学びとは何か/今井むつみ著

本書をもとに「よい学び」について考えたことを以下に記す。

▼よい学び=生きた知識

よい学びとは、学んだことが「生きた知識」になっていることである。
「生きた知識」とは、事実として覚えているだけでなく、それをどう使えばよいかという手続きまでもが含まれており、いつでも取り出し可能になっている(=身体化されている)知識のことである。

私が文章を打つためにタイピングをしたり、適切な言葉を使って文章をつくったりすることは昨日も今日も明日もできるだろう。つまり「生きた知識」になっているといえる。

国語科の書く単元でいうと、意見文はこれをこう書くのだなと知っているだけでなく、書き方(手続き)が身体化されており、いつでも書けるのであれば学んだことが「生きた知識」になっているといえよう。

このように考えた時、自分の授業が「生きた知識」を得られる学びになっていたかと問われると、疑問符がつく。

▼生きた知識になるために

「生きた知識」になるために必要なことは、自ら知識を様々な場面で試し、振り返り、更新していくことだ。

まず大事なことは知識を『使う=試す』ことだ。
脳内に入ってきた情報は短期記憶として一時的に保存される。しかし、保存できる情報の数は限られているため、それを使わない場合、その情報は優先度の低いものとして判断され、捨てられる。
繰り返し使うことで長期記憶として保存されていく。
また、使うことで自ずと結果が返ってくる。その結果をもとに、『振り返り、更新』していくことが必要である。
意見文を書くという例でいうと、学んだ表現技法を使い書いてみた結果、相手に伝わるor伝わらないという結果が返ってくる。うまく相手に伝わったら「この表現技法は今後も使っていこう」となるし、うまく伝わらなかったら、「この表現は使えないから、ここをこう変えていこう」と考える。このように結果を振り返り知識を更新していくことで、「生きた知識」に近づいていく。

▼学びをアップデートせよ

以上のことから、自分自身の学びを「よい学び」にしていくためにどうすればよいかを考えてみよう。

何よりは、知識を使う場面を設定することだ。例えば、本を読んだり講演で聞いたりしたことを「よい学び」にするには、断片的な知識をメモするだけでは難しい。私が現在進行形で行っているように他者に説明するために文章でまとめるというのは一つ有効といえそうだ。
ただ、文章でまとめることには難点がある。それは結果が返ってきにくいことである。双方向性が低いため「ここはどういうこと?」等の質問が交わされることがあまりなく、知識の更新が起きにくい。
やはり、知識を使って即結果が得られる"人に話す"というのが「生きた知識」になるうえで最もよい方法なのだろう。

次に、授業で「よい学び」を生起するためにどうすればよいかを考えてみる。
NG指導は、教え込みである。子どもが教えてもらうことに慣れると、「学び=教えてもらうことを覚えるだけ」という意識を育むことになる。
その意識になってしまうと、知識を様々な場面で試し、振り返り、更新していくというプロセスを踏むことが難しくなる。

まず意識していきたいことは、1単位時間や単元の中で、"必要最小限な知識"を与える場面と、その知識を試しながら新しい知識が得られる(=知識の更新が起きる)場面をつくることだ。

ここまで振り返ってみると、よい学びのためには「人にアウトプットせよ」「教師が教えると子どもが学ぶの両輪で授業づくりを」といった、どこかできいたことのある結論に至ってしまった。

ただ、”なぜそうすべきか”という根拠を得られたことは収穫である。

他にも「『ひらめき』と『あてずっぽう』の違い」「超一流の熟達者の特徴」や「探究心を育むためには」など、唸る部分が多数あった。



この本が1000円以内という破格の値段であることに驚く。
「学び」について考えたい方はぜひ手に取ってみてほしい。


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