②父親のルーツ

好きだけど大嫌いと思ってしまう親という存在。

父の幼少期や学生時代の話は断片的にしか聞いたことがないけど、外から見れば「手のかかる子」だったようで、それを武勇伝のように話していた。

私が小学生になる前から父が単身赴任で離れて暮らすようになったこと、そして、それ以前も父とは毎日べったりと過ごした記憶は無いので、父が嬉しそうに話す「武勇伝」を聞くことが、唯一のコミュニケーションのような気がして、嬉しくニコニコと聞いていた。

私が小学生の頃は、父親の実家へ学校帰りに寄っていたので、おじいちゃんやおばあちゃんの優しさに触れることはあった。
でも、おじいちゃんとおばあちゃんは会話があまりなく、たまに喧嘩していいたので、とても仲の良い夫婦関係のイメージではなかったけど、なんとなく心は繋がっているように感じていたと記憶している。

おじいちゃんは私に対する溺愛具合がおかしくて、おじいちゃんちの近所にいる元気な子どもたちが、ちょっとでも私に近づこうものなら、ほうきをもって「ワシの孫には近づくな!」と頑固ジジイ全開で追いかけたり、運動会の時には、PTA役員でも業者でのないのにカメラをぶら下げて運動場の真ん中まで入って、私を撮りまくる。近所のお祭りの時に私が着物を着ると、そんなにかわいくもない私を連れまわして写真を撮る。港へ行けば、公園へ行けば、一緒に出掛ける時は必ずカメラをもって写真を撮る。
私には笑ってほしくてふざけたことを言ってみたり、今思うと孫の存在自体が愛しかったんだなとは思う。

ただ、いつもは気が短くて頑固。、近所の人からは「おやっさん」と呼ばれていた。因みにおばあちゃんは「ねえさん」。
ご近所さんとの付き合い方はあまりわからないけど、幼いながらに一目置かれていたような気はしていた。

おばあちゃんには普通にかわいがってもらった。おばあちゃんが働いていた、うちわ職人の工場へは何度となくついて行って、夏休みの暇な数日間を過ごした。すべて手作業でうちわを作るさまを、おばあちゃんの背中と壁の間の狭い隙間から見たり、のりのついたうちわの骨に紙を載せて、たわしで軽くこすっていくリズムや匂いを感じては、特別な場所でいるような気持になって嬉しかった。
おばあちゃんが歌ってくれた子守歌も、やわらかくてよく伸びる頬も、おしゃれだったおばあちゃんの匂いも大好きだった。

そんなおじいちゃんとおばあちゃんの間に生まれた長男は、将来の娘から「好きだけど大嫌い」と思われてしまう。

母親曰く、父親は「お母さんのことが大好きで、お母さんも息子が大好きだった」と。

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