女は、本当に「生きづらい」のか?(2)

私の性的認識は女性、
全くそれに違和感を持ったことはなく、
男になりたいなどとは一度も思わず、
いわゆる女性らしい服装(フリルやスカート)や、
多くの女性が好むものが好きで、
女であることを誇りに思ってきた。
いいものだと思っていた。

しかし、自分の「性的対象」が男性だと自覚した頃から、
要するに性体験をした頃から、
なんだかそれが怪しくなってきてしまったのだ。

【結局、あの最中は男の言いなりになるしかない。】

私が最も嫌いなことの1つは、
ぜったいにセックスの対象になりえない異性から
「性的対象・恋愛対象」とみられることだ。
「好きって言われたら、誰からでも嬉しくなっちゃいますね」
などというのはアイドルのファン向け発言である。

私はブスで、どっちかといえばぽっちゃりしている。
声はでかいし、酒は飲むし、かなり癖のある性格だと思う。
「料理と掃除はしません」と公言している。
「大人しい女・愛されたい」という雰囲気は微塵も出していない。
つまり、一般的に言う「モテる要素」が1ミリもない。

それでもなお、
ある属性の男性から、「いける」と勘違いされることが多い。

そういうことをされたら私は完膚なきまでに叩き潰すが、
世の中の女性はもっと優しいのでそういう対応もできず
オロオロ困っている人も多いだろうと思う。

何で「いける」と思われるんだろう?

こんなに男に勘違いされないように気を付けているのに!

そうなのである。

先のFacebook(歳を取るのはブスだって辛い!!)記事について、
女性から「安堵という感覚わかる!」という反応が複数あった。
(男性からのコメントはなし)

つまり、みんな気を付けて「節制」しているのである。
モテ要素を出さないように。
女性要素を出さないように。

だって、出したら性的な目で見られるから。

「女を出すあなたが悪い」って言われるから。

もし望まないアプローチが来た場合
社会的に問題にならないように、
かつ自分の評判を落とさないようにしながら
相手に「NO」と伝えるのは本当にコストがかかる。
疲弊する。面倒だ。

そういうのを吹っ飛ばすにはどうしたらよいだろうか。
アイコンはある。

レディ・ガガ様である。

女性としての性的な魅力は余りあるのに、
それを打ち消すほどの過剰なファッション、攻撃性、そして
自立心、賢さ。
男性はきっとガガ様と「いける・やれる」とはけして思わないだろう。
ひれ伏すしかない。

女性としての魅力はすべて「性的魅力」となってしまい
自分が持っているものを全部出したら、男に食い散らかされる。
そんな恐怖感を20年以上抱えて生きなければならない日本の女性。

これがなくなれば、もっと若い女性が楽しく生きられるようになるはずだ。

この国の性は歪つだ。不要に抑圧されている。
電車の痴漢も、詩織さん問題も、女子高生の売春も、女の生きづらさも、
全部、根は一緒のような気がする。
(1つは男女とも「若さ(年齢)」への執着が強いことだと思う。)

もちろん古代のような奔放さに戻ることはできないが、
とにかく私は男性側からのあの視線をはねのけたい。
「それはお前の自意識過剰、自縄自縛」と嗤われるだろうか?
もし自縄自縛なのであれば
それはそう仕向けている何かがあるということだ。
私はそれをつきとめたい。

年をとればとるほど楽になっていくけれど、
若い時だって若さをそのまま楽しめるほうがいいに決まっている。

私は芝居始めてからこっち「男批判」ばかりしているが、
今の時代は女だけでなく、男も生きづらいということはわかっている。
何不自由ないはずのこの国で。

ミレニアム世代とロスジェネに挟まれた
「82年生まれ」の「女」だからこそできる
何かがあると思っている。
この世代は「カナリア」だ。
エヴァと少年A(酒鬼薔薇)とキレる17歳と秋葉原無差別殺傷事件。
肥大する自己愛、昭和的価値観の崩壊、下り坂の未来、インターネットの闇と光。

カナリアは時代の空気を吸い続けようと思う。

これからも書き(描き)続けます。見守ってくださいm(__)m