別役さんの風(2020.3.12)


高校の部活は演劇部だった。

入部動機はものすごく不純。
もともと中学から創作ダンス部にいたのだが、
文化祭で、演劇部が上演が終わった後、「おつかれさまー!」と楽しそうにしている光景がうらやましくて、自分もその輪に入りたくて、演劇部に転部した。

それまで演劇なんて、小学校に来てくれた巡回劇団と、劇団四季の子供向けミュージカルくらいしか見たことがなかったのに!

同期(同学年)は最終的に私を入れて4人。
10人くらいいる代もあったので、少ない方だったと思う。

全国の高校の演劇部では、「高校演劇(コウコウエンゲキ)」をやることが多いと思う。
「高校生だから”高校演劇”なのは当たり前でしょう?」だと思われるかもしれないが、コウコウエンゲキというのは普通の演劇とちょっと違うのだ。1つの「ジャンル」だと私は思っている。

コウコウエンゲキには「大会」があり「大会」のルールがまず大事。
そのルールと、各部の「事情」という制約の中で
脚本を作り、あるいは既存の脚本の中から選び、精一杯面白いものを作る。
それがコウコウエンゲキであると私は理解している。

あと、コウコウエンゲキにまつわる、さまざまな噂ね(笑)
私たちのときには「客席にお尻を向けてはいけない。」という謎ルールがあった。そんなものはない。別にそれで減点されないし、本にそう書いてあるわけじゃないのだが、みんななんとなく信じていた(怖い)。
おのずと台詞を言う時は常に前を向くことになる。そういう演出ならいいのだが、シェイクスピアじゃあるまいし、ずっと前を向いて台詞を言うのは不自然だ。。。
だから、後年、コウコウエンゲキじゃない劇を見て、いろいろ衝撃でした(笑)
「演劇って自由にやっていいんだ!」
そうだよ!!(笑)

大会ルールとしては、一番大きい制約が制限時間。60分。これは場面転換を入れてである。
そして学校ごとの事情。つまり「人数・性別」。
うちは女子校、しかも同じ代は4人しかいない。

演劇は脚本がないと始まらない。
私たちの代は脚本の創作をしなかったので、
ありもの(既存の作品)から探すのだが、、
だいたい人数の関係でできるものが少なく、
しかもちょっと変わったものがやりたい・・・。

そこで、私の代の部長だったヨッシーが選んだ戯曲が「別役実」だった。
ヨッシーは自由でアーティストだった。私はただの世間知らずな“いい子ちゃんぶってる子”だったので、その強烈な個性とセンスに憧れておりました。

とにもかくにも
別役実は出てくる人が少ない!!!! 
しかもなんかよくワカランが面白い!

2作品、私たちの代でやった。

無謀である。

別役実の戯曲は不条理劇といわれ、あらゆる意味で、めちゃくちゃ難しい。

たぶん、一人暮らし・自炊を始めて1ヶ月、「ようやく米が炊けてみそ汁と野菜炒めは作れるようになったぞ」という大学生が、【自宅のキッチンで近くの庶民的なスーパーで買えるものだけを使って和食のフルコースを作る】くらい難しいと思う。それより難しいかもしれない。

背景は何も説明されず、出てくる人がどこの誰なのかも結局わからない。
使われている言葉はとても易しいのに、あれよあれよと世界がずれていって、何が起こったのかわからないまま終わる。
何も解決されず提示されず、終わった後、観客は世界の果てに放り出される。不条理である。これを高校生がやろうというのだ。

無謀である。

私は演劇部時代、まったく「演劇」が何なのかを理解しておらず、
ただひたすら「やってること自体」だけを楽しんでしまっていた。
自分が上演にあたってどういう役割をすべきなのかがわかっていなかった。
ヨッシーはじめ、部員には不真面目な部員としてうつっていたと思う。
愚かでした。今ならわかる。。。

