コミュニケーションには「軟骨」が要る (2020.1.13)

目次
▼前説
▼止めてくださいという依頼が苦手(ファクト)
▼抽象化
▼転用
(©『メモの魔力』(前田裕二))

▼前説

夏からGABAに通い始めて半年ほど。
ついに1つのレベル(日常会話レベル4)の
テキストブックを最後まで終えました!(パチパチ)

テキストが終わると
確認テストを受けるのですが、
その前に苦手項目をピックアップして復習します。

私が何が苦手かというと、

「止めてください(依頼)」です。。。。

GABAのテキストは、各項目が日常の「あるある」シーンになっています。
・休み明けに会社で近況報告(お休みは何してた?)
・友達の会話にリアクションする(マジで?へえ!可哀想…!すごいね!)
・定年後どっちに住みたいか話し合う(都会か田舎か)
などがあるんですが、
その中に
・様々な場面で、様々な関係性の人(友達、上司、他人)に
 「それ、やめてください」とお願いするという項目があります。


で、私はこれがめちゃくちゃ苦手。


▼止めてくださいという依頼が苦手(ファクト)
GABAはこんなシチュエーションまで想定してくれています。

・タバコを吸わないでほしい
・私の席を足で蹴らないでほしい
・ボールペンをカチカチ鳴らさないでほしい
・うるさいので遊ぶなら向こうでやってほしい
・とりあえず10分邪魔しないでほしい

これがめちゃくちゃ難しい。

何故なんだろう。。
思いあたるのは下記2点。

1  定型文言を知らない
could you stop ~ing?などのフレーズを知らなった。
こういうフレーズ2つくらい(カジュアルなやつとフォーマルなやつ)
覚えておくとよい。

2  やめてほしい、以外の言葉がまったく出てこない
これは、「止めてほしい理由」を付け加えると良いそうです。

例:(自習室にて隣の席の人に)「私は明日テストで、勉強に集中したいので、ペンをカチカチ鳴らすのをやめてもらえないでしょうか?」

でもそれだけじゃない気がする。
技術的にっていうか、、、心理的なハードルが高い。
んん?? なんでだろ・・・?

▼抽象化
これは、そもそも日本で暮らしていると
特に「他人」に何かを止めるようお願いするシチュエーションが
極端に少ないからではないだろうか。

日本では、ちょっと不快な出来事や人物がいたら
・我慢する
・その場から逃げ出す
の2択な気がします。。。
その場で何か言うことはなく、後でネットに書く……。

日本では全くの他人と、
ちょっとしたコミュニケーション(直接声をかける)が取りづらい気がする。
対面で言う人は、怒るか怒鳴るかしていて
それは一方的に感情をぶつけているだけ。

おそらく、海外では、
自己主張をはっきりするぶん、
言う方も「言い方」を知っており
言われた方も「あ、ごめん」くらいで止めて
双方そこでオシマイ、になるのではないか。
特に感情は入らない。

「すみません、ペンをカチカチ鳴らすのを止めてもらえませんか?」
「OK、分かりました」

以上。根にもつことはなし!

これは受け手の姿勢(マインド)も重要ですよね。
言った方はシンプルに止めてくれればいいだけなのに
受け手が被害妄想的だと
喧嘩になってしまいます。


▼転用 
つまり今の日本は
「すいませんが、それ、止めてもらえませんか?」が
言いにくい社会ってことではないか。

よく言われていることかもしれませんが
対面でのコミュニケーションが減り、
逆に、直接人と人が出会った時、
その間にあるはずの「ワンクッション」がなくなっている気がする。

骨と骨の間にある軟骨が、すり減ってる的な?
だから社会がなんとなくギスギスしてる的な?

不思議ですよね。
ん?
あー、逆か!
対面だから「direct」ってわけじゃないんだ!
対面で直接だからこそ
そこには「ワンクッション」が要るんだ!!

エウレカ(笑)
いやもう書くと当たり前すぎることなんだけど、
私にとってはエウレカ!

人間とは「人と人との間、じんかんなのである」
みたいなことをどこかで聞いた気がするぞ?
(※たぶん和辻哲郎なんだが記憶があいまいだ…
 そして和辻はこういう意味で使ってない…)

コミュニケーションの軟骨を復活させたほうが
たぶんみんながスッキリ!(前田さん!)生きられる気がする。

復活させるには?
・対面でのコミュを恐れない、場数踏む
・言う方は言い方気を付ける(自戒)
・言われた方は「言葉の中身」だけを聞く
 言われたこと自体を根に持たない(めちゃ自戒)

ですかね。
めちゃくちゃフツーの結論に落ち着いてしまったな…。
ま、真理って往々にしてそういうもんだ(笑)


現場の生活からは以上です。

これからも書き(描き)続けます。見守ってくださいm(__)m