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弥太郎日記、一月から二月へ

 先日、「岩崎弥太郎 幕末青春日記」の最初の一月分の紹介が終わり、二月分を始めることができました。ひとりで勝手にやっているだけなので、少数でも読んでくれる人がいるのは嬉しいことです。一月分について、前書きを含め冒頭(安政七年元旦、1860年1月1日)から順番に読めるように配置してマガジンにまとめました。ご利用いただければ幸いです。

 紹介を進めるほどに、興味深い日記だという思いは深まる一方です。なのに、その真価が世間に知られていないのは、一つには岩崎弥太郎の不人気、もう一つは日記が経営史学の史料としてのみ評価されているからでしょう。さらに言えば、刊本『岩崎彌太郎日記』の原本が公開されていないことも関係しているはずです。これでは、国文学方面の研究対象にはしにくいでしょう。『日記文学事典』(平成12年、勉誠出版)に、同日記の項目がない理由であると私は思います。

 それでも、数は多くはないでしょうが、日記刊本を読んだ人にさえ真の価値が見出されなかったのは残念なことです。私もその責の一端を担っています。私は、他の弥太郎本著者の多くより日記を読み込んでいるという自負がありますが、長崎時代の初期の日記は斜め読みだったのか、こんなにも面白いと気づいていませんでした。

 そして、読んだ少数の中に、前回「風評再生産のメカニズム 岩崎弥太郎の場合」に書いたような書き手がいるという悲劇。この件に関し、今回はもう少し具体的に示します。件の著者山田一郎氏は『海援隊遺文―坂本龍馬と長岡謙吉』(以下『遺文』)で、長崎における弥太郎について、外国「情報探索の形跡も努力もほとんど見られ」ず、「本来の職務から離れて謙吉(長岡謙吉=今井純正)を追跡」する「一方で……丸山で酒色に溺れ」たとします。

 これまで私が紹介した日記を読んでもらえば、山田氏の記述は本当とは言えないと分かるでしょう。山田氏はちゃんと日記を読んでいないのでしょうか? あるいは嘘を書いたのでしょうか? 弥太郎は外国の「情報探索」に努力を重ねていますし、今井に関する取り調べは長崎出張の「本来の職務」に適うものであり、また度を超した「追跡」などしていないのです。

 弥太郎が「丸山で酒色に溺れ」たのは事実ですが、この書き方では今井を責める傍らで遊興にふけったと読めます。これまでの日記の紹介を読んでもらえば分かりますが、今井への嫌疑が正月早々に始まっているのに対し、弥太郎の丸山への深入りは二月以降で、かつ芸子阿園おそのへの「失恋」などいくつかの段階を経た上でのことでした。山田氏の書き方は悪意ある印象操作と言えます。

遺文』には、「弥太郎が下横目に就任した云々」なる記述があります。弥太郎に下横目就任という経歴はありません。実は、山田氏は『遺文』以前に『海援隊士列伝』なる書物で謙吉を担当し、そこに「下横目岩崎弥太郎」らが、謙吉の止宿先に「乗り込んで来て」「連日厳しい審問を始めた」事実と異なる記述をしていたのです。原本は1988年刊(2010年に再刊。同年初に山田氏死亡のためか、この部分は訂正されず)。日記刊本は1975年に出ていますが、山田氏は当時は読んでいなかったようです。

 土居晴夫編『海援隊士列伝 龍馬と駆け抜けた男たち』新人物往来社刊。原本のタイトルは『坂本龍馬 海援隊士列伝』同社刊。

 この下横目就任説は、弥太郎関連の信頼のおける資料の少ない時代に書かれた弥太郎の「伝記」に記されたもので、司馬遼太郎『竜馬が行く』で取り上げられて「有名」になりました。山田氏は、弥太郎の日記を読んだ後も、思い込みで謬説を繰り返したのでしょうか? ところが、『遺文』を読むと、謙吉に関しては取材も史料の読み込みもちゃんとやっているのです。

 それだけに、また氏が共同通信社の記者から常務、土佐山内家宝物資料館館長などを務めた経歴からも、弥太郎の史料から導き出される事実からは遠い氏の記述が、読者には真実と取られてしまう可能性が高くなります。事実、「風評再生産のメカニズム」の回に記したWikipediaなど、弥太郎に関して虚偽の度合いの強まった記述へとつながりました。

 私には、山田氏は、取材はしても文章化する時に予め決まった構図に当てはめて書いているように見えます。構図とは、単純化すれば「弥太郎は悪人である」ということです。割合最近、私たちは、「角度をつける」というメディア用語を知るようになりました。<進歩的メディア>は、事実を伝えるのではなく、人々を「啓蒙」する方向に「角度をつけて」記事を書くことを使命と心得ているようなのです。

 山田氏は、長岡謙吉を顕彰するために、弥太郎に悪意ある印象操作をするという角度をつけました。「角度をつける」のは、恐らく伝統的な新聞記者のやり方だったのでしょう。故人を非難するのは気がとがめますが、これは事実に基づく批判であり、角度はつけていないので御寛恕を願います。「角度」が正しいならば、事実でないことを書いても許される――私はそうしたやり方を認めたくないのです。


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