それが証拠に、2作品上演したといったが、その作品タイトルが全然思い出せない。

一つが、冬の寒空の下で、ホームレスの男女がずっと会話しているというもの。
もう一つが、「魔女のサマンサ」と名乗る女がギロチンを作ってる(?)という話。
(なんかもうこれを書いていても身が縮む。。。違っていたら各所申し訳ありません。)

ヨッシーたちは、別役さんの戯曲をどう解釈すればいいのかとか、あきらかに力量の足りない高校生(しかも女子しかいない)がやるので演出をどうすればいいだろうとか必死に考えていたのだが、私だけ、それがまったく理解できていなかった。

そんな阿呆な私でも、「面白い」と思った。
理由はわからないが、とにかくそんな戯曲は見たことがなかった。高校生の私は。

日常とはまったく違う世界。
世間から浮いた人。浮いた会話。
それだけでも面白いと思えた。

ただ、演劇とは、2次元を3次元に立ち上げることだ。
読んで面白いことと、上演して面白くできるのかは全く別である。
ある料理を食べておいしいと思えることと、その料理がおいしく作れることは全く別である。それに似ているかもしれない。

上演の出来は「よく挑戦したね」というものだったかもしれない。

でも、私は、その後も、別役さんのエッセイだけは読んだ。
エッセイは、戯曲よりは、ちょっとだけ分かりやすかった。
物の見方が一歩引いていて、
世界を斜め下から見ている感じがして。
別役さんが劇作家をちょっと自虐的に描いたりしていて、それも面白かった。
「へえ、同じ演劇に関わるんでも、俳優と演出家と劇作家はなんとなく性質が違うもんなんだ」と思ったりした。(後年それは実感した・笑)

私は、高校時代「演出する」「演じる」ということの意味さえわかっていなかった。
ただただ「演出に言われたことをひたすらやっていた」だけだった。
愚かである。

それでも、演劇って面白いと思った。思ってしまった。

そのうち、コウコウエンゲキ以外の演劇もあると知った。
キャラメルボックスといったメジャーどころ。
社会人劇団の小劇場演劇やコント。
「七つ寺」(名古屋の老舗小劇場)などの小劇場にちょっとずつ通うようになった。

早稲田大学に入ったら、たまたま、その大学は”演劇が盛ん”だった。
いや、盛んなどというものではなく、(後から知ったのだが)そこは別役さん(ほか、ありとあらゆる演劇人)の母校だった。別役さんたちがその前身を作ったといってもいいのではないか。

私はひたすら学生劇団(学生というが8年生がぞろぞろいた。そして地方のシロウト劇団よりよほどクオリティは高かった)を観て、ここぞという時は、なけなしのお金を握りしめてプロの劇団を見た。
私が大好きだったのは「遊◎機械/全自動シアター」。高泉淳子と白井晃。2人とも早稲田大学出身。

卒業後は地元に帰り、社会人になって、演劇を「自分で」やるようになった。
最初は役者。飽き足らず、劇作を勉強して、書いて演出して、それを地元のコンテストに出した。
無謀である。
そこで日本劇作家協会への加入を勧められて、入ってみて、他のいろんな演劇人と交流できるようになった。これまた入ってわかったのだが、日本劇作家協会は、別役実さんが顧問をつとめていらした。
「え、ここでつながるの?」と思った。
もちろん、雲の上の方で、直接お会いすることはなかった。
でもときどき「別役さんがね」というエピソードをお伺いした。


別役さんの戯曲にはなんとなく「風」が吹いている印象がある。
あくまで私の印象で、実際に吹いているというよりは、風を感じる気がするのだ。

“舞台上手(客席から見て右側)から下手(同左側)には、ゆるやかな風が吹いている”

私もその風になんとなく誘われて、気づいたら、演劇が大好きになっていた。
気づいたら、いつもそこには別役さんの影響があった。というか別役さんの吹かせた風がたぶん大きすぎて、その影響を受けていない人なんていないのかもしれない。

ありがとうございます、などと言えるような間柄ですらない。おこがましい。
なので「おかげさまで、私も演劇好きになりました」と報告をします。

これからも書き(描き)続けます。見守ってくださいm(__)m