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日々と写真,2000年(3)

2000年の、主に銀塩で撮っていたカットは(1)と(2)に掲載したが、この頃から富士のFinePix4900Zを使い始めて、ほぼ時を同じくして不動産物件の撮影の際に持ち歩いていたので、何かと撮っていたりした。

駅名は思い出せない。たばこを買わなくても快く撮らせてくれた。

ここも思い出せない。

大森の方だったような気もする。

やあ。

ここもどこだか思い出せない。


七五三の撮影を請けたことは(2)に書いたが、そのアルバムの仕上げというバイトが埼玉の春日部であって、時給1000円に惹かれていったものの、もう大変で。まず朝からこの電車。嫌なんです、満員電車。サラリーマンやってた時とか、本当に嫌だった。

入れてくれよぉ。

春日部。

本当に嫌なんです、満員電車。だからもうみんなこんなの放棄しちゃって仕事なんか辞めちゃいましょうよとか思う訳ですが、そうこう言いつつ、自分は時給1000円ごとき(多分この電車の中で時給換算で最低限レベル)に釣られて、無理矢理体をねじ込んでしまうわけです。

越谷。

でも雇われ人ながら矜持を持ったことがあるんです。それは、仲間とつるんで昼食なんかに行かない。私はフリーランスだから。

中吊りがサラリーマンの慰めのようにも見えるが、誰もそんなの見ていない。

千代田線は割と空いていました。都心から下りになるので。

当時大工事中の北千住駅。後につくばエクスプレスが開通するが、そんなことは遠い未来のことのように思えた。

相変わらず昼は一人で食べ続けた。

結局その職場も、最後にトラブル起こしてやんわりと追放されて、まあ給料は払われましたけど、私はもう勤め人には向いていない性質になってしまったのだと思った。

不動産の撮影は続いていた。一人で仕事するのが性に合っていたようだ。

結構、自炊はしていた。

北千束。

多分、北千束。


元住吉には、駅のそばに住吉神社がある。

場所は忘れた。不動産撮影の合間。

旗の台。不動産撮影の移動の合間。

今はこういう子に声を掛けると不審者扱いされるんだろうな。

撮影の終わったポジ(スライドフィルム)は、渋谷のプロラボで2時間くらいで現像してもらっていた。

現像待ちの間には、カフェで交通費の計算などしながらコーヒーを飲んだりした。

夕方のカフェは割と混んでいた。

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