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いつか海に還るまで

家のなかはめちゃくちゃだった。
父が上機嫌なのは暴れる前兆なので帰ってきて音楽をかけてるものなら一旦外に出てぶらぶらすることもあった。
鬱をきっかけに働けなくなった父は酒に逃げて、家族に当たり散らすばかりだった。
母が働いて家事もやって、父のことも支えることを使命と思っているようで、別れたらいいのにと思っていたし言ったところで聞き入れてもらえなかった。
「弱ったときに支え合うのが家族じゃないの」
ああ、それをもしかして愛と言っているんだろうか。
病める時も、というやつだろうか。
家族愛ってわからないな。どうして傷つける人を許さなきゃいけないんだろうか。

そんなめちゃくちゃな家族でも唯一平和だった記憶が海へ旅行に行くことだった。
毎年夏には家族旅行は海だった。
海が好きな原体験にあるのは家族旅行の平和な時間かもしれない。

自分の成人式のとき、父が倒れた。
前からちゃんとご飯は食べないしお酒ばかりだったしいつ体を壊してもおかしくないと思っていたけれど、末期の癌だった。
そこから半年ほどで父は他界した。本当に人は死ぬのだと知った。
苦しめられてたからいなくなったらいいのに、と本気で思っていた。
それでもこの人の血が自分に流れていて、そのことが心底嫌で、だからこそこの人がどうしようもなく弱かったこともわかっていた。この人がまともに生きれなかったことを、ダメなところを私だけは美化しないで許さないで、忘れないでおこうと思った。私はこの人につけられた傷を負って生きるしかないのだから。
私が絶対に酒を飲まないのは父の性質を自分は引き継いでる意識があるからだ。
万が一にも酒で失敗しようものなら、父を許せない私は自分を許せなくて自分を殺してしまうだろう。

そこから写真が良くなった。
人がいなくなることを知ってから、人を撮る写真が良くなった。
写真が美化しないで忘れないように、そのときそのときを残してくれることに安堵した。
とにかく撮り続けていった。
好きな人を撮るのは特に楽しかった。女の子を撮ることが多かった。

少女のままで死にたいと思うのは
少女がいかに美しい存在かを自覚しているからじゃないだろうか

少女のままで生きたいと思えないのは
それを汚す存在があまりにも多い社会だからじゃないだろうか


右胸に固いものを見つけたのはまた次の春。
予感があったときにきっとすでにいたのだろう、その塊は5センチにもなってしまっていた。
いよいよかあ。と思った。父も、祖母も、大好きだった従姉妹もがんで亡くしていた。
従姉妹の遺影は私が撮った。娘さんの入学式の日に。とても美しい日に。
がんになって、どこかでやっと降りれるのかもしれない、とちょっと思った。
ずっと無理して平気なふりをする舞台に立ち続けてる気がする。
ずっとどこかが壊れてる。ずっとどこかここじゃないなと居心地の悪さを感じてる。
命、どうするの?軽んじてきたでしょ?自分の命を。って突きつけられてしまった。

そして沖縄に行っていた。ちちちゃんと沖縄で写真を撮らなきゃ、って思った。
曇ってたのに空が割れて、訪れる島の空は晴れていた。4月の海はまだ冷たかったけれど2人で写真を撮ったあと海に入った。次の日は久高島に行った。神様の島。島中の御嶽を巡りながら、ポツンと道の先にいる猫に導かれて訪れた景色が美しかった。

ずっと私は自分を許せなかった。
愛されないのなら愛することで、自分の能力が役に立つことでやっと生き延びていい赦しを得ていた。
必死で生きながらどこかで消えたいとも思っていた。
疲れていた。

でも美しくて大きな海はもっと違う大きな力があることを教えてくれる。
生きることは思ったよりシンプルなのだと。赦しとかいらないのだと。
島の猫のお腹に子供がいることを港にいたお爺さんが教えてくれた。若く見えたのに90歳を超えているという。あちこちに、命がある。
人の手が入りすぎないようにされている島で自然が神様とされることに深く納得をして自分も生きれるかもしれないと思い始めた。これからのお守りにパワーストーンのブレスレットを買った。
生きれるかわからないな~って茶化してたら大きな声でちちちゃんが「生きるよ!!!」って言ってくれて嬉しかった。言霊だ。

右胸のない自分の体は思ったより気に入っている。
全く書ききれないが本当に地獄巡りをしているなあ。そうやって生きるんだろう。
生きるのは大変だ。
ずっと無理をして生きている。
大丈夫?と聞かれたら大抵、大丈夫じゃなくても大丈夫です!っていう。
そういう、生き方をする。強がって生きている。
大丈夫じゃなくても、大丈夫です!って言って生きていく。

家族が海で遊んでる。その景色が私にとって幸せな原体験だ。
それを親友の家族とできたときに、こういう叶い方もあるのだと嬉しかった。
地獄の合間にそういう景色をたまに見れたらいい。

ここにあるあたらしい命をまた燃やして
生きていく。



飯田エリカ写真展「あたらしい命」、先日無事開催することができました。ありがとうございました!
写真展で掲載していたキャプションの文章を今回noteで公開しました。
こちらは販売中のZINE「あたらしい命」に掲載した「いつか海に還るまで」から一部抜粋したものになります。全文はZINEに載っています。

乳がんになったことで命に向き合わざるをえなくなりました。
これまでどう生きてきたか振り返るとあまり自分を大事にできてなかったこと、人を信じられないこと、それゆえに頼ることもできずにいたことに気づきました。

がん治療をしながら仕事も続けるしかない状況で人を頼らないわけにはいかなくなりました。
困っていること、治療のしんどさも書いて
「がんだから」という理由で人を頼るようにしたら
みんな優しくて、とても助けられました。
その優しさのおかげで大変な治療を乗り越えることができました。
本当にありがとうございます。

お守りをいただいたり、話を聞いていただいたり、写真を撮ることを一緒にしてくれたり、DMなどでメッセージを寄せてくださったり、お見舞いの品を送ってくださったり、そういった一つ一つにたくさん支えられました。
きっとDMなど送るわけではないけれど気にかけてくださる方もいるのだろうと感じていました。
たくさん、ご心配をおかけしました。

元気になりました!
いただいた優しさをお返しするためにこれから生きていきます。
この経験を経てできることを頑張ります。
人の命がもっと大切にされるように活動をしていきます。

その始まりとして写真展を開催したのですがたくさんの方にお越しいただき、写真を撮る「EPPmini」もご利用してくださる方が多く、写真を展示しながら2日間ずっと写真を撮っていました。お祝いに来てくださったんだなと人の優しさと愛をたくさんいただいてしまいました。
これからも写真を撮って生きていきます。

みなさまのおかげでこうして活動ができています。
ありがとうございます。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。


飯田エリカ

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