一人の男」より、その「一人の男」を核にさまざまなことを「思考」する、そのことのほうが何倍も大事である。
というか男性(対象)は思考のための触媒みたいなものだ。
だから「好きになる→振られる→恨み憎み→忘れる」というサイクル(どういうサイクルだよ)で、何作も作品が作れる。スルメや梅干しの種みたいにつらい記憶を味わい、利用しつくす。
創作の源泉というのはそういうことです。
ゲーテだってそうだったよね!(※全然違います)


▼つまりはいつもの結論へ

・・・自分が好きってことだね。

つまり誰かを好きになってるんじゃなくて、
「誰かを好きになると『私』はどういう思考回路になってどういう行動をするのか、何をどう感じるのか」を考えたり記録したりするのがめちゃくちゃ好き、という、【自分大好き人間】ということが、ここでも示されたのです!!!!

私ってすごい! 全部ここに帰ってくる!!(笑) 

恋愛は、私にとって思考実験だ。
なので、男がどうとかそういう問題じゃないんです!(そういう問題だよ)

そんな実験で恨まれたりする男はたまったものじゃないって?
いやいや、安心してほしい。
最終的には跡方もなく「消える」。
何も残らないです。

私は、さんざん怒ったり恨んだりそういう記憶を味わいつくした後、意識的に全て忘却するようにしているので、名前も覚えていないです(ニッコリ)。された嫌なことは「全て」覚えてますけどね(ニッコリ)。


【誰からも忘れ去られた時、人は本当に死ぬ】

という言葉があるじゃないですか?

だから、私が忘れたらその人は私の中で死んだも同然だなあと思って。
忘れてしまいさえすれば、本当に殺さなくても死んだのと同じだから、手を下す必要もない。無料で合法的でハッピーである。(怖い怖い怖い怖い怖い!!!)


これを覚えてからというもの
「同じようにひどい目に遭わせてやりたい」
という思いはなくなりました。
だって、彼はもう死んだのだから。 


何かの本で
「(記憶の中で)墓標も立ててやらないわ」
という女性の言葉が出ていたが
すげーわかるなあと思った。


▼恋バナは怪談にも似て

お分かりいただけたでしょうか。
私の恋愛に対する闇とねじれが深すぎて、私の恋バナは終盤からは常に「怪談」である。

で、だいたいそれを戯曲にして
観客のみなさんと一緒に「コワイー! コワイー!」と言い合う。
それが私の演劇スタイルでした(よく付き合ってくれたなあ、お客さま・・・感謝です)。

きゃっきゃ言い合うか
「コワイー!」かの違いはあるが
結論、

恋バナって、たのしいよね!

(無理やりシメ!!!)



これからも書き(描き)続けます。見守ってくださいm(__)m