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加工するのがあたりまえ?

写真を加工してSNSに載せるのがあたりまえなのかもしれない。
様々なアプリがあり、撮る段階ですでに設定された加工で撮る人も多い。

自撮りはそれでいいと思うけれど撮影者がいて、カメラで撮ったデータを渡してモデルさんに加工された状態でSNSにアップされてしまい、困惑した話など聞くこともままある。
写真を載せるときは最低限このレタッチはお願いします、と公言されているモデルさんもいる。

加工した写真を載せるのがあたりまえのようになってしまっていることについてメンバーさんと話したり、ワークショップでの質疑応答でもその話題がでるなかで、撮影者側でモデルさんが写真を加工することについて複雑な思いを感じている人も多い。私自身も複雑に思っていることがある。
加工が必要なこともあるし、商業の写真、メディアに載る写真はほとんどがなにかしらの修正が入っている。そのまま載せれることの方が稀だ。
写真が加工されることについて、何が引っかかるのか、少し整理してみようと思う。
注釈:この記事では私の認識として写真の仕上げとしての色や明るさの補正をすることを「レタッチ」、顔の輪郭を補正したり目を大きくするなど形を変化させるものを「加工」、肌荒れや目の下のクマ、ほうれい線などを消すのを「修正」と書いています。

まず撮影者としての思いとして
・加工・修正しなくても十分素敵だ、美しいという思いで撮っている
・無許可で加工されてしまうのは著作権の侵害になるのでは?撮影者に失礼なのではないか

この2点は大きいのではないだろうか。

著作権と肖像権

写真の著作権は撮影者にあるが、モデルさんにこの認識がされていないと勝手に加工されてしまうということが起きてしまう。加工されなくても無断使用や二次利用のトラブルもある。
私も「自分が写っている写真を好きに使って何が悪いのか」と言い放たれてしまったことがあり、それはとても悲しい気持ちになった。
また、モデルさんにはその写真に対しての肖像権があるので、それは侵害しないように撮影者は撮影した写真の扱いを気をつけなくてはいけない。
モデルさんに肖像権はあるが、その写真が自撮りなど自分で撮ったものでなければ撮影者に写真の著作権が発生していることをもし知らなかった方は認識していただいた方がいい。

人を撮る写真は著作権と肖像権が発生していて、撮影者とモデルさんによる共作であるとともに、撮影者は自分の作品だという自負をしっかり持つこと、そのうえで写真に加工・修正が必要な場合はモデルさんとのコミュニケーションが大事かと思う。
作品が出来上がるプロセスとして、加工であったり、修正であったりを撮影者にお願いする、自分で加工したいとモデルさん側から伝えられて了承がとれているものは何も問題がないと思う。
けれど写真に加工することがあたりまえになっているとそのコミュニケーションを省略されて、勝手に加工されてしまった、、ということが起きて、悩んでしまう撮影者、カメラマンがいることは知っていてほしい。

ポートレート作品はお互いへの尊重がとても大切だと思う

肖像権があるからモデルさんのもの、著作権があるからカメラマンが好きにしていいというわけではないと思う。それぞれをお互いに尊重し、配慮を忘れずに作品作りができるといい。

美しさの尺度

「加工しなくても十分素敵なのに、美しいのに」
これが伝えたくて私自身も写真を撮っている面もあるが伝わるのは難しいと感じることが多い。
もちろん、そういった思いを持っていることを知ってくれていてお互いにリスペクトを持って作品を作ることも出来ている。

ただやっぱり写真を載せるという段階で加工がないと怖い、という思いも伝えられる。それはSNSで何を言われるかわからないし、自分を守るすべでもあると思う。
またiphoneなどで撮るとどうしても歪みがあり、自分の見えているものと違うから加工・修正しないと違和感がすごい、というのもわかる。
カメラで撮った写真も現像ソフトを使って色味・明るさを整えるレタッチというプロセスは写真の仕上げとして必要だ。それはなるべく撮った写真を自分の思う美しさ、見えているものに近づける作業である。
この美しいと思って見えているものを写真は伝えられることができる。
そしてこの美しさの尺度が本当に人それぞれ違う。
だから、モデルさんが自身で持っている美しさの尺度と違う写真が撮られるだろうし、それが表現として魅力的で楽しいと思うこともあれば、許容できないこともあるのだと思う。
”自意識”での美しさの尺度は結構限られていて狭くなりがちだと感じる。私も自分自身に対しては美しさの尺度が上手く持てず、セルフポートレートを撮るのはとても難しい。
撮影者としてはその自意識の美しさの尺度に写真表現をおさめるのではなく、そこを超えた美しさをあなたと一緒に作れるのがとても楽しい。ということを伝えたいし、写真作品を作る人は自分の見えている美しさを表現するという自負を持って写真表現をしていくことは大事なのではないか。
そうすることでいろんな美しさがここにはあることが表現されていく。

撮り続けていくことで美しさの尺度を広げていきたい。

加工がなくてもいいと思ってもらえたら

加工があたりまえの世界で、ある一定の”これが綺麗とされている顔です”というような流行りの顔にならないと美しいとされないのは息苦しい。
もっと、自由になりたい。
ひとりひとり、写真を撮っているとその人それぞれの美しさがある。
いろんな美しさが写真で表現されて、「加工がなくてもいい」「私そのままでいいかも」って思えるような世界が私は見たい。
エゴかな。エゴでもいい。
私はもう八方塞がりで行き場がなかった思いを抱えていたときに自由にしてくれたのが写真だった。
私が見えてるものは美しいのだとそのまま見せることができる芸術は私を自由にしてくれたのだ。

メンバーさんと加工について話していたとき、「最初は加工したいと言われていた子が、写真を撮り続けていたら加工しなくても大丈夫って言ってくれたんです」と嬉しそうに話してくれて、そのメンバーさんの誠実さ、写真を撮り続けていくことで伝わることがあるのだと、私もとても嬉しくなった。

加工があたりまえの世界でも
「加工しなくてもいい」と思ってもらえるような写真を撮り続ける。

なかなか伝わらなくて歯がゆい思いもたくさんするけれど写真を撮る人間は写真をとにかく撮って、発表して伝え続けるしかない。
いろんな場面に立ち会いながら、いろんな美しさを残していく。

私はそうやってこれからも写真を撮り続ける。


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この月末記事はしばらくはStudyプラン限定ではなく誰でも読める記事にします。
